断腸亭料理日記2007

墨田区文花・

長屋茶房・天真庵、その1

4月1日(日)

さて、今日は、というべきか、今日も、と、いうべきか、
花見、で、ある。

いや、花見がてら、と、いうべきか、
元浅草の拙亭から押上の近所、文花にできた
「長屋茶房・天真庵」というところへいく。

この、「長屋茶房・天真庵」というのは
ふとしたことで、お知り合いになった、
野村栄一さんという方が、このほど、墨田区の文花に
開店された、ギャラリー兼茶房。

氏はもともと、板橋の方で陶器を中心にした
ギャラリーをやられていたのだが、
この墨田区押上の東、文花という町の
古い長屋(の、ような建物)を見つけ、大家さんに借りる交渉をし、
改築し、こちらへ引越してこられた、ということである。

この建物は、なんでも昭和20年、戦後すぐのものらしい。
氏の周りには、陶器はもとより、建築やデザイン、木工などなど
様々なアーティストがおり、そうした人々が長屋の雰囲気を残しつつ、
寄ってたかって、お洒落な茶房ギャラリーに改装したという。

オープンは先週であったらしいのだが、
ちょうど、向島の花見を兼ねて、覗きにいってみようということで、
氏を紹介してくれた友人と訪ねることになったのである。

内儀(かみ)さんとともに、1時過ぎ、拙亭を出る。
今日は、昨日と打って変わって、よい天気である。
気温も上がると、天気予報でいっていた。

日差しがまぶしい。

開店のお祝いに日本酒を求めに、松屋に寄る。
花見の人々で、吾妻橋界隈もごった返している。
水上バスの乗船券を買う人の列が、吾妻橋の半分以上にまで
伸びている。

一升瓶を提げて、えっちらおっちら、吾妻橋を渡る。
ここから見ても、両岸は満開である。

アサヒビールの脇を通り、浅草通りに出る。
(どうでもよいのだが、渡ったこちら側も、浅草通りというのも、
なにか違和感がある。筆者には、浅草通りというよりは、
清澄通りの方がぴんと来る。)

ともあれ、本所吾妻橋の交差点を越え、
業平橋。左側に東武の業平橋駅。
業平は、なりひら、と読むが、在原業平のこと。
在原業平自体は、平安時代の歌人で、美男の代表ともいわれていた。

ちはやぶる神世もきかず龍田河唐紅に水くくるとは

これは、有名であろう。百人一首にも出てくるし、
落語にまでなっている。
そして、地名の由来は、これ。

名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしや

憶えておいでの方はおられるだろうか。
高校の古文の授業でやった、ハズで、ある。
伊勢物語。

伊勢物語のこの部分は、業平が東下りし、隅田川を渡る際に
詠んだ、と、いうことで出てくる。

これはまあ、お話、、なのかも知れぬ。
江戸の頃かと思われるがこの近くに、業平を祀る、業平天神というのが
前記の由来から、でき(おおかた、人寄せではなかろうか。)、
これによって、明治になって、町名になったようである。
しかし、なんとはなしに、ゆかしい町名ではある。

そして、押上。

押上の由来は、今、業平橋から北上している、
曳舟(ひきふね)川通りというのがあるが、
まあ、ここも文字通り川であったこと。
広重の江戸名所百景に「四ツ木通用水引きふね」という絵がある。

江戸から、利根川方面へ舟が通っていたわけであるが、
この曳舟川などを通っていた。
下りはよいが、上りは、人が舟を引いたことから、引き舟、
曳舟と、呼ばれたのである。
つまり、舟を、押し上げ(押上)、そして、引いた、、。
というのが、いかにも、もっともらしいのだが、、。

実は、押上は、江戸以前からある地名だそうで、
「土が堆積するさま」を表現したものらしく、
自然発生的にできた地名の類かもしれない。
(曳舟の由来は、間違ってはいなかろうと、思う。)

押上の交差点、浅草通りを左に曲がり、北十間川を渡る。京成橋。

都営浅草線、京成押上線、そして、今は、半蔵門線もきている。
そうであった、ここに、今度、新東京タワーができるのであった。
この界隈も変わるのであろうか。

筆者、元浅草に住む以前は、この京成押上線の先、
四つ木に住んでいた。
このため、このあたりも、馴染み深いのである。
この通りをずっといくと、荒川にぶち当たり、木根川橋。
渡ると、住んでいた東四つ木である。

押上の商店街を北上。
通りの名前は忘れてしまったが、バス通りを右に曲がる。
これをずっと行くと、十間橋通りに出る。
(この通り、わかりやすいが、実は遠回りであった。
浅草通りから、直に十間橋を渡った方が早かった。)

十間橋通りに出て、左に曲がる。

と、ほどなく、右側にその「長屋」が見えてくる。

正確には、長屋ではないかもしれない。
細長い建物では、ある。
大家さんの住まいが左側につながっているらしい。
以前は、はやり、なにか商売をしていた、店舗のようである。

筆者、書の心得などもないので、よくわからないが、
味のある字で、和紙に「天真庵」としてある。

入ると、奥様もおられ、ご主人野村氏がカウンターの
向こう側で、コーヒーを淹れておられる。

いやいや、元浅草から歩いてきたので
この暑さ、一気に、汗が吹き出る。

二階へ上がってみる。
一階が、茶房で、二階がギャラリーである。

木製のいわゆる梯子段で、トントンと上がる。
この建物、一応、二階建てなのだが、心持ち、二階は低い。

天井板もなく、いきなり屋根。
その代わり、立派な太い梁がよく見える。

窓辺に吊るされた風鈴のよい音色が聞こえる。
吹き出した汗が引くようである。
聞けばこの風鈴、朝鮮半島のものだそうである。

朝鮮半島にも、風鈴などというものがあるのは
少し驚きである。

風を音にしよう、などというのは、日本だけのものではなかったのか、
と、妙なところに、感心したりする。

よく見ると、日本のものと音の出る仕組みが違っている。
日本のものは、ご存知の形だが、
これは、日本の風鈴の傘にあたる部分が周りにいくつかあり
中心にひらひらの付いた金属の棒があり、風によって
このひらひらが揺れると、棒が、周りの金属の傘にあたって、
音が出るのである。


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また、長くなりそうである。
今日はここまで、続きはまた明日。




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