断腸亭料理日記2010
『講座』の10月。
引続き、増上寺。
より大きな地図で 断腸亭の池波正太郎と下町歩き10月 を表示
今は、プリンスの敷地にある、台徳院殿・秀忠霊廟の惣門を後にし、
日比谷通りを引き返し、増上寺の三門、三解脱門も越えて、
今度は、増上寺の北隣、東京プリンスの敷地。
日比谷通りの舗道から見えるところに、
もう一つの将軍家霊廟焼残りがある。
有章院殿、7代将軍家継霊廟の二天門。
重要文化財。
こちらは、特段きれいに修復されている状態ではない。
プリンスの駐車場の片隅。
皆さんに説明しながら見ていたら、大きなねずみが、
門の石段の上を左から右に走っていった。
やっぱりこれも、一つ、雑草に埋もれ、
日比谷通りの排気ガスにさらされて、、、。
まあ、これが“時代”というもの、であろう。
ともあれ、見るものは、あと一つ。
駐車場の角を左に曲がって、
しばらく行くと、左側。
やっぱり、向うは、プリンスの駐車場。
これは、増上寺の御成門。
元は、今の御成門交差点にあった門。
むろん、将軍様の御成りになる時に通る門なので
この名がある。
明治になり、増上寺が縮小され、この、東京プリンスの
敷地までになった時に、ここへ移された。
(参考に書いておくが、これ以外にも焼残りはある。
だが、この周辺にはない。所沢の西武球場の前に
西武鉄道がお寺を作り、そこに台徳院殿霊廟の勅額門、
丁字門、御成門、が、移築されている。)
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それにしても、増上寺の歴史をみてきて、
感じるのは、寂しさ以上に、悲しさ。
この文章は、歩いた後、あらためて、思い出して
書いているわけだが、歩いているとき以上に、
悲しくなってくる。
増上寺、あるいは、江戸三百年って、こんなことに
なっていたんだ、ということ。
今、考えれば、焼け跡にホテルを建てないで、
なんで霊廟を再建しようとは考えなかったのか?。
しかしまあ、これはいっても仕方がないこと。
昭和33年当時は、高度成長が始まった頃であろうか。
オリンピックに向かって、東京はひた走っていた。
日本橋の上には首都高を通し、春の小川の
渋谷川はふたをし、暗渠にしていった頃である。
これが東京の歴史、なのである。
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と、いうことで、見るものは、ほぼ終了。
皆様もだいぶお疲れの様子。
だが、東麻布の野田岩まで、もう一頑張り。
(実際のところ、私は、下見で何日かここへきて、
歩きまわっているので、慣れてしまっていた。)
ここからは道なりに、東京プリンスの裏へ回る。
このあたり、道の向こう側、西側は公園で、木が鬱蒼(うっそう)と
茂っている。
プリンスの真裏(まうら)をすぎて、交差点がある。
もう東京タワーのすぐ下。見上げるように見える。
向う側へ渡る。
左側はもみじ谷、という名前の公園。
少しいくと、左側に東京タワー。
東京タワーなぞ、子供の頃に数回登ったきりで、
最近はとんと、ご無沙汰。
今年に入って、スカイツリーに333mを越され、
日本一の座を明け渡し、今は、最後のお勤めまで
頑張っているところ。
この姿を見ていると、なんとなく、
健気(けなげ)に思えてくる。
左に曲がり、東京タワーを右に見て、
左にカーブし、今度は急な坂を下りる。
坂の途中、料亭があるがこれを右に入る。
突き当たって、右。すぐに左。
と、桜田通りに出る。
野田岩までは、もうすぐ。
渡って右に、桜田通りを上がって、、、。
ふう、野田岩到着。
名乗って、皆さん、二階へ。
普通は、区切って使っている部屋を、
ぶち抜いて、大広間にしている。
先日、ここへは、下見を兼ねて、内儀(かみ)さんと来て、
詳しく書いているので、よいであろう。
うな重。
お店の説明では、半分は、天然もの、の、ようである。
先日のものも、そうでないかと、思ったが、
やはりそのようである。
予想通り、厚みのある方が、天然もの。
ビールがうまいし、池波先生が「丁寧な仕事」、と、評された
うな重も、うまい。
皆さん、お疲れ様でした。
(私も疲れた。)
また、来月!。
麻布・五代目野田岩
電話番号:03-3583-7852
住所: 東京都港区東麻布1丁目5−4
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