断腸亭料理日記2010
まだまだ『講座』の9月。
昨日は、吉原大門周辺のことまで。
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江戸の地図
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そもそも吉原とは、、というのも書いておきたい。
そもそも吉原とは、、といえば、私は『講座』では、出さなかったのだが、
落語の「五人廻し」を思い出す。
噺とすれば、一人の花魁の、様々なキャラクターの客5人が
ちっとも花魁が来ないので、店の若い衆に、文句をいう、
というものなのだが、そのうちの一人が、この“そもそも”を
ベラベラと喋るのである。
書くと、随分と長いのだが、これを聞いていただければ、説明は終わり。
(ご興味あれば、是非聞いてみていただきたい。
おもしろいので、できれば、自分で覚えて、
喋りたいくらい、で、ある。)
で、簡単に“そもそも”を説明をすると。
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1653年(明暦3年)、明暦の大火でそれまで日本橋葺屋町(現人形町)に
あった吉原遊郭も全焼。幕府は町中に置いておくのは風紀上もよろしくない
とのことで(移転の願いは前年の明暦2年に出している。)
浅草田圃へ移転を命じた。
それまでの吉原を元(もと)吉原、こちらを新吉原と呼ぶようになった。
江戸の北になるため北国(ほっこく)、あるいは北廓(ほっかく)とも、
あるいは、吉原仲之町から、ナカ、ともいった。
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成り立ちはこんなところ。
そして、
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吉原は、四方を鉄漿(おはぐろ)どぶ、と呼ばれる幅二間の堀があり、
大門から入り、中央が仲之町、江戸町一、二丁目、揚屋町、
角町、京町一、二丁目の六町に分かれていた。
江戸唯一の公許の遊郭、遊女三千人御免の所。
日千両(ひせんりょう)鼻の上下へその下、などといわれ、
魚河岸、芝居と並んで毎日千両の金が落ちる場所ともいわれた。
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この“日千両”なども落語の枕などでもいわれる言葉。
江戸落語と吉原は切っても切れない。
明治以降。
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明治に入り、1872年(明治5年)芸娼妓解放令が発布され
(1875年には名称も貸座敷と変えられた。)遊女の人身売買は禁止されたが、
事実上、前借(ぜんしゃく)という名目で東北地方など貧しい農村などからの
身売りは続いた。
大正期に入り大正デモクラシー、女性解放運動の高まりもあり、
救世軍などによる自由廃業を支援する動きも盛んになった。
1911年(明治44年)吉原大火(映画吉原炎上で描かれているもの)、
関東大震災を最後に江戸期から続く花魁道中などを含めた
いわゆる吉原遊郭文化はなくなっていった。
しかし、吉原遊郭自体は戦中、戦後も公的には黙認(戦後は赤線)
という形で営業は続けられた。
1958年(昭和33年)売春防止法施行により新吉原開所から
305年続いた吉原遊郭は法律上、廃止された。
(その後は、トルコ風呂から現在のソープランド・
個室付特殊浴場となっている。)
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歴史をとても簡単にみていくと、こんな感じであろう。
衣文坂から、S字の五十間道があり、大門。
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大門というのは、江戸期、開所の頃からあった、
当初は唯一の出入り口。毎朝未明に開けられ夜四ツ(10時)に
閉められた“引(ひ)け四ツ”。それ以後はくぐり戸から。実際は九ツ(12時)
“大引け”に四ツの拍子木を打ち二時間ごまかしたといわれる。
江戸の頃は、幅八尺(2.4m)木製の黒塗り冠木門。
1871年(明治14年)鉄製アーチ型のモダンなものに改造。
その後、吉原大火により鉄柱だけになり、さらに大震災で破損し、
再建はされなかった。
“大門”というのは東京の洲崎、京都島原、名古屋中村遊郭など
全国各地の遊郭にもあり、吉原同様、地名として残っているところもある。
年代からみれば京都島原が元祖かもしれぬ。
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引け、大引け、なんという言葉はおもしろい。
現代でも“株”の世界で使われている言葉である。
また、「真夫(まぶ)は“引け”すぎ」なんという言葉もある。
意味は、先ほどの落語「五人廻し」の“廻し”、
これは一晩になん人かのお客の部屋を花魁は
廻るのであるが、真夫のところへは最後にくる、という意味。
一応、この大門では江戸期は、遊女の足抜け(逃亡)を
回避するための、出入りをチェックする場所でもあった。
大門を入った通りが、仲之町と呼ばれた真っ直ぐな通り。
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仲之町
仲之町には引手茶屋(ひきえぢゃや、揚屋・あげや、とも)
という間口の狭い茶屋が軒を連ねていた。
吉原は大店(おおみせ、大籬・おおまがき)、中店、小店と
格が分けられており、大店の場合、引手茶屋を通さねば
登楼(あが)ることはできなかった。
客はここで芸者(吉原芸者)を呼び軽く騒いで、
目当ての店へ向かった。
花魁道中はこの引手茶屋へ客を迎えにくる道中のこと。
歌舞伎などで仲之町はよく描かれるが、
春にはこの通りに開花した桜を木ごと植え、
吉原は江戸でも桜の名所の一つに数えられるほどであった。
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仲之町は、まあ、吉原のメインの通り。
昨日書いたように、吉原そのものを、ナカ、というようにも
なっていったのである。
落語をご存知の方ならば、お分かりであろう。
「・・・堀からあがって、一口やって、夜は“ナカ”へでも行って
わっと、騒ごうか・・・」(欠伸指南)この堀はむろん、山谷堀
である。
現代の仲之町は、他の通りと比べ、間口の狭い“店”が続いているが、
これくらいが名残であろうか。
と、いったところで、またまた、長くなってしまった。
このあたりで、今日はおしまい。
また明日。
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