断腸亭料理日記2009
10月11日(日)
さて。
今日は、運動も兼ねて、上野の山へいこうと思い立った。
上野では今なにをやっているのか、
調べてみると、国立博物館では「皇室の名宝」。
目玉は、狩野永徳の「唐獅子図屏風」。
いってみようか。
白モツの煮込みを仕込んで、
12時半頃、出る。
ぶらぶら歩いては、運動にならぬと思い、
サクサクと、歩く。
昭和通りを渡り、アメ横を突っ切る。
連休で人出も多い。
ヨドバシカメラ前で、中央通りを渡る。
正面の黒門口。石段を上がる。
公園内。
最近、東京都の許可証を持った
大道芸人をよく見かけるようになった。
東京都では「ヘブンアーティスト」といって、
支援をしているようである。
噴水広場を抜けて、国立博物館前に
たどり着く。
だいぶ汗をかいた。
チケットを買って、入る。
特別展は、いつものように左奥の、平成館。
入り口を入り、エスカレーターを上がり、
展示室へ。
この「皇室の名宝─日本美の華」展は二期に分かれており、
今月が「1期 永徳、若冲から大観、松園まで」(11月3日まで)、
来月が「2期 正倉院宝物と書・絵巻の名品」(11月12日〜11月29日)
と、いうこと。
1期の今は、さらに、
■1章 近世絵画の名品
■2章 近代の宮殿装飾と帝室技芸員
に分かれている。
1章は、先の永徳の「唐獅子図屏風」以外には
伊藤若冲、円山応挙、酒井抱一など。
中でも、若冲は、「動植綵絵」と題される、
動植物の掛け軸が、30幅も展示されている。
だいたいにおいて、なぜ、これだけの美術品が
皇室のものなのか、ちょっと不思議な感じもする。
展示されているものの札を見ると、所有は、
「三の丸尚蔵館」と、御物。
御物は、ギョブツ、と読むが、
文字通り、皇室の所有、私有物であろう。
で、「三の丸尚蔵館」の方は、私は知らなかったのだが、
以前は、皇室の所有であったものを、昭和天皇の崩御の後、
国有財産に寄贈された美術品などを展示するところとして、
93年に開館され、一般に見ることができるようになっていた
らしい。
ちなみに、御物とこの「三の丸尚蔵館」所蔵のものは、
国宝、重文の指定対象外という。
従って、狩野永徳の「唐獅子図屏風」などもそうとうに有名だが
国宝ではないようである。
「唐獅子図屏風」。
狩野永徳は、安土桃山時代の最も有名な画人。
狩野派、と、いえば、この人。代名詞のような人であろう。
この「唐獅子」は秀吉から毛利家に送られ、
明治に入り、皇室に献上されたという。
(出典:ウィキペディア)
これはまあ、写真も含め、見たことがあるので、
こんなものか、という感想。
だが、やはり、若冲が、すごい。
伊藤若冲は、江戸時代、正徳から寛政、
江戸中期、と、いってよかろう。
京都の人。
以前は、一般には、ほとんど名が聞かれなかったが
この十年ほど、再評価され、俄然、人気になり、
私も、TVで視て、気になっていた。
ご存じの方もおられよう。
なにがすごいのかというと、その細かさ、緻密さ。
多くが、動植物なのだが、鶏の羽毛のケバ一本一本の
質感までも感じられるような精密さで、描かれている。
また、その構図も大胆。
実際にそばで観ると、圧倒されるものがある。
また、ある種、図鑑のように魚や、虫、爬虫類なども
精密だが、どこかユーモラスにも描いており、
観ていてたのしくもある。
やっぱり、こんなものが、なぜ皇室のものだったのか、
少し不思議。
もとは、若冲が京都の相国寺(金閣寺のあるお寺、で、あ。)
に寄進し、相国寺から、いつ頃のことかわからぬが、
皇室のものとなったという。(出典:同)
それから、酒井抱一。
酒井抱一は、昨年、ここで開かれた、
大琳派展で観た。
むろん、同じものがあるのではなく、
展示されているのは「花鳥十二ヶ月図」という12幅の掛軸。
http://f.hatena.ne.jp/jakuchu/20060630113023
http://f.hatena.ne.jp/jakuchu/20060630113022
酒井抱一は、江戸琳派の創始者というが、
あらためて観ても、やっぱり、うまい。
端正で、整った絵を描く人。
いかにも、大名らしい、というのであろうか。
これがなぜ、皇室のものであったのかは、不明。
さて。
後半。
「■2章 近代の宮殿装飾と帝室技芸員」。
これは、なるほど、皇室らしいというもの。
明治以降、天皇即位などの記念に献上されたもの。
あるいは、美術界を保護育成すために作家を顕彰する目的で
宮内省が設けた「帝室技芸員」という制度があり、
これに選ばれた作家の作品を宮内省で買い上げた
と、いった、作品群。
掛け軸、屏風などの絵画もあれば、
友禅染の巨大な掛け物のような織物、
彫刻などの置物、彫金、陶器、などなど。
雑多なもの、と、いってもよいかもしれない。
さすがに、宮中にあったもので
技巧も当代一の作家達の作品で、優れているのであろうし、
どれも整っており、気品、品格、といった形容詞が
あてはまる。
目に付いたもの。
高村光雲の、矮鶏(ちゃぼ)という彫刻。
おそらくテレビであったと思うが、過去に
観た記憶があった。
白木の小さな作品だが、左甚五郎の逸話ではないが、
まるで、動き出しそうなもの。
竹内久一の、明治天皇像。
置物というと、怖れ多いようだが、立体物である。
明治天皇崩御に際して、献上されたもののよう。
高さ、30〜40cmの明治天皇が玉座に座られている
像なのだが、色もついており、リアル。
写真などで、明治天皇は見たことはあるが、
あの、髭を生やしたお顔で、儀典用の軍服であろうか、そんな服装で
威厳を湛えて正面を向いて座している姿は、当時の
天皇というものの存在が想像できるようであった。
崩御に際して、こういうものを作らせた、というのも興味深い。
鏑木清方の、讚春。
六曲一双の屏風。
鏑木清方は、明治から昭和にかけて活躍した美人画を
得意とした、日本画家。
これは、昭和8年(1933)の作品で、昭和天皇即位の
記念の献上であったか(うろ覚え)。
これは、モチーフがおもしろい。
右が、皇居前の御苑でたのしくたわむれる、セーラー服姿に
お下げ髪の良家の女子学生。
左は、隅田川が流れ、遠景に鉄橋
(形から、清洲橋のようにも見えた)が見え、
手前に、木造の船に乗った水上生活者の
着物姿の母が、乳飲み子を抱いている姿。
民たちは、上下問わず、陛下の世を奉祝しております、
というようなメッセージらしい。
むろん、絵の技巧はすばらしいのだろうが、
日本画の屏風に、取って付けたように、鉄橋が描かれたり、
献上するというので、むりやりモチーフを
作ったという印象がぬぐえない。
が、それが、なんとなく、微笑ましく
作者の人間らしさ、のようなものを感じた。
(鏑木清方を評価できるような知見は私には
まったくないので、あくまでこの作品を観た
印象である。)
(他にもあったのだが、
図録を買わずに帰ってきてしまったので、
作品名、作家など、忘れてしまい、
うろ覚えで書くのは、控える。)
作品そのものの見事さ、というのもあろうが、
これらの品々に囲まれていた戦前までの皇室の有様のようなものを、
少し、垣間見られたような気がした。
宮中、皇室は、江戸期と、明治以降終戦まで、
終戦後今までと、その存在は大きく変化している。
江戸期というのは、京の都に帝(みかど)としてあったが、
ご存じの通り、江戸幕府によって、厳しく締め付けられ、
財政も苦しく、天皇にしても、宮中にしても、名ばかりであった。
従って、展示されている作品の多くは、江戸期のものとはいえ、
永徳の「唐獅子」にしても、若冲の掛け軸にしても、
皇室の持ち物となったのは、明治以降のよう。
他のものも多くは、おそらくそうではなかろうか。
(実際にはどうなのであろうか。逆に江戸期から
持っていたものがあるのであれば、それはどんなものか、
というのが、気になってくる。)
また、明治期以降、天皇家、皇室が日本の美術、工芸界に
及ぼした影響というのもある程度認識が新たになった。
(むろん、それがすべてではなかろうが。)
また、それまでの宮中の伝統と、近代の宮中、天皇家へと
変化をしていった、過程が多少は透かし見られた。
先の、鏑木清方の屏風などは、その迷いの過程のようにも
思われる。
よくよく考えるとこのことは、天皇家に限ったことではなく、
現代の我々一般の国民においても無縁なことではなく、
日本の文化全体の問題といえるだろう。
江戸以前の文化と明治以降の近代、そして戦後からさらに
現代の文化と、様々な様相の違う文化を重層的に
今の我々は背負っている。
(そもそも、そういう背負っているという意識(知識?)が
あるのか、という問題もあるが。)
過去をどう背負い、現代において、どう位置付けるのか、
また、未来に向かってどういう絵を描くのか、と、いう問題。
これは、毎度書いているが、我々はどこからきて、
どこへいくのか。我々日本人とは、なに者であるのか、
ということを明らかにすることのように思われる。
むろん、簡単に結論を出せるようなことではないが、
今回の「皇室の名宝」を観て、あらためてそんなことを考えた。
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