断腸亭料理日記2007
3月27日(火)昼
今日は、AM丸の内。
丸の内センタービルに入っている取引先で、ミーティング。
丸の内センタービルというのは、東京駅丸の内北口から出て、右方向。
手前側左に、日立製作所本社が入っている日生ビル。右側に丸の内オアゾ。
その左奥が、センタービルで、ある。
12時すぎ、終わり、昼飯を食って戻る。
さて、考えてきたのは、リトルこいわい。
知っている人は知っている。
有楽町のあまりにも有名な、ジャポネ。
ほど、有名ではないかもしれぬが、同様の太い麺のスパゲティー、
喫茶店のスパゲティーといったらよいのか、の店。
ちょっと覗いてみようと思い立ったのである。
西側に江戸城があり、一番近いところ、
大名小路、などとも呼ばれた、
幕府重臣ともいえる、譜代大名の屋敷が建つ、
現在は、二重橋前の皇居外苑広場。
そして、その東側が、内堀。
日比谷御門と、日比谷堀、北へ上がって、
馬場先御門、馬場先堀、和田倉御門があり、右側から、
今は埋められているが、道三(どうさん)堀が外濠から掘られていた。
この堀は、江戸城の堀の中でも古く、江戸城建設のために物資を
運び入れるために作られた、と、いう。
さらにその北、この地図では、描かれていないが、
現在もある、大手門、酒井雅樂頭屋敷などに接して
北に回り込むように大手堀。
大手町、丸の内は外濠と内濠の間。
江戸城の大手門前の、最も重要な場所。
老中などを歴任する、徳川譜代の大名屋敷の上屋敷が
軒を連ねていた地域、である。
また、道三堀の南には、幕府の評定所があった。
(評定所は老中、大目付、寺社奉行、勘定奉行、町奉行などが
出席し、ある意味では、江戸幕府の最高意思決定機関と
して、重要な裁判、評定を行う場所であった。)
江戸時代にはそんな場所であり、町人にはほとんど縁のない場所
であった。しかし、この大手町と丸の内は、明治に入り一変した。
徳川譜代の武家屋敷は取り壊され、大手町でも北側、
神田寄りには大蔵省をはじめ、いくつかの官庁が建てられた。
現代では、皇居南から南西の、霞ヶ関、永田町が各省庁や
国会議事堂が建つ地域であるが、明治期にはこの大手町北部から、
神田南部も、官庁の建物が建つ区域でもあった。
気象庁が大手堀沿い、神田橋そばの今の場所にあるのは
その名残り、といえよう。
そんな風に、大手町北部は官庁として利用されたのであるが、
大手町南部から、丸の内にかけては、意外になことに、
明治に入り、武家屋敷が取り壊されただけで、実は、なにもできず、
原っぱであった時期があった。
(ちなみに、東京駅が開業したのは、随分後、大正3年である。)
当時、明治新政府はなにか建てようにも金がなく、
売りたがっていた。
それを、言葉は悪いが、安く買い叩いたのが、新興著しい、
岩崎彌太郎率いる、三菱。
今でも東京駅前の丸の内は、ご存知の通り、
丸ビル(三菱地所)をはじめ、三菱商事、三菱電機、
三菱東京UFJ、などなど、
三菱グループの本社などが軒を連ねる、一大三菱村である。
さて、現代の丸の内、大手町。
まだ、建設中のものもあるようだが、
丸ビル、新丸ビル、オアゾ、東京ビル(TOKIA)などなど、
丸の内の再開発も一段落、というところであろうか。
先に見たように、丸の内は、三菱村であるが、
北側の、大手町は、みずほ、旧東銀、三井住友をはじめとして、
本店ではないが、銀行の大きなビルが建つ、銀行街という一角。
そして、日経新聞、読売新聞、産経新聞の本社が軒を接する、新聞社街。
さらに、JA(全農)、日本経団連、KDDI、、、
それぞれ大きなビルを構えている。
(またまた、へんな言い方だが、ラインナップをみると、
やはり、体制側の色合いが強い、といえるかもしれない。
毎日新聞は隣の竹橋だが、朝日新聞がここにない、というあたり。)
さて、丸の内センタービルを出て、リトルこいわいがある、
大手町ビルまで。
普段、市谷牛込の片田舎(冗談ではなく)のオフィスで仕事をしている
筆者などには、丸の内、大手町あたりを歩くと、
お上りさん気分である。いや、まったく。
人口密度も違うであろうし、丸の内、大手町のOLさんは
服装や化粧が違う。キョロキョロしてしまうのである。
大手町ビルはちょうど、丸の内センタービルからは、
北東側のブロックである。手前側にみずほ銀行。
このビルは、古そうである。(昭和33年竣工という。)
昔ながらの、という形容詞もへんだが、昭和の東京の
オフィスビルらしいビル。
(であるから、リトルこいわい、なんという店も残ってる
の、かもしれない。)
協和発酵の本社が入っている。
家主は三菱地所。
リトルこいわいは、地下二階。トントンと降りていく。
この地下は、なかなか大きい。
東側から入ると、比較的手前にある。
おっと。やはり、列をなしている。
店は狭そうだが、比較的、回転は速いという。
列に並ぶ。
入り口に、持ち帰りの売り場もあり、
スパゲティーなどの入った調理パンやら、サンドイッチ、
有楽町のジャポネもそうであったが、スパゲティー自体も
持ち帰ることができるようである。買って帰る人も多い。
並んでいる方は、さすがに女性はいないが、
持ち帰りの方は、女性も少なくない。
列に並んでいる間に、注文を聞きにきた。
わからないが、とりあえず、ナポリタン、に、しておいた。
15分は待たなかったであろう。
入ることができた。
中はすべてテーブル席。
むろん、並んだ順、空いた順の、相席である。
ここはジャポネほど有名ではなく、
遠くからくる人はそう多くはなさそうである。
基本的には、近隣のサラリーマン。
ということは、銀行の皆さんであろうか、新聞社の人か。
ジャポネよりも、皆、気のせいか、
スーツがビッシッとしているようにも見える。
年齢層は、ジャポネ同様に幅広い。
60近いとみられるような方から、20代まで。
やはり、古くからここにあるからであろう。
座ると、まず、キャベツのサラダ、というのか、
コールスローというのか、ザワークラウトというのか、
浅漬けの酢キャベツ、が、小さなガラスの器で置かれる。
ここにもあった特有のメニュー、特有の習慣。
ちゃんと壁のメニューに書いてある。別盛、というもの。
これは、この、酢キャベツを、ちょっと大きめの器で
別にもらうのを、いうようである。
注文の際に、やはり、呪文のようで、聴き取れなかったが、
なにかいっていた人がいたが、これであった。
「ベツモリ」。
体格のよい頭の薄くなった、おじさんサラリーマン氏
(でも、スーツはちょっとお洒落で、ビシッとしている、と、いう)
などは、スパゲティーがくる前に、この別盛を食べ終わり、
「これ、もう一つ」と、お代わりまでしている。
(いや、それほどまで、うまくはないと思うが、、。)
もう一つ、ここでは、ラーメン屋ではないが、
「油、少な目」なるオーダーをしている人もいる。
さすが、銀行員さんの多い土地柄?、
身体に気を付けている人も多いのか。
きたきた、ナポリタン。
太麺。ベーコン、玉ねぎ、ピーマン、マッシュルーム。
粉チーズと、タバスコをかけて、食う。
ケチャップというよりは、トマトソースなのかもしれぬが、
しっとりと、多少、多めの量であえられている感じである。
ジャポネにあるような、得もいわれぬ、個性、は少ない。
普通のナポリタンであろう。
量は、普通盛でもやはりそこそこ、多い。
また、ここは、ジャポネのような、大盛の上は、ないようである。
ここのメニューは、ナポリタンの他には、関係ないであろうが、
ジャポネ、というのやら、日替わり(今日は桜海老であった。)
バジリコ、バジリコしょうゆ、そんなところ。
食い終わり、勘定。
ついでに、持ち帰りの調理パンも買って帰ろう。
ナポリタンをはさんだ、ナポリタンドックが有名である。
大量のナポリタンをパンにはさみ、
ラップでギッチギチに包んだものである。
見た目にインパクトがある。
ナポリタンは食べたので、これではなく、
筆者好物のメンチカツドックにする。
(これは夜食べたが、まあ、普通であった。)
大手町ビル、地下二階、リトルこいわい。
やはり、店そのものよりも、お客さんの方が
おもしろい。大手町のエリートサラリーマン(?)に愛される
太麺スパゲティーの店。そんなところであろうか。
東西線、神楽坂まで戻り、帰社。
東京都千代田区大手町1−6−1
大手町ビルB2
03-3201-2024
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