断腸亭料理日記2007

インドカレー・デリー・上野店

5月26日(土)第二食

13時前、例によって、自転車でオフィスまで出かける。
風を切って走っている分には気持ちがよいが
信号で止まったときなどには日差しの強さを感じる。

牛込市谷のオフィスに着くと大量の汗が吹き出る。

人のほとんどいないオフィスで、
2時間ほど、仕事。

腹が減ってきた。

なにを食おうか、実は、既に考えていた。
やはり、暑くなると、カレー、で、ある。

久方ぶりに、から〜い、カレーを食べよう。
天神下のデリーのカシミール、で、ある。

2005年

昨年、来ていなかったのか、書いていなかったのか、
定かではないが、しばらくきていなかったことは間違いない。

市谷の外濠通りから真っ直ぐに、飯田橋、後楽園脇、水道橋、
坂(この坂はお茶の水坂というらしい。)を登る。
この上り坂は、なかなかきつい。

順天堂の先のところを左折。
本郷通り(蔵前橋通り)を突っ切り、日本サッカー協会のビル。
ここは、サッカー通り、とかいう名前を
付けようとしているらしい。

このあたりは湯島。
今週は、湯島の天神様のお祭りである。

天神様もお神輿の出る祭りではある。
しかし、下町と比べて、このあたりは、場所柄か、
あるいは、まだ、土曜日であるからか、
神酒所はできていたり、白い幟(のぼり)が街角に建っているが、
比較的静かである。

その上、この界隈、湯島の家々では、軒に提灯を飾っているのを
見かけないような気がする。

(下世話な話であるが、あれは、どこの町内でも
そうではないかと思うが、ただではない。
頼んで、付けてもらうのである。
筆者の住む、元浅草、鳥越祭りでは、半纏などの祭り関係の費用や、
町内会費などとは別で、お金を払って、頼むのである。
(実際に作業をするのは、多くは、祭りの裏方、
町内担当の鳶の仕事である。)
従って、付いていない家もあったりするのである。)

たまたま気が付かなかっただけなのか、
湯島の天神様のお祭りはそういうものなのか、
はたまた、今年はどうも、陰(かげ)祭り、らしく、
だからなのか、、。
(昨年どうであったか、覚えていないが、、。)

考えてみたら、浅草という台地の下に住んでいるせいか、
さほど遠くはないのだが、湯島の坂の上には、あまりこない。
お祭りも、きちんと見にきた記憶はない。

三社も鳥越も毎年、提灯は出ているもので、
それが祭り気分を盛り上げ、
その界隈がお祭りであることを、宣言しているように
思えていたので、少し、気になったのである。

ともあれ、道は、このあたり、台地なのだが、
その台地の中でも、アップダウンがさらにある。

霊雲寺(れいうんじ)という大きなお寺の前を通る。

筆者知らなかったが、このお寺、徳川綱吉の命で創建されたものらしく、
今でも、立派な建築であるが、大震災、戦災で焼かれる前には、
たいそうな、伽藍を誇っていた、らしい。

左に曲がって、湯島小学校。
そして、この通りが、春日通りに出るところ、
右側手前に曲がる道が、天神様への参道。
参道には、屋台が出ている。
やっと、と、いうべきか、お祭りらしい雰囲気である。

春日通りへ出、切通しの坂を、自転車でシャーっと、降り、
天神下交差点を渡り、左側、デリー、で、ある。

4時、と、半端な時間であるが満席、で、ある。
(と、は、いいながら、筆者の後は一組ほど入っただけで
後は途切れた。)

迷わず「カシミール」。
ここには、カシミール以外にも、いくつもメニューはあるが、
筆者は、ここではこれ一本、で、ある。

どうも、これは筆者の性質であろう。
ある店で、好きなメニューが決まるとそれ以外、
食べなくなってしまう。

そういえば、余談だが、元祖断腸亭、永井荷風先生も
行き付けの、雷門のそばや、尾張屋では、鳥なんばん、
などと、判で押したように、同じところで、
同じ物を十年一日、食べていた、ようである。

まあ、荷風先生の場合、考えるのが面倒だったのであろう。
また、先生は、武家の育ちで、武士の生活規範では
食い物なんぞに頭を巡らせるのは、よいことではない
ということで、そんな感覚を持っていたからでもあったらしい。

ともあれ。


きたきた。この色。
濃褐色と、いったらよいのか。
カシミールを食べ慣れた頭では、この色を見ただけで、
辛そうである、という感覚が頭に沸いてくる。

スプーンにご飯を載せ、その上に、カレーかけ、口に入れる。

『う、う、辛い、、、。』

この辛さ、で、ある。
この辛さが、うまい。

止まらない辛さ、で、ある。
(食べるのが止まらない、という意味である。)

生の玉ねぎの赤唐辛子和え、というのか
正式には、アチャール、と、いったと思うが、
きゅうりのピクルスとともに、置いてある。
これがまた、よい。
そこそこ辛いのだが、カシミールのカレーソースほどは
辛くはない。
カレーのかかったご飯を一口、二口食べて、赤い玉ねぎを、食う。
よいインターバルなのである。

ここのカシミールを初めて食べたのは、
浅草に引越してきてからなので
筆者は、さほどに古くない。7〜8年くらいであろうか。

筆者が初めて食べた頃は、あまりの辛さに
いつも、カレーソースが余ってしまっていた。
ご飯で辛さを調節するからである。

辛さへの慣れ、というのは、おそろしい。
今では、この辛さが、気持ちよい。

むろん、今でも辛く、食べているうちに、
汗だくになるが、それでもソースだけでも
食べられてしまう。

辛い、うまい、辛い、うまい、、、で、ある。

食べ終わる。

実に、気分爽快、で、ある。



HP



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