断腸亭料理日記2009

鳥越祭(と鰹一本) その2

6月6日(土)

鰹の刺身を食って、またまた、転寝。

4時過ぎ、起きて、私は担ぐわけではないのだが、
一応格好だけだが、準備を始める。

町内の祭半纏は、事前に係りの方の家に
内儀(かみ)さんが借りにいってあった。

半纏の下には、鯉口というシャツを着る。
これは、なんというのか、七分の袖で、前にボタンがあり、
板前さんが着ていそうなシャツ。
私は、白だが、様々な色のものや、柄ものもある。
色や柄が入ると、まあ、多少、ガラがわるく、あるいは、
粋に見える?そんなものである。

他には、腹掛(はらがけ)、ダボシャツ、というのもある。
腹掛は、大抵は藍の、昔、よく職人が着ていたもの。
佐川急便の飛脚の上半身、、おわかりになろうか。
下はこの場合は、同じ藍色の股引。
また、腹掛けの場合もその下には、鯉口のシャツを着るのが
一般的であろう。(特に女性の場合は。)
鯉口を上に着ると、下は、まあ、褌、そのまま、
あるいは、白い短パンのような、半股引。

ダボシャツの下は、ダボ股引。
これが一番ガラはわるかろう。
上下のバリエーションは、こんな具合か。

これに半纏を引っ掛けて、帯を〆る。
帯というのは、東京の祭では、きちんと〆るのが基本。

幅の狭い(7cm、二寸か。)の木綿の角帯が一般的である。
よく、ガラのわるい人の〆る帯を、そろばん玉の三尺、
などというが、兵児帯のような縮緬(ちりめん)で、
ツブツブの模様(これがそろばん玉)の入った帯を
〆ている人もいる。
(落語だと、らくだ、に出てくる。死んじゃったらくだの
兄貴分、丁の目の半次に、この形容を使ってるのを
聞いたことがある。)

やはり、結局、ガラのわるい、のが、祭衣装の基本、
と、いうことになろう、か。

〆方は、角帯は、普通の貝の口。

ここまで書いたら、足も書いておこう。

基本的には、地下足袋。
白だったり、股引の紺に合わせて、紺。
(地下足袋は、祭用として売られているものもある。
地下足袋の上に、草鞋(わらじ)を履く人もいる。)
また、雪駄や草履で、担ぐときには、帯にはさんで、
裸足、という人もいる。

結局、祭の衣装とは、ようは、職人の格好、で、ある。
この他に、手ぬぐいなども含めて、
浅草になん軒もあるが、皆、祭衣装やで、売っている。

そして、肝心の半纏。

毎度書いているが、東京では法被(はっぴ)とは
いわない。半纏(はんてん)、で、ある。
どうも世の中では、あれのことを、全国的にであろうか、
法被と呼ばれているが、東京では断じて、法被とはいわない。
ハ・ン・テ・ン、で、ある。

ともあれ。

半纏の、色や模様は、前にも書いたように、町内の揃いのもの。
同好会の人々は、オリジナルで作ってもいる。
だが、同好会の半纏で神社の神輿である、本社神輿はもちろん、
町内神輿といえども担いではいけない。
このルールは、東京では共通であろう。町内の半纏を着た者だけが
担げるという決まり。よって、同好会のような外からきた人々は、
担ぐ人に、順に渡していくのである。
(三社のような人気のある祭では、このオフィシャルな
担ぐ権利を有する半纏は、お金で売り買いされているとまで
いわれている。)

ともあれ、半纏は、町内で支給されるので、選ぶことはできない。
うちの町内は短いものが大半。
いわゆる、尻切り半纏。
(よく、落語にも出てくるが、博打で負けて、身ぐるみ取られて
尻が出る丈の半纏だけ借りて、帰ってくる、という姿、で、ある。
ちょうど、文七元結の親爺、長兵衛がそうである。)
この長さの半纏に褌姿。つまり、尻丸出し、という“粋”な
方もよくいらっしゃる。

半纏で格好がよいのは、長いもの。
長半纏である。鳶頭(かしら)をはじめ、鳶の皆さんは、
やはり、長いものである。

頭は、まあ、手ぬぐいの鉢巻き。
結び目は後ろ、が多いであろうか。
(鉢巻きではなく、かぶって後ろで結ぶのも
多いかもしれない。)

鉢巻きの巻き方は、細く巻くのが一般的であろうか。
柄は同好会などは、区別する都合で、同じものを
しているのをよく見かける。
また、祭といえば、豆絞り、が、思い浮かぶが、
今、豆絞りで、鉢巻きをしている人はいない。

さてさて。

祭の格好のことが長くなってしまった。
流行り廃りがあり、やはり、祭は粋なもの、
格好も大切、で、ある。

そんなこんな。

私は、半纏に細い木綿の角帯、色は山吹のような濃い黄色に、
吉原継ぎ模様のものを〆て、足元は、雪駄で、内儀さんと出る。

神輿は、御酒所の前から出る。

そうである。
御酒所、というもの。
ミキショ、と読む。


これは、町内神輿の担ぎ始め、で、ある。
この写真で、神輿の向こう側に見えるのが御酒所。
〆縄があり、町会の提灯があり、中には文字通り、
お神酒やら(神棚もあっただろうか。よく覚えていないが。)。
町会や、睦(町会の中の、祭の運営組織)の役員さん、
まあ、長老(お爺さん)の方々が、鮨なんぞを
つまんでいるところ。町の祭運営の本拠、で、ある。

この御酒所、といういい方は、どうなのだろうか、
日本中で同じなのだろうか。
よくわからぬが、東京では昔から、そういっていると
思われる。
他の町の御酒所の前を担いで通る場合など、
挨拶という意味であろうか、神輿を御酒所に向けて、
高く差し上げたりすることがある。

さて。

担ぎ手が集まり、神輿を先導する睦の会長さんが簡単な
注意をして、一本〆。首に掛けた、拍子木を、カンカンと
二回鳴らして、担ぎ始める。
この一本〆は、担ぎ終りも一緒。

鳥越の(うちの町内だけではないと思うが)掛け声は、
そいや、でもなく、わっしょい、でもなく、
おりゃ、おりゃ(もしくは、うりゃ、うりゃ)である。
これも、最初に注意される。

毎年同じだが、我々の町内は、鳥越神社の氏子でも
北部八ケ町といい、春日通りの北側の八ケ町で一つのグループ。
この北部八ケ町で、集まって、連合渡御、ということになる。
集合場所まで、元浅草の路地を折れながら、担いでいく。

途中、一回ほど休み、浅草通りを渡る。


集合場所も毎年だいたい同じだが、
今年は、浅草通りを渡った、北松山町の路地。
(ここが鳥越神社の氏子町内では、最北である。
現在の町名では、松が谷の一丁目。公園の脇の南北の路地である。)
ここまでで、一時間ほどだろうか。

集まって、今度は、一列になって南下しながら担ぐ。


暗くなってくると、神輿に提灯を揃って付け、ろうそくに火を灯し、
またまた、列になって担ぐ。
これが様子がきれい、なのである。

そして、町内に戻ってくるのは、9時頃、で、あろうか。
5時から4時間、交代はするが担ぎ手は、くたくた、で、あろう。
しかし、ある種、入り込んでいるので、担げる、のであろう。
なかなか、たいへん、で、ある。

私などは、毎年そうだが、神輿について歩きながら、缶ビールなどを、
そこここの酒屋の自販機で買い、呑みながら、
また、阿部川町あたりの屋台で焼きそばを買い食い。
結局、途中で落伍。
帰ってきてしまった。
(内儀さんは、一度帰宅したが、再度出ていき、町内神輿が御酒所に
戻るまで、つき合ったようであった。)

祭というのは、基本的に、他所のものであっても、見ているだけで
楽しい。その上、自分の町内のもの、となると、それは段違い。

またくもって、よいもの、で、ある。

(今日は、食いもののことは、なし、に、なってしまった。
あしからず。)




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