断腸亭料理日記2009

蕎麦・上野・蓮玉庵

6月3日(水)夜

今日なども、随分と暑かった。

それも原因であったのだろうが、
無性に今日は、池之端の藪蕎麦へいきたくなった。

今、一番私がくつろげる蕎麦やが、ここ、である。

なん度も書いているが、店構えから、中の雰囲気、
注文を通す声、はしらわさびなどのつまみ、
そしてもちろん、そばも。
すべてが、私にとっては、なんの文句もない。
〆て、もっともくつろげる蕎麦や、ということになる。

ここにいくとなると、7時前には店に入りたい。
6時半前、さっさと片付けて、帰る。

牛込神楽坂まで急ぎ、大江戸線に乗って、上野広小路で
降りる。広小路から、裏通りに折れ、、、、、
路地の角に出ている、なんの気なしに目に入った、風俗店の
看板。『今日は○○デー』。

ん?

あれ?!今日は何曜日?

え!スイヨウビ、ダ。

そうなのである。
池の端藪は、水曜休み。

以前に、学習をしないものだから、なん度も水曜にきて、
その度に、店前で、ああ、そうだった、と、
気が付く、ということを繰り返していたのであった。

最近はやっと、覚え、水曜にはきてしまうことはなかったのだが、
久しぶりにやってしまった、、。嗚呼。

あきらめきれず、店前まできてみても、
休みは休み、、シャッターがむなしく下りている。
(なにか、二日続けて、思惑はずれ、で、ある。)

はてはて。

天神下の大喜で、ラーメン、という気分にもなれないし。
一心の鮨、でもないだろう。

丸井裏までいって、上野藪?それならいいか、と
考え直し、仲町通りを広小路まで戻り始める。
(実は、帰りに気が付いたが、上野藪も、
水曜定休なのではある。)

と、おお、そうだ。
蓮玉庵。
早い時間なら、ここは、やっていたはず。

広小路に出るすぐ手前、右側。

暖簾が出ている。
だいじょうぶだ。

入る。

やはり、比較的すいている。

ここの創業は江戸、幕末の安政6年。
明治の頃、作家文人の行きつけも多く、様々な小説、エッセイ、
歌、などにも詠まれている。
のではあるが、現代のこの店の雰囲気には、
池の端藪ほどの、味わいは、残念ながら、ない。

まあ、よい。
今日は、ゆっくりやろう。

すいたテーブルに座り、ビール。

つまみは、なにかな?
壁に、穴子ゆず味噌、650円、というのが、
書いてある。
これはなにかと聞いてみると、どうも味噌味の
煮凝りのようなもの、の、ようである。

もらってみる。


ゆず風味のなめ味噌のようなもので穴子を固めたもの。
そんな感じ、で、あろうか。

うまいし、なかなか、乙なもの、で、ある。

お通しは、昆布の甘辛の佃煮。

もう一つ、なにかもらおうか。
メニューを見る。
意外に、多くはない。
板わさなど、定番のもの。

お?

つくね、というのがあるぞ。
つくねといえば、鶏のつくね、で、あろう。
頼んでみる。


ちょっと、かわっている。
表面がパリッと、焼かれている。

黒いのは、やはりゆず風味のなめ味噌。

仕上げに、せいろ。


藪の黒い蕎麦に慣れているせいか、
ちょっと物足りない、白っぽい蕎麦。
汁は、濃いめで、うまい。

この店は、その昔は今の鰻やの伊豆栄の並び、
不忍池側に建ち、入口もそちら側であったようだ。

蓮玉庵の、蓮は、むろん蓮(ハス)。

これだけは、今でも変わっていないが、不忍池は
これから夏、一面、蓮の大きな葉っぱと、花で一杯になる。

昔は、不忍池といえば、蓮、ということ
になっていたようで、弁天様のある島の茶屋などでは
蓮飯、なるものも出した、という。

大田南畝先生、五十五歳の頃の日記『細推物理』には、
こんな記述がある。

つとにおきて、不忍池のはた、蓬莱楼にて蓮飯くはんとて、

馬蘭亭(人の名前、狂歌仲間)をとふ。(中略)蓬莱楼に

いたれるに、池の面蓮の花さかりにして、ちり過ぎたるも

みゆ。鷭(バン、水鳥)の水草がくれに鳴など、唐の画に

てもかかまほし

(大田南畝全集第八巻:岩波書店)

蓮飯、とは、どんなものであろう。
食ってみたいものである。

あるいは、こんなものもある。
季節は違うが、冬枯れの不忍池。


蓮枯て弁天堂の破風赤し


根岸在住の頃であろうか、子規の句である。
お堂の赤い色が目に浮かぶような印象的な句である。

また、断腸亭、荷風先生は、


不忍の池に泛(うか)ぶ弁天堂と其の前の石橋とは、上野

の山を蔽ふ杉と松とに対して、又は池一面に咲く蓮の花に

対して最もよく調和したものではないか。

(永井荷風・日和下駄:講談社文芸文庫)


と、南畝先生と同様、蓮の花、弁天堂、上野の山の緑の
調和した美しさを指摘している。

蓮玉庵ができた頃の話、で、ある。

蓮の花は今でも、夏になると咲き、上野の山も
一応のところ、緑は茂っている。
しかし、書かれているような美しさを、
今、不忍池、上野の山で感じることは、難しかろう。

様々なビルが立て込んでいるまわりの景観だからであろうか。

今度また、上野の山に登って、不忍池を眺めながら
考えてみようか。





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