断腸亭料理日記2008

歌舞伎座・

吉例顔見世大歌舞伎・

盟三五大切

11月8日(土)

さてさて。

うどんを食ったあと、ふと、
歌舞伎を観にいこうと、思い付く。

歌舞伎座で、なにをやっているのかと、調べてみると、
歌舞伎座百二十年「吉例顔見世大歌舞伎」ということで、
昼の部は、次のような演目のよう。

***************

昼の部

一、通し狂言 盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)

  序 幕 佃沖新地鼻の場      深川大和町の場  

  二幕目 二軒茶屋の場       五人切の場  

  大 詰 四谷鬼横町の場      愛染院門前の場

          薩摩源五兵衛    仁左衛門

          芸者小万      時 蔵

          笹野屋三五郎    菊五郎

二、玩辞楼十二曲の内 廓文章(くるわぶんしょう)

  吉田屋

          藤屋伊左衛門    藤十郎

            扇屋夕霧    魁 春

*************

むろん、幕見、で、ある。

「盟三五大切」というのは、はっきりいって、なにも知識がない。
少し調べてみると、ほほ〜、鶴屋南北作という。

鶴屋南北は先日の駒形のうなぎや、前川のところで書いたが、
文化文政の頃に活躍した、歌舞伎の作者。
代表作は、お岩さんの「東海道四谷怪談」、だ、そうな。
(正直のところ、鶴屋南北と四谷怪談は結び付いていなかった。)

それから、「天竺徳兵衛韓噺」(てんじくとくべえいこくばなし)。
これは、落語ファンならご存知か。
落語、蛙茶番に使われている演目。
(ちなみに、四谷怪談も、落語にはなっているが。)
といった、鶴屋南北に関する、予備知識。

それから「盟三五大切」の予備知識を簡単に調べ、
頭に入れる。

歌舞伎というのは、予備知識なしで見ても、
はっきりいって、筋すら理解できないのである。
色んな伏線があったり、様々な別な芝居が下敷きになったりしている。
(この程度の予備知識はあった。)
案の定、この「盟三五大切」も、「四谷怪談」と
さらに「忠臣蔵」から話がつながっているようである。

「盟三五大切」の大詰、の、券の売り出しが、12:30〜。
列になるとして、今から出て、12時に着いていれば
だいじょうぶであろう。

外の様子を見てみると、小雨がまだ残っているが、
天気予報では、あがる方向である。
自転車でよいだろう。
寒いので、セーターにウインドブレーカーを着込んで、出る。
まったく、秋を飛ばして、冬になったようである。

一所懸命に自転車をこぐと、温かくなるだろう。
清洲橋通りを南下し、靖国通りを越えて右へ。
昭和通りの一本手前の路地を左に入り、昭和通りに沿っていく。
裏通りの方が走りやすいのである。

日本橋本町、日本橋川にぶち当たり、
一度昭和通りに出て、江戸橋を渡る。
再び、一本裏の通り、左側に今は首都高が走っているが、
旧楓川脇を、走る。宝町、味の素の裏やらを抜ける。

今度は、上に首都高が走るところにぶち当たる。
ここは、旧京橋川。橋の名前は、白魚橋といったようだが、
今は、欄干もなにも残っていない。
ここから、銀座。
旧町名だと、むろん銀座ではなく、木挽町。
この路地は、行き止まりになるので、右に曲がり、昭和通りに出る。
もう、三原橋の交差点、歌舞伎座、で、ある。

速かった。
11時半に元浅草を出て、11時45分。
15分で着いてしまった。

自転車をガードレールにくくりつけ、幕見の窓口に。
すると、まだ誰も並んでいない。

お昼前だからか、人気がないのか?。
以前に、発売開始前だが、すごい列で
入れなかったことがあった。

のどが渇いたので、お茶を買ったり、一服したり。
しばらくすると、列ができ始める。
先頭の方は、緋毛氈(ひもうせん)の掛けられた、縁台。
座って、本(勝小吉の「夢酔独言」)を読みながら待つ。

12時10分すぎ、若め、の女性が「私、帰るのですが、
この券、まだ見られますので、どうぞ」と、
三階席の昼の部の券を差し出した。

おお!。
それじゃあ、折角ですから、といただいてしまった。

幕見以外で歌舞伎を観るのは、初めて。
幕見は、最上階で、入口も違うのだが、
三階席とはいえ、正面から入れる。

入ると、ちょうど、二幕目が終わったところであった。
席は、三階席の上の方、下手側の端っこ。
まあ、舞台までの距離は、幕見の席と大差ないが、
昼の部通しの券なので、「盟三五大切」だけではなく、
次の「廓文章(くるわぶんしょう)吉田屋」も続けて見られる、
というおまけ付き、で、ある。

しばらく、休憩時間。
この休みは、食事時間で、幕の内弁当やら、
お客さんはお昼を食べている。

私は、ロビーで、缶ビール。

さて、ブザーが鳴り「盟三五大切」の大詰の幕が上がった。

片岡仁左衛門屋号は、松嶋屋。

中村時蔵屋号は、万屋。

尾上菊五郎屋号は、音羽屋。

それぞれの役者の素顔は多少は知っているのだが、
芝居で観るのは、初めて。
幕見席でも同様だが、あまりにも遠くて、わからない。

これが勘三郎だったり、吉右衛門だったり、幸四郎、
團十郎、海老蔵、橋之助、あたりであれば、声や身体の動きで
わかるかも知れぬ。
しかし、今日の、看板三人は、私には、少しハードルが高い。
むろん、歌舞伎界では、大看板なのであろうが。
(普通に、ドラマなどに出ているかどうかは、
歌舞伎素人には、大きな違い、で、ある。)

ともあれ、一応、筋も追えたし、楽しめた。
南北の作品としては、現代では評価は高いようだが、
実際に観てみると、なるほど、筋がかなり複雑にひねってあり
おもしろいのだが、いかんせん、地味。

この日記にも書いたが、以前に観た「籠釣瓶花街酔醒」
これは、吉原が舞台で、仲ノ町の桜の花やら、花魁の衣装やら、
そうとうに派手であった。

これと比べれば、通好み、なのだろう。
そばの、さほど、入れ込んでもいなそうな、おば様など、
うつらうつら、船を漕いでいた人も見受けられた。

さて、おまけの、「廓文章(くるわぶんしょう)吉田屋」。

坂田藤十郎屋号は、山城屋。

歌舞伎には、荒事(あらごと)と、和事(わごと)という
ジャンルのようなものがある。
もともと、歌舞伎は、ご存じのように、
上方、京大坂で始まったもので、
こちらは万事柔らかい芝居で、和事。
これに対して、江戸で盛んになったのが、荒事。
市川團十郎家のお家芸。

坂田藤十郎は上方歌舞伎の大名跡で和事の権化のような人
と、いってよいのであろう。

私は、伝統芸術の鑑賞、という意味で、しっかり観た。

しかし、今度は、後ろに座っていた、男性が、
いびきまでかいて、寝始めた。

やはり、通好み、、、なのか、、。

筋はたいしてなく、わかりやすいが、
まあ、寝てしまう、男性の気持もわからぬでもない。

はねたのは、四時前。

さて、なにを食べようか、、、。


歌舞伎座







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