断腸亭料理日記2009

鳥越祭と鰹一本 その1

6月6日(土)第二食

焼鳥で、一杯やって、転寝(うたたね)。

昨晩、実は、先日、食べたいと思った、
瓜を見つけて、買っておいた。
ころがる前に、この白瓜をワタを抜いて、スライス。
雷干しにしようと、網にのせて、置いておいた。


さて。

今日から、拙亭のある界隈は鳥越祭、という祭り。

ご近所にお住まいの方には今さら説明をする必要もないが、
浅草、下谷、神田などの下町は、5月に入ると、
下谷神社の下谷祭などから始まり、三社(浅草神社)、神田(神田明神)、
その他、毎週どこかで、祭りが行なわれている。
先週は、蔵前・柳橋の第六天神榊神社のお祭りであった。

そして、毎年、梅雨入り直前の今頃、最後になるが、
我々の鳥越祭が行なわれる。

台東区、それも(広い意味での)浅草、下谷地域は各神社の氏子町内が
びっしりと決まっており、すべての町内がどこかの神社の氏子で、
ほとんどの神社で毎年、神輿の出る祭りがある。
(影祭り、本祭りと、年によって、神輿の出ない年があるお祭りもあるが。)
つまり、この界隈に住めば、もれなく、神輿が担げる祭りに
参加することができる、ということである。
(町会によっては、マンションの住人は町会に
入れてもらえない、あるいは、マンション自身が町会に入らない、
なんというところもあるようだが、、。)

私は、東京も郊外、私鉄沿線の練馬区で育ち、結婚し、
世田谷の明大前、その後、下町ではあるが、
葛飾の東四つ木と移り住んだ。
しかし、すべてのところで、こうしたきちんとした、住人が参加する
お祭りが存在しているところというのは、なかった。

新興住宅地、あるいは、東京でも、戦後開けたようなところには、
村祭りの発展形のようなものはあっても、町の祭は、
基本的には、存在しない。あるいは、私のオフィスのある
牛込界隈などのいわゆる山手は、むろん、町としては江戸の頃からあるが、
もともと武家屋敷で、氏神様は決まっていて、祭はあっても、
町会単位で、それももれなく揃いの半纏を着て、町内神輿を担ぐ、
というような習慣はないところが多い。

そういう意味では、下谷浅草は、今となっては、
かなり稀有な地域、と、いって差し支えないであろう。
こうしたところに住んだことは、私には、とても
うれしいことであった。
(地元に代々住んで、今も住んでいる方々は
また別の思いがあるのだろうが。)

それは、日本民俗学を学生時代学んでいたというのも
むろんあるが、生来、祭り、と、いうものが、
好きであったのだろう。
だが、私が、鳥越祭に対して思うのは、それだけではない。

民俗学や、文化人類学では、祭、というのは、様々に定義がされるが、
中でも、やはり、そこに住んでいる人間の結束の確認、
歴史を踏まえた地域アイデンティティーの発露の場というような
観点、である。

東京という都市にあって、鳥越祭を含め下町では多く、
町内会があり、住人には、老若男女含めて、残そうとする意思と、
関わろうという意思が明確に存在する。
(義務ではなく、楽しむべきものとして。)

先日来“下町のにおい”について書いている。
祭は“におい”ではなく“下町そのもの”といってよいだろう。

今、下町の祭は、神輿担ぎを趣味とする同好会と呼ばれる
グループの助けを借りているところが100%であろう。
このように、完全に、伝統的な住民だけの祭、という形は
今はなくなり、形式化はしている部分はあるが、
例えば、先日書いたような、昔からの江戸文字で町名を
デザインした町内揃いの半纏(はんてん)を着る。
江戸町火消しから続く鳶頭(かしら。鳶の頭)や、
鳶の若い衆が彼らの半纏を着て、祭を仕切り、働く。
こういったものは祭のそこここにあり、江戸からの下町人の生活文化が
明瞭に継承されている姿、で、ある。

我々がどこからきて、どこへ行くのか。
日本人は、特に、東京(山手以西?)に住む人々の多くは、
既に、どこからきたのかを、望むと望まざるとに関わらず、
おおかた、忘れてしまっている。
かくいう私もそうであった。
だが、それは、どう考えてもよいことではない。
過去があり、今があり、未来がある。それが人間の営み
というものである。

私は、この町で生まれ育ったわけではないが、
下町のお祭りは、我々がどこからきたのかを、思い出させてくれる、
大切なもの、である。

そして、町内のお爺さん、お婆さん、旦那、お内儀さん、若旦那、
生まれ育った若い兄ンちゃん、お姉ちゃん、数はそう多くはないが
その子供達、そして働いている人々(学んでいる学生も。
〜私の町内には、都立高校があり、この生徒も町内神輿を担ぐ。)
そういった、町に関係する人すべてが(見るだけも含めて)
今も、楽しんで参加する。
下町の祭は、依然として、まだまだ、生(なま)でリアルである。
だから、素晴らしい、と、思うのである。

むろん、日本中に伝統的なお祭りは数限りなくあるし、
また、京都の祇園祭をはじめ、都市の祭も続いているものは
いくつかはある。しかし、過去のものをどんどんと捨て去っている
東京という都市にも、ほんの痕跡かもしれぬが、江戸や昔の東京を
感じられる祭が、生でここにあることが、素晴らしいのである。

そんなこんなの、地元のお祭り、鳥越祭。

鳥越祭は、別名夜祭、というくらいで、夜が主、である。

普通、三社祭にしても、土曜日の昼間は、町内の神輿渡御、
日曜が、本社神輿といって、神社にある神輿の渡御となっている。

鳥越も土曜は町内神輿を、数町集まって一緒に担ぐのだが、
決まって夕方から。
担いでいるうちに、暗くなり、提灯に火を入れて、町を担ぎ歩く。

と、いうことで、昼過ぎは、まだ、なのである。
そこで、いつものように、アメ横に、魚を見に出る。

町内の御酒所(みきしょ)などは用意万端だが、神輿もまだ、
テントの中に、入れてある。そうしたわけで、人もまばら。

雪駄で歩き。

アメ横の魚や、なのだが、実は、今日はあてがあった。
なにかというと、鰹。

朝のニュースでシーズン真っ盛りということで、
千葉の勝浦で、かつお祭、をやっているといっていた。
それで、食べたくなったのである。

今年は、4月に一度、一本買って、食べてはいる。
(押し寿司など作って、結果としてはイマヒトツ、で、あった。)

ちょっとだけ、リベンジ、と、いう気持である。

アメ横の魚やにきてみると、鰹はあった。
800円。
(ついでに、めじまぐろもあり、こっちは、1000円。)

迷わず買って、真っ直ぐ帰宅。


こんな感じ。
今日は、試しに重さを量ってみた。
すると、1.7kg。

今朝のニュースでは、2〜3kgの鰹、と、いっていたので
やっぱり、アメ横で売っているものは、小さいものであった。
4月におろした時に、疑問に感じた白っぽい身の色。
子供だから?と、いう推測をしていたが、
やはり、小さいことは間違いない。
だから、この値段なのであろう。

すぐに、刺身にして食べてみよう。
頭を落とし、腹を割き、洗い、半身中骨からはすす。
骨のある方は、ラップに包んで、冷蔵庫に。

4月は随分身が白かったが、今回はもう少し赤くなっている。

骨のない方はさらに半分、サクにする。

ここで刺身包丁に持ち替え、皮を引く。
血合いを取る。

あとは、刺身に切り分ける。
薬味にしょうがをおろす。

瓜の雷干しは、2時間ほど干せばよいので、
このくらいでOK。

金山寺味噌を添えて、出す。


ふむふむ。

さっぱりして、うまい。

4月よりもよいかもしれない。

瓜もみも、うまい。

と、いうことで、5時の、神輿出発まで、またまた、
うたたね。

(食って、呑んで、寝て、、の、繰り返し、で、ある。
これは、ヤバイ、かも、、。)





断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5 |

2004 リスト6 |2004 リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10 |

2004 リスト11 | 2004 リスト12 |2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005 リスト15

2005 リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20 |

2005 リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006 6月

2006 7月 | 2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006 12月

2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月

2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月

2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月

2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月

2009 5月 | 2009 6月 |



BACK | NEXT |

(C)DANCHOUTEI 2009