断腸亭料理日記2008

箱根湯元・はつ花そば

12月28日(日)昼

さて、朝飯を食い終わり、風呂に入り、
あがって、そうはいっても、一応は、年賀状を書きにきたので
あまりゴロゴロもしていられない。

書くために、お願いして、小さな机を持ってきてもらう。

年賀状を書きにきている、というのは仲居さんにも
話をしてあるので、放っておいてくれる。

13時前、昼飯に出る。

箱根の昼飯、というのは、宮の下の富士屋ホテル

湯元の洋食や、など、なんとなく、洋食を食べにいくことが多いのだが

今日は、そばが食いたい、と考えていた。

と、すると、湯元の街道沿いにもなん軒もできているが、
やはり、橋を渡ったところの、はつ花、だろう。
(池波先生も、確か、きていたと思われる。)

コートを着込んで、内儀(かみ)さんと出る。
むろん徒歩。

塔ノ沢から湯本までは、ちょい、で、ある。
運動にもならない距離。

福住楼を出て右、早川沿いに下ると、すぐに、
函嶺洞門、という、これ、なんというのだろうか、
トンネルのようなものなのだが、山側から張り出した
庇(ひさし)のような古い建造物が国道に架かっている。

今でいえば、落石よけ、というようなものなのだろう。

入口には、近代土木遺産と書かれた同様のプレートが貼られている。

近代土木遺産というのはなんであろうか。
この早川のすぐ下手、湯本の入口の旭橋にもプレートが貼られている。

ちょっと調べると、
明治から戦前までの土木遺産、ということらしい。
函嶺洞門は昭和6年、旭橋は昭和8年の竣工という。

箱根というのは、戦前のこの頃、旧街道から近代的な
道路へと変わっていったのであろう。

その洞門の外側、早川沿いの歩道を歩く。

しばらくいくと、小さなダムのような、早川をせき止めている
小さな堰といったような施設がある。
東京電力の管理のようなので、やはり、水力発電をしているのだろう。

水が堰き止められているので、川は渕になっている。
その渕に鴨であろうか、6〜7羽、えさを取っている。

洞門を抜けると、左に急カーブし、すぐに旭橋。
今、この橋は、上りと下りで二本架かっている。
旭橋と新旭橋。

橋を渡るとすぐに右にカーブ。
左カーブし、湯本の町。

一つ目を右に入る。
また早川に架かる橋があり、渡った左側の袂に、
はつ花そばが見える。

橋を渡って、店の前までくると、


予想はしていたが、列。

この店には新館というのもある。


ここからも見える。

早川はこの湯本で旧東海道の本道沿いに流れる、
須雲川と合流している。
新館はその合流点の下流側にある。

はつ花の本店の前を真っ直ぐに歩き、左に曲がる。
吉池のホテルが右側にあり、また橋。
この橋が、須雲川に架かり、橋のすぐ左側で早川と合流している。

新館は渡った袂を川沿いに左に入ったところ、
突き当りにある。

店に入ると、こちらも満席。
だが、列にまではなっておらず、帰る人もあるようで、
入れそうである。

二階へ。

階段に王監督のサイン色紙がなん枚も貼られている。
毎年、正月にこられていた頃があったのか。

あいた席に座る。

瓶ビールをもらって、つまみは天ぷらにしてみる。
そばは、私が大もりと、内儀さんは、せいろ。

ここの、せいろ、というのは、とろろのつけ蕎麦。
また、そばもとろろ(自然薯)をつなぎに入れたもの。
今、とろろをつなぎに入れたそば、というのは、
珍しくもないが、ここが元祖、と、いう。

ビールがきて、天ぷら。


そばを末広がりに形をつけて揚げたもの、隠元、なす、
海苔、それから、海老が二本。

ちょっと、天つゆが薄いが、天ぷらはうまい。

ちょうど、食べ終わって、呑み終わった頃、
そばもきた。

大もり。


内儀さんのせいろ。


東京のそばに慣れていると、とろろつなぎ、というのは、
なるほど、ちょっと違う感じである。
腰が強く、ちょっと、乾麺のそばのような感じもするが、
つゆの濃さは、十分。

うまかった。

階下で勘定をして、出る。

今日は、比較的暖かいのか。
ぶらぶら歩いて、国道のみやげもの街まで戻り、
毎年寄っている、藤屋という梅干しや
に、寄って、内儀さんが梅干しを買う。

ついでにここで、しいの、の、鰹の塩辛も。

東京、吉池などでも、売っているが、これも、毎年買っている。
いつも買っているのは、酒盗、なのだが、
隣に置いてあった、文字通り、鰹塩辛、と、いう
商品名のものを買ってみる。

(開けて食べてみた。


しいの、の、酒盗、と、鰹の塩辛、価格は同じ。
見た目が鰹の塩辛の方が白っぽく、塩気が強いような気がする。
製法、原料あるいは、両方違うのだと思う。
味は、鰹塩辛、の方が、苦味、くせが強いが、うまい。

なにか、子供の頃食べた、昔の味、というか。

と、いうのもヘンだが、一緒に住んでいた
酒呑みだった爺さんの影響であろうか、
私は鰹の塩辛やら、くさややら、こんなものが
好きな子供であった。)

店を出て、再び、ぶらぶら歩いて、福住楼まで戻る。



つづく。



はつ花


福住楼




地図




************************

本年も「断腸亭料理日記」ご愛読有難うございました。

皆様の2008年の大晦日はいかがでしょうか。
来る2009年が皆様にとりまして、よい年になりますよう、
お祈り申し上げます。

断腸亭錠志




断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5 |

2004 リスト6 |2004 リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10 |

2004 リスト11 | 2004 リスト12 |2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005 リスト15

2005 リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20 |

2005 リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006 6月

2006 7月 | 2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006 12月

2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月

2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月

2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月

2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月




BACK | NEXT |

(C)DANCHOUTEI 2008