断腸亭料理日記2010
今日も昨日のつづき。
神田の小さな洋食や、松栄亭。
名物の洋風かき揚げとチキンライスを食べたところまで。
食べ終わり、席を立ち、勘定をする。
勘定をしながら、おかあさんが私の鞄について
話しかけてきた。
私の鞄というのか、アタッシュケースは、
昔、流行ったゼロハリバートンという銀色の
ごついものがあったが、その、もどきのようなもの。
ビールを呑みながらそれをテーブルの上に出し、
開けて、新聞を取り出したりしていたのである。
アタッシュケースは、直角にふたが開くので、
ビール瓶に触れそうになり、倒すのではいか、
と、おかあさんは、ハラハラし、私に、声を
かけていたのであった。
(テーブルに呑ますのは、もったいないから、
と、いっていた。)
銀色のアタッシュケースは、札束でも入っていそう、
と、思われる向きも多々あるようで、
おかあさんが話しかけてきたのは、そんなこと。
むろん、私の鞄に札束が入っているわけはないが。
ご馳走様でした、と、店を後にする。
まだ時間も早いので、元浅草まで歩こうと、
ぶらぶらと、万世橋方向へ。
旧交通博物館の解体現場の脇を抜け、万世橋。
ここの中央線の高架は先に書いたように、古い万世橋駅の遺構。
ご存じの赤煉瓦。
万世橋の欄干、親柱と相俟(あいま)って、
なかなかの、絵、で、ある。
この、交通博物館の跡はどうするのだろうか。
まさか、赤煉瓦のこの高架まで壊しはしないのだろうけど。
さて。
松栄亭のこと。
池波先生は、「食卓の情景」にも書かれている。
その“縁日”という項に、先生の子供の頃、鳥越神社だったり、
どぶ店のお祖師様(おそっさま)だったりの、縁日のひいきに、
[どんどん焼]の他に[肉フライ]というものを挙げている。
そして、
〜〜
いま、神田の淡路町に[松栄亭]という小さな洋食屋がある。
蕎麦の[藪]の近くの、むかし、東京の下町のどこにでもあった
洋食屋の気分が残っている店で、ここに[洋食のかき揚げ]なるものが
ある。むかしの縁日の肉フライとくらべては可哀想で、
上等の材料をつかったものだが、私は縁日の肉フライをおもい出すと、
[松栄亭]へ行って、この[かき揚げ]を食べる。その味が遠いむかしを
よみがえらせてくれるからなのだ。
〜〜
そんな風に、ここの洋風かき揚げのことを
書かれている。
自分のことを考えてみる。
先に、大学時代に、興味本位で食べにきてみた、
と、書いた。
その時の感想は、今日、うまいと思ったのとは、
大きく違っていた。
正直のところ、小麦粉の団子を揚げたようなもので、
もそもそして、たいしてうまいものとは感じなかった。
それで、それ以来懲りて、20年もこなかったのであった。
つまり、洋風かき揚げをうまい、と、思うようになるまで、
20年かかった、ということになる。
やはり、そういうもの、なのかもしれない。
若い時には、あの味は、わからない。
例えば、なん度も書いていることだが、
こうした東京の老舗洋食やは、はっきりいって、
安くない。
ネットのレビューなどを見ていると、
高い、CPわるすぎ、なんというコメントが
山ほど出てくる。
近所の、駅前の定食や、あるいが学食で出てくる、
ポテトコロッケやメンチカツ、といったメニューが、
その数倍、ひょっとすると、10倍もの値段が付いている。
若い人は、そもそもそれが理解できない。
その上、この小麦粉団子である。
あー、昔はこんなものでも、洋食もどきとして、
珍しかったのね、と、思ってくれれば、まだめっけもので
二度とこないぞ、くらいは、いいたくなるのも
無理からぬことかもしれぬ。
東京の洋食やについては、考察を含め、
なん回も、書いてもいる。
明治初期から、東京人に愛されてきた、ハイカラ食文化の東京洋食。
銀座の煉瓦亭の創業は明治28年(1895年)で、
既に東京洋食の歴史は、100年を超えている。
明治、大正、昭和初期、戦後と、
東京下町のどこの町角にも安い洋食やがあった。
そして、銀座(資生堂パーラー、煉瓦亭など)、
浅草(ヨシカミ、グリルグランドなど)、
人形町(小春軒、芳味亭など)、根岸(香味屋)、
上野(とんかつ御三家他)、などなど、古くからの盛り場に加え、
特徴的なのは、当時の花街(=三業地)にも多くあったこと。
そして、芸者衆や、そこで遊んだ旦那達が食べ、
洗練され、高価になっていったのだと思われる。
これらは、むろん、大人の世界で、グレードとすれば、
料亭に匹敵するような高級ランクといってもよいだろう。
そして、今、老舗といわれ、残っているものの多くは、
先の、店名を見てお分かりの通り、値の張るこれら、
花街起源のところなのである。
その中で、安い洋食やは、ある意味、淘汰されてしまった、
ともいえようが、例えば、やはり池波レシピの、柳橋・大吉
他、拙亭ご近所の、ベア
などなど、なくはないし、また、キッチン南海、
カロリーなど、学生向けのところもそういえるかもしれない。
ともあれ。
昭和38年生まれの私には、洋食は、それなりに
懐かしい食べ物ではあるが、若い頃は、東京の洋食は
そういう歴史を持ち、今に至っていることは、知らなかった。
しかし、私も三十歳を超え、池波作品を読み始め、
東京の洋食は、自分のなくなってしまった
故郷の食文化であることに段々に気が付いていった。
そして、本当はどういうものなのか、
振り返り、歩いてみたのである。
東京の洋食や、特に、老舗は、
はっきりいって、若い人のためのものではない。
大人のものである。
文句があるなら、いかなければよい。
しかし、同時に東京で生まれたなら、
自分の故郷の味、文化として、若い人も
知っておくべきものでもあると思う。
そして“わかる”大人になってから、あるいは、
高いと思わないくらい稼げるようになってから、
(大人の仲間入りをしてから)
きなさい、で、ある。
まあ、こんなことをいうと、高い老舗は滅びてしまう、
ような気もするのだが、それはそれ。
そういうものかもしれない。
住所:千代田区神田淡路町2-8-6
電話:03-3251-5511
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