断腸亭料理日記2008
11月20日(木)
さて。
突然であるが、休み、で、ある。
弊社には、むろん全社員というわけではないが、
リフレッシュ休暇という、連続一週間の休みがもらえる制度がある。
ご多分にもれず、あっても、取れない、というものでもある。
いつ休むかは、随分前に設定しておくのだが、
それが、今週、で、あった。
数週前から、急で、重い案件が入ったので、ほぼあきらめては
いたのだが、案の定、月曜にその案件に関わる会議が入り、
だめ。
結局、二日間、木金だけ、なんとか休めた。
まあ、特段、旅行などの予定を立てていたわけではないのだが
一つだけ。
芝居のチケットを取っておいた。
先日、歌舞伎座へいったが、
そこで、先月と今月、二か月に渡って、浅草寺の境内で
勘三郎の平成中村座が芝居をしていたことを知った。
(近所に住みながら、知らないもの、で、ある。)
毎年必ず、やっていたのかは、知らないが、
時折、浅草に仮設の芝居小屋を作って、芝居をしていた、
というくらいは耳にしていた。
チケットを調べてみると、夜や土日は、既に売切れで、
木曜の昼だけ残っていた。
休めるのなら、いってみようか、と考えていたのである。
チケットを予約し、休むぞ!、と決めた。
(予定を入れないと、なかなか、休む決心がつかない、
というものではある。)
朝は普通に起きる。
せっかくであるから、着物を着ていこうか。
この前、観音裏のそばやへいくのに、着物を着ていき、
休みの日などは、着物を着て出歩くのもよいか、と、
思ったのである。
特に、今日は歌舞伎。ヘンではあるまい。
11:30開演であるから、11時少し前に出ればよいか。
着物を着る。
いつもの御召しに白足袋、雪駄。
浅草寺裏まで、歩いて向う。
いつもであれば、観音様の裏へいくのであれば六区の方から
回るのであるが、今日は、なんとなく、雷門、仲見世側から、
いわば、正しい入口から入ってみようと考えた。
雷門にくると、驚いた。
こんな時間であるが、土日と同様に、混雑を極めている。
観光客、で、あろうが、早起きである。
外国人も多いようである。いわゆる欧米人だけではなく、
中国なのか、東アジア系の人も多そうである。
仲見世を歩くが、とてもだめ。
真っ直ぐ歩けない。
あきらめて、裏を通り、伝法院通りまでいって、
再び、仲見世通りに戻り、宝蔵門をくぐって、境内を裏側を回る。
既に、開演、10数分前になっていた。
クレジットカードを入れて、チケットを引き取り、入る。
中に入ると、売店の建物が手前にあり、劇場本体の建物。
仮設なのだろうが、しっかりしたもの、で、ある。
弁当(穴子鮨)を買って、外の喫煙所で煙草を一本吸って、入る。
中は、履物を脱ぐ、ようである。
ビニール袋を渡されて、そこに雪駄を入れ、持って入る。
もうほとんど、お客は揃っている。
席は一階。とはいっても、二階席までしかここはない。
見回すと、仮設の小屋であるので、むろんのこと
歌舞伎座ほどは広くはない。
一階の真ん中あたり。これならばよく見えそうである。
幕。
歌舞伎では、定式幕(じょうしきまく)、と、いうものだが、
ここのものは、例の、縞の、歌舞伎カラー、オレンジと緑、黒、ではなく、
緑がなく、白とオレンジと黒。
なぜだろうか、と、帰ってから調べてみると、
これは中村座固有のものだそうである。
ちょっとだけ、中村座のことを書いてみる。
江戸三座、というのを聞いたことのある方はおられるだろうか。
江戸で公に認めれていた芝居小屋が三つあった。
市村座、森田座、そして中村座。
中村座というのは、江戸歌舞伎では最も古い。
寛永元年 (1624) と、まだ、二代将軍秀忠、の、頃である。
以来、三座の中でも中村座は名門として続いたという。
今、勘三郎は、役者であるが、
中村座は初代の中村勘三郎以降、代々、座元といわれる
いわゆる興行主を務めていた。
そういう意味では、当代、十八代目が、自ら旗を揚げた
平成中村座、というのは、その頃の再現、と、いうこと
でもあるのである。
また、例の、大向こうから掛ける、掛声。
ご存じのように、音羽屋、播磨屋、成駒屋、成田屋、
などなど、様々あり、これはむろんのこと、屋号なのだが、
中村勘三郎家の屋号は中村屋。
これはもともと、中村座という家を持っていたということでもある。
(※下記、屋号について、ご参照。)
さて、柝(き、拍子木)が鳴って、幕が開いた。
演目は、隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)法界坊。
配役は、
聖天町法界坊 中村勘三郎
道具屋甚三郎 中村橋之助
永楽屋手代要助実は吉田宿位之助松若 中村勘太郎
花園息女野分姫 中村七之助
山崎屋勘十郎 笹野高史
番頭正八 片岡亀 蔵
永楽屋権左衛門 坂東彌十郎
永楽屋娘お組 中村扇雀
演出・美術 串田和美
勘三郎、橋之助、息子の勘太郎、歌舞伎役者ではない
俳優の笹野高史さんも出演している。
序幕、二幕目、幕間の30分があり、大喜利(最終幕)。
幕間には、ビールと穴子鮨を食い、はねたのは2時半頃。
歌舞伎座などよりは、演目が一つであるからか、
短かった。
ここで、粗筋を書いても仕方がないので
やめておくとして、感想だけ。
一言でいうと、かなり、おもしろかった。
今まで、先日の歌舞伎座と幕見が数回あるだけだが、
今回が、最もよかった、というのが正直なところ、で、ある。
さすがに、勘三郎、千両役者、エンターテイナー、である。
狭い劇場であるから、花道だけではなく、客席通路にも
役者が入り込み、勘三郎はお客と会話したり、勘三郎のペースで
お客はぐんぐん引っ張られ、どんどん引き込まれ、
大喜利では、屋外に作られた小屋ということを利用した
あっという仕掛けと演出を用意し、スタンディングオベーションで
終わった。
この法界坊という作品は、例によって、
歌舞伎の他の脚本にも多くあるような、
過去の様々な作品を、数多く、踏まえて、書かれている。
(最終的なこの作品の成立は寛政あたりのようである。)
そもそもの話の始まりは、伊勢物語の在原業平の東下りで
有名な「名にし負わばいざこと問わん都鳥 わが思う人は
ありやなしや」の和歌であるという。
こんなものも、今時、知らない人は、知らなかろう。
また、江戸の人々にはなじみの深かったモチーフだが、
今はあまり語られなくなった、
亡霊、怨霊のようなものも登場する。
そういう意味では、やはり、現代人の我々には、
なかなか理解しにくい難しいストーリーや、
ピンとこないものを数多く持っている。
しかし、それをものともせず、最後まで観客を惹きつけさせる
脚本と勘三郎の役者としての力量に、唸らせられるばかりであった。
難しい話、と、書いたが、先の伊勢物語ではないが、
舞台は、浅草聖天町だったり、三囲土手だったり、
隅田川だったり、ずばり、当地、浅草界隈が
主要な場所として描かれる。
大喜利の背景の絵なども、三谷堀があり、待乳山聖天の山が
書かれ、向島側から見た、浅草側。
観客すべてがきちんと理解できていたのか、
よくわからぬが、勘三郎のエンターテナー性だけの芝居ではない、
また違う思いも起こさせる、深さも、合わせ持っていたように思う。
そんなこんな。
帰りに、またまた、中村屋の家紋入りの
手拭いなんぞ買って、浅草寺の境内に出る。
よい気分であった。
一杯やって、なにか食べよう。
なにがよかろうか、、。
※屋号
歌舞伎役者の屋号、に、ついて。
屋号というのはご存じの通り、商売をする店の名前である。
越後屋、伊勢屋、紀伊国屋、などなどだが、その主人は
普通には、越後屋さん、伊勢屋さんと呼ばれ、また、正式には、
屋号の下に名前を付けて、紀伊国屋であれば、
紀伊国屋文左衛門、などと呼ばれた。
彼らは江戸の町で土地と家を持ち、商売をして、社会的には
お上から認められたいわゆる町役人であることが多く、
職人などとは違い、一人前の江戸市民としての地位を持っていた。
つまり、江戸では、屋号はある種の社会的地位を示すものであった。
これに対し、歌舞伎役者は当時、大有名人であるが
商人ではないので、店を持って、商売をしているわけではなく、
屋号はないわけである。(または、実際に役者は、江戸以前から河原者
などといわれていた伝統から、江戸期でも、四民よりも一段低い身分と
されていた時期もあったようである。)
そこで簡単にいうと、実質上、経済的社会的地位があって、
屋号はないのは不都合だ、というので
便宜的に店を持つなどして、屋号を名乗るようになったようである。
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