断腸亭料理日記2007
11月25日(日)第一食
朝起きたら、とんかつが、食いたかった。
例によって、なぜだかわからない。
どこだろ。
筆者には、とんかつといえば、浅草寿町の、すぎ田。
かなりのご近所である。
拙亭のある元浅草は、上野と浅草の真ん中にある。
どちらも、徒歩で、15分ほど。
上野は日本の、とんかつの発祥の地、と、いわれている。
上野界隈には、古いとんかつやが、なん軒もある。
これはもちろん、知っており、この日記で書かなかったのは
特段の理由があってのことではない。
ご近所のすぎ田、で、間に合っていたので、わざわざ、上野まで
いかなくともよかった。そういうことであった。
ともあれ、とんかつの発祥が、上野であるということ。
蓬莱屋を書く前に、これは少し、筆者としては、近所に住む者として、
一度、ちゃんと考察をしておかねばなるまい、と、考えた。
ということで、少し、長くなるが、上野ととんかつの関係、
とんかつ史?などなど、断腸亭流とんかつ考察に、少しお付き合いを
いただければ幸いである。
さて、上野の先に挙げたとんかつや、古い順に並べてみると、
ぽん多が、明治三十八年、蓬莱屋は、大正三年、
井泉は昭和五年、と、いう。
(双葉は比較的新しく、戦後、昭和四十三年。)
まず、とんかつ前史のようなもの。
そもそも、とんかつは、明治の頃は、洋食やのメニューとして、存在し、
カツレツ、と呼ばれていた。
今でも、銀座、煉瓦亭、でも浅草ヨシカミでも、東京の洋食やでは、
メニューの名前は、とんかつではなく、カツレツ。
ポークカツレツであり、ビーフカツレツ。
(ちなみに、古株のぽん多と、蓬莱屋のメニュー名は、
今でもとんかつではなく、カツレツ、である。)
洋食やのカツレツと、とんかつやのとんかつは、池波先生なども
違うものである、と書いている。
じゃあ、どこがどう違うのか、説明してみろ、といわれると、
調理方法をきちんと調べたわけではないので、推測の域を出ないが、
それぞれを食べてみれば、なんとなく、違う、というのはわかる。
わかりやすいのは、見た目の肉の大きさ。
洋食やのカツレツの方が小さい。そして、比較すれば値段も安い。
揚げ方なども、違うのかも知れぬが、これは店によっての違い、
でもあるような気がするし、素人の筆者には、わからない。
(低温と高温の、温度の違う油で、二度揚げをしている、
というのが、とんかつやには、多くあるように思われるが。)
また、洋食やのカツレツは、ほとんどが、ロース、で、あろう。
とんかつやには、ロースもあるが、ヒレ、串カツ、なんという
ものも、ある。
結局、推測するに、大正から、昭和にかけて、洋食やの、カツレツが
メニューとして独立した。
蓬莱屋の創業は、大正初期、松坂屋の脇の屋台であったという。
つまり、この頃、カツレツだけを出す店が現れた。
そして、カツレツだけを出す店では、カツレツの
揚げ方など、調理法が工夫されるようになり、肉のバリエーションや、
メニューのバリエーションが加えられ、
いつしか、とんかつ、と呼ばれるようになり、店も、とんかつや、
と、呼ばれるようになった。そんなことではなかろうか。
では、カツレツから、とんかつ、という名前になったのは、
ずばり、いつ頃なのか。
一説には、新宿伊勢丹そばの裏通りにある、
王ろじ、というとんかつや、が初め、という。
(ここも、以前にはよくいったが、なかなか、うまい。)
ここの、創業は、大正十年。
きっと、大正から、昭和、戦中、戦後、の新聞、雑誌などの
史料をあたれば、正しいことは解明できるのであろう。
また、それを調べた人もあるのかも知れないが、
この追求は、たいへんなので、今日は、やめておく。
ちょっと脱線するが、これについては、一つだけ、
書いておきたいことがある。傍証史料のようなものである。
戦後すぐの日本映画を語るには、欠かせない、川島雄三監督の作品に、
その名も、「とんかつ大将」、と、いう映画がある。
製作されたのは、1952年、昭和二十七年。戦後も七年目。
これ、好きな作品である。
さらに脱線するが、ストーリーはこんな感じ。
とんかつ大将と、呼ばれる、下町(浅草付近)の長屋に住む、
とんかつが大好きな、青年医師が主人公。
彼の住む長屋が、近くの大病院のために、取り壊されそうになり、
とんかつ大将は、長屋の人々とともに戦う、のだが、、、。
と、いうようなもの。
当時の世相、浅草界隈の、庶民の住む、今はなき“長屋”が
活き活きと描かれた佳作、で、ある。
当時の庶民の生活に興味があれば、見ておいて損はないだろう。
ともあれ、少なくとも、戦後七年経ったこの頃には、とんかつ、
というメニュー名は、人口に膾炙し、誰でも知っているものであった
ことは間違いなかろう。
おそらく、想像するに、戦中ではないだろうし、
戦争が激しくなる前、大正末、から、昭和一ケタ、
あたりではないだろうか。
かなり、長くなりそうである。
今日は一先ず、ここまで。
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