断腸亭料理日記2007
さて、今日も昨日の続き。
墨田区文花の「長屋茶房・天真庵」へいき、
蕎麦やら、食べ、出て、京島の
キラキラ橘商店街の、コッペパン屋さんを目指す。
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キラキラ商店街らしきところに出ると、
なんなく、コッペパン屋さんは見つかった。
なかなか、味のある、看板である。
カステラ、とも、書いてあるが、ほぼコッペパン屋さんのようである。
見たところ、コッペパンしかない。
名前は、ハト屋、ということがわかった。
小母さんが店番。
小父さんが、奥で焼いているらしい。
切れ目を入れて、ジャムかピーナッツバターをぬってくれる。
誰かが、ジャムとピーナッツバター両方ぬってもらえますか?
と、小母さんに聞くと
「うちでは、そういうのはやってないんです。」
下町らしい、言い方である。
根拠のない頑固さ、といったらよいのか。
思わず、頬がほころんでしまう。
コッペパンといえば、筆者などには、子供の頃の給食である。
あれは、ほんとうに、まずかった。
食べ物に対して、こんなことをいうのは、
バチ当たり奴(め)、と叱られるかも知れぬが、
そんな記憶しかないのだから仕方がない。
ぶっきらぼうな小母さんであるが、それでも、
ピーナッツバターをぬってくれたコッペパンを
渡してくれながら、
「焼きたてだからおいしいよ」
と、いう。
歩きながら、皆で食べると、
なるほど、フカフカである。
給食のコッペパンなど、むろん焼きたてのはずがない。
このフカフカのコッペパンは、
むろん、コッペパン以上のものではない。
従って、べらぼうにうまい、とまでいえば、嘘になるが
それでも、やはり、十分にうまい、と、いえる。
ピーナッツバターも、甘過ぎず、くど過ぎず、
よい塩梅だ。
歩きながら、ふと気が付いたのであるが、
今日は日曜日である。
普通、町の商店街は、日曜休みではなかったろうか。
鳥越おかず横丁も、以前に住んでいた葛飾の東四つ木、
渋江銀座も休みであった。
今のコッペパンのハト屋だけではない、
ここは、みんなやっている。
なぜであろうか。
まあ、それはよいのだが、
これも下町の商店街のお約束であろう。
どの店も、お惣菜を、店の前に、台など出して、売っている。
肉屋ならコロッケやら、メンチやら。
なかなか、この橘商店街は、ラインナップが強力である。
寿司屋まで、店前に、お稲荷さんなどを並べている。
中で、鶏や、さん。
焼鳥などを出して、売っている。
これがなんと、一本¥60。
これは安いではないか?!
拙亭近所の、浅草の赤札堂の隣など、¥100、で、ある。
この店先で、鶏の煮込み、に目が止まった。
キンカンやら、鶏皮やら、その他色々煮込んである。
これが、うまいのである。
(ここで買うのは、無論初めてであるが、鶏や、や、焼鳥やで作る、
モツやらの入った煮込みは、うまい、ものである。
考えてみれば、皮やレバーを入れる、鬼平の軍鶏鍋
などと同じである。これがまずかろうはずがない。)
200gほど、買う。
橘商店街をずっといくと、この通り、南北になっており、
明治通りに出た。
さて、ここから、向島の土手まで。
しばらく、明治通りを歩き、京成の曳舟駅のところが、
明治通りは踏み切りになっている。
これを越えて、曳舟川通りを左に曲がる。
しばらくいって、曳舟文化センターの先、京島一丁目の交差点を
右に曲がる。
曳舟川通りを渡ると、町名は東向島になる。
東武の下を通り、水戸街道に出る。
渡るとこの通りは、地蔵坂通り商店街、となる。
先ほどの、橘商店街よりも道幅は広い。
こちらは、やはり、日曜日ということなのか、お店はやっていない。
商店街としてのディープさ(?)加減は「橘」に負けるかもしれぬが、
やはり、下町らしい、商店街であったと思われる。
(今日はやっていないので、確認はできない。
過去、来たことがあるので、その記憶である。)
右側に墨田川高校などあり、墨堤(ぼくてい)通りに出る。
地蔵坂の名前は、この墨堤通りに出る手前にお地蔵さんがある
ところからであろう。
(筆者の推測であるが、以前は、隅田川土手に向かって坂に
なっていたのであろう。今は、ほとんど坂にはなっていない。
そういえば、吉原大門前も、衣紋(えもん)坂というが、これも山谷掘の土手に
向かって坂になっていたからで、土手も掘もない今は、
坂などどこにもない。)
この墨提通りは、隅田川に沿って、北上し、鐘ヶ淵の方までいっている。
墨堤とは、隅田川の堤(つつみ)、という意味であるが、
そんな風情など今のこの通りには、微塵もない、ほこりっぽい、
アスファルトの往復二車線の広い通りである。
向こう側に渡る。この向こうは、すぐに、隅田の堤だが、その前に、
アサヒビールの倉庫などある。
昔は、ここにも朝日麦酒の工場があったのであろう。
しばらくいくと、やっと、桜が見えてくる。
アサヒビールの倉庫の隣は、墨田区の体育館・プールだが、
このあたりから、桜が植えられている。
右に曲がると、言問い団子。やっと、向島の土手が見えてくる。
左側に長命寺、その前に長命寺の桜餅(屋さん)。
もうだいぶ暗くなってきたが、この時間でも
まだ列ができている。
長命寺があり、墨堤通りがあり、その上に、首都高が
通っており、その向こうが、隅田川の土手になる。
土手には、満開の桜花、で、ある。
日本橋の上に首都高が走っているのと同様、
桜花に覆いかぶさるような、首都高は、
まったくもって、無風流。
土手の上に上がる。
桜橋の袂(たもと)。
川には、屋形船なども出ており、土手だけではなく、
川面も賑わっている。
むろん、両岸とも、満開である。
この桜橋の袂あたりに、向島のお姐さん(芸者さん)達が
やっている、お茶屋のテントやら、おみやげや、やら
あるのだが、時間が遅く、既に店仕舞いした後であった。
(実は、ここでも長命寺の桜餅は買えるのである。
つまり、並ばずに、買えるのであるが、、今日は、遅かりし、、!)
土手上を歩いていくと、焼鳥やらビールやらの屋台も出ている。
シートを広げて、花見をしている人達もいる。
言問橋の下を通り、しばらくいくと、土手は終わり、
墨提通りに降り、枕橋を渡り、右折。
再び、土手に上がる。
左側に墨田区役所と、アサヒビール。
勝海舟先生の銅像も見える。
やっとたどりついた。
吾妻橋。
文花から、橘商店街、向島、一回りしてしまった。
引っ張りまわしてしまった。皆様、ごめんなさい。
筆者、天真庵でけっこう、呑んでいたのであった。
酔った勢いで、歩いた、ともいえよう。
お疲れ様でした。
PS:鶏の煮込みはやはりうまかった。
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