断腸亭料理日記2010
3月20日(土)
引続き、土曜。
連休、で、ある。
天気もいいので、自転車で出る。
例の、NHK文化センターの、街歩き講座の下調べをしていると
ちょっとした発見があった、
それは、池波先生生誕の地の碑、なるもの。
池波先生は大正12年、当時の浅草聖天町で、生まれている。
聖天町とは、今の浅草7丁目。
言問い通りの北側、隅田川にも近い一角。
今はむろん埋められているが、山谷堀が隅田川につながる河口も
程近い。
小高い山(今見ると、ちょいとした岡、程度のものだが。)の
上にある待乳山聖天(まつちやましょうてん)付近。
むろん、聖天町の名前の由来は、この待乳山聖天、
聖天様は、子授けの神様として有名。
(正確には聖天様は、お寺なので、神様、ではない。)
ちょっと、横道にそれるが、この聖天様は我々も多少の
関わりもあり、書いておきたい。
女性を意味する、二股に分かれた大根と巾着が聖天様のシンボルで、
境内のいたるところに見える。
(見様(みよう)によっては、そうとうリアル、で、ある。)
子供が授かるように願をかける者、お参りをする者は大根を供える。
この供えられた大根は、大根祭として、正月の七日に
ふろふき大根にして振舞われる。
我々夫婦には子供がいないのだが、
三十をすぎた頃であろうか、作ろう、というようなことにしたのだが、
それでもなかなかできない。そこで、初詣になん年か、
ここにお参りにいき、大根のお供えをしていたことがあったのである。
(しかし、甲斐もなく、子供はいない。)
これは、もう20年も前の話しだが、大根祭は今でも
行なわれているようである。現代でもこういう、プリミティブ、
と、いうのか、素朴な信仰がこの浅草で生きている、
というのは、驚きでもあろう。
聖天様の小高い岡は江戸の頃から、大川、
隅田川からもよく見え、このあたりのランドマークであった。
そんな、待乳山聖天なのだが、
話は、池波先生、生誕地の碑、で、あった。
できたのは、3〜4年前であろうか。
こんなものが建てられていたのは知らなかったので、
一度見ておかなければ、と、考えたのである。
セーターを着て、自転車で走ると、天気もよく、
気持ちがよい。
元浅草の拙亭から、東へ真っ直ぐ、左に曲がって、
国際通りを北上し、六区興行街から、
花屋敷の裏の斜めの路地を抜けて、言問い通りも渡る。
ゴロゴロ会館、柳通りに入り、見番の先を右に曲がって、
真っ直ぐいって、馬道通りも渡る。
と、路地をしばらくいくと、左側に聖天様。
聖天様の山へ上がる石段の参道の向かって左脇に
碑はあった。
ちょっと唐突な感じもする。
なにが唐突なのかといえば、なんの冠もなく、いきなり
池波正太郎、と棒状の看板には書かれている。
この種の案内や、碑は、どこにでもあるが、名所案内、
と、いって、よいのであろう。
しかし、そういう名所案内、といえば、『まちかど案内』であるとか、
『○○区歴史表示板』だったり、なんらかタイトルがありそうだが、
なんにもなしに、池波正太郎。
台東区が建てているものだが、台東区=池波正太郎、
というような印象も与える。
あるいは、池波正太郎シリーズ、の、ような、、。
生誕の地、が、あれば、育った地、がありそうだし、菩提寺、
も、ある。
むろん、池波先生以外の、台東区縁(ゆかり)の作家は
少なくない。
樋口一葉先生。
住まわれていた、下谷竜泉。
吉原のすぐそばに、区立の記念館まである。
しかし、一葉先生は、若くして亡くなられているが、
実際には、引越しをなん度もしておられ、
亡くなった西片のある文京区なども『縁』を標榜している。
断腸亭永井荷風先生も、毎日のように、浅草に出没し、
いろんな逸話を残しているが、住んだことはなかったはずである。
生まれ育ちでいえば、久保田万太郎先生。
少し前なら、浅草といえば、筆頭に挙げられる人であろう。
しかし、今、一般の人で、久保万先生を知っている人は、
どれほどいようか。まず、皆無、ではなかろうか。
と、すると、やっぱり、現代的には台東区=池波正太郎は、
あたっているのだろう。
生まれが、聖天町で、育たれたのは、拙亭近所の永住町(元浅草)。
その後、引っ越されているが、菩提寺も浅草にある。
また、蔵書は未亡人により、台東区に寄贈され、ご存知の
池波正太郎文庫になっている。
今でも、いや、今だからこそ、鬼平やらの作品群の人気、
そして、池波先生その人には、下町浅草台東区は
大きな恩恵を蒙っていると、いってよいだろう。
(しかし、昨年発売された、先生のある年の日記で、
当時、なにか、台東区だかの主催の行事に呼ばれ、
ゲストとして行ったはいいが、『つまらぬ』と、一言、
書かれていたのを思い出す。)
さて。
とりあえず、この池波先生、生誕地の碑を見るためにきたのだが、
せっかくここまできたのだから、と、区のスポーツセンター、
隅田川の堤防まできてみる。
先ほど書いたように、聖天様から道を渡ると、
山谷堀水門の跡があり、堤防。
桜はもうすぐであろう。
咲けば、このあたりも、花見の人々でごった返すが、
連休初日の土曜日、今日はまだ、散歩やらをしている人のみ。
(ご案内の通り、翌、日曜日、東京には開花宣言があった。)
堤防の上は自転車も走れる。
上がってみると、正面に建設中のスカイツリーが
ニョキッと、見えた。
やはり、存在感がある。
隅田川の眺めとして、これがよいのかわるいのか。
見慣れないせいか、なんともいえないような気もする。
暑くなったので、セーターは脱いで、自転車の前の籠に。
目の前の桜橋も渡ってみる。
渡って、今度は、向島側の堤防を吾妻橋方向に走る。
やはり、桜はまだ咲いていない。
言問橋の下もくぐって、左側に隅田公園、旧水戸藩邸。
北十間川にかかる、枕橋を渡り、右へ。
スロープを上がって、左側、墨田区役所。
この広場には、遠くを指差した姿の勝海舟の銅像がある。
勝先生は、墨田区が生んだ、随一の偉人、といって、なんら問題はなかろう。
ここにあって至極当然。
海舟はご存知の通り、号、であるが、どうしてだか、
銅像の名前は勝安芳(やすよし)と、本名で書かれている。
と、いったところで、今日はここまで。
つづきはまた明日。
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