断腸亭料理日記

断腸亭の江戸の地図江戸の頃の近所(浅草・下谷付近)


これは、江戸、天宝14(1843)年の頃の地図である。
ピンク色の部分は神社仏閣、白い部分が武家屋敷地、灰色の部分が町屋。

町屋は思いの外、少ない。
現在も、寺の多いところであるが、この頃は、本願寺を中心に、寺の敷地で埋められている。

ちょっと気になる江戸の町名

 並木町
 
雷門の前(南)である。そば屋、「並木藪」は、この町名からきている。

 田原町
 
銀座線の駅名に残っている。

 阿部川町
 
現在は、元浅草四丁目であるが、落語「富久」の主人公「久蔵」の住んでいたところ。

 山崎町
 下谷山崎町。古今亭志ん生の名演で有名な「黄金餅」の舞台、貧乏長屋のあった場所。
 ここから、上野山下、上野広小路、御成街道、まっつぐに・・・麻布まで、棺桶を担いで歩く
 道々の、町名を言い立てる。

田圃
浅草寺の西側、北側は、浅草田圃、入谷田圃で、このあたり、田園であったのもわかる。

広徳寺・台東区役所
現稲荷町(下谷稲荷)の北には、今、上野警察・台東区役所があるが、ここには
広徳寺という大きな寺があった。
「おそれ入谷の鬼子母神」、という文句は有名であるが、これには、対で
「びっくり下谷の広徳寺」、という文句が続いた。

佐竹商店街
知っている方も多いかも知れぬが、大江戸線・新御徒町駅の南に、
今は少し寂れているが、アーケードの商店街がある。
これは、江戸時代、佐竹藩(秋田20万5800石)の上屋敷があったところから
名前が付いている。

※このページ、断腸亭料理日記のなかでは、よく考えると、一番「料理日記」から遠い。
なんでこんなページを作ったのか、と、聞かれると、困ってしまうのである。
好きだから、ということしかない。
なにか、この地図を見ていると、一日の疲れが癒されるような、
私にとっては精神安定剤のようなものである。



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