断腸亭料理日記2007
10月29日(月)夜
仕事が終わり、19時過ぎ、外濠通り、牛込新見付橋付近を
飯田橋方向に歩いている。
今日は、妙に暑い。
土曜日の台風の影響であろうか。
歩いていると、薄汗が出てくるくらいである。
なにを食おうか、、。
いや、もう決めている。
神楽坂のそばや、翁庵。
一杯呑んで、そばを食うコース、で、ある。
書いてはいないが、この後もなん回かきてはいる。
神楽坂翁庵のある神楽坂下までは、この外濠通りを真っ直ぐにいけばよい。
今は、市谷御門(見付)と牛込御門の間には、先に書いた、
一口坂へつながる、新見付橋があるが、これは明治になってからのもので
江戸の頃はなかった。
この外濠沿いの市谷は、江戸の頃から町で、
市谷田町。市谷御門から牛込御門方向に、三丁目まで。
(現代も、ほぼ同様。)
鬼平では鰻屋〔喜多川〕(文庫7巻「泥鰌の和助始末」)があったり、
狐火を名乗る賊が、畜生働きに押入る薬種店〔山田屋〕
(文庫6巻「狐火」)があったり、、。
まあ、特に特徴のある商店が並んでいた、という町では
なかったのだろう。
この市谷田町のすぐ背後は坂になり、牛込の屋敷町。
幕府の組屋敷や、旗本屋敷、であった。
その隣が、市谷船河原町。
このあたり、江戸の頃から町名はまったく変わっていないという
都内でも稀有な地域である。
筆者の地元の台東区をはじめ、中央区、千代田区、もうどこといわず、
戦後、東京の、江戸からの由緒あるほとんどの町名が失われ、
機械的に、町名や丁目が決められたいった。
こうした新宿区牛込界隈に現代にそのまま残る
江戸の町割りや町名を見れば
(防災という観点での区画整理はむろん意味があろうが。)
上野などにあるような、一丁目から、七丁目まで機械的に、振られた
町名にどれだけ意味があったのか。
郵便配達によかったのか、行政上よかったのか。
これだけ細かい、町割り、町名のままでも、牛込界隈は立派に
今、成立しているではないか?!。
日本橋の上を無粋に走る、首都高もそうだが、
東京とその前の江戸の地域文化、歴史に対して、殊に戦後、
行政のしてきたことは、東京を故郷と思う人間にとって、
まったくもって、許しがたいこと、で、ある。
またまた、筆が滑ってしまった。
神楽坂、翁庵で、あった。
店に到着。
入口に一番近いテーブルがあいており、座る。
と、同時に、運ばれる小鉢二つ。
今日は、小さな冷奴と、甘辛く炒めた、
糸こんにゃく(黒い白滝?)。
特に、メニューを見ることもなく、
いつもの、ミニ瓶のそば焼酎を頼む。
暖かいのに、そば湯で割る温かいもので、また、汗が出てしまう。
三杯ほど。
そばは、冷やしの、かつそば。
かつそばは、ここにくることを考えた時点で、決めたが
冷やし、にするのは、歩いているうちに、決めた。
かつそば、という、そばにとんかつをのせる、のもすごいが、
それを更に冷やす、というのは、もっとすごい。
まったくもって、B級である。
しかし、筆者もその存在に段々慣れてきて
いくら暖かいとはいえ、こんな10月に頼もうというのも
我ながら、酔狂なような気もする。
冷やしはできますか?と、念のため聞き、
できる、というので、頼む。
かつは、このかつそば専用に
揚げてもらっているので、薄い。
見た目ほど、“すごく”はなく、うまいものである。
そばも、しゃっきりとし、うまい。
まんぞく、まんぞく。
勘定をし、ありがとうございま〜〜す、の、声。
やはり、東京のそばやは、こうでなくてはならない。
気持ちよく帰宅。
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