断腸亭料理日記2006

京都・先斗町

8月23日(水)夜

急に出張になった。
24日朝一、滋賀県の草津である。

前日、京都に泊まる。
営業二人と、19時その日泊まる駅前のホテルで待合わせ。
夕飯を食いにいこう。
営業の部長と話しながら歩く。
「どこへ行こう?どっか知ってる?」

筆者、京都というのは、実のところ、初めてに近い。
仕事で来ても、すべて日帰り。
考えてみれば、泊まったといえば、高校時代の修学旅行以来である。
うまいものや、いわゆる、老舗旅館などなど、まったく経験はない。
そんなことをいうと、

「そうかー。じゃあ、先斗町、行くか!?」

おーっと。先斗町。ぽんとちょう。
先斗町ですか。
いいんですか〜?などと、いそいそと、タクシーへ。

先斗町。今でも残る、祇園と並ぶ京都の花街。

(かがい。関西では、はなまち、ではなくこういうようである。
花街といえば、ちょっと、おもしろい本を見つけた。「花街」の研究書である。
30代前半の若い文化地理学を専門とされる大学の先生、加藤政洋氏の、
その名も「花街」。朝日選書。

遊郭、ことに吉原については、日本史系その他の研究、文学、
落語他様々な芸能にも残っている。
しかし、「花街」は、ほとんどない。
向島、浅草、新橋、神楽坂、赤坂、などなど、
東京で「花街」と呼ばれるところも以前には数多、
そして今でも、いくつもあるにもかかわらず、これらのことを、
まとめて書いたものというのは、なかなかないのである。
従って筆者も、多くの疑問があった。

この加藤先生も同じように思われ、むろんのこと
学問として研究されているため、東京も含め、
日本全国の「花街」を綿密に系統立てて、調べられている。
お若いのに、かなりヘンな方だと思われるが、
(誉め言葉です。卓越されている。文学博士も頷ける。)立派である。
この論文については、また、あらためて触れたいようにも思うが、

「花街」にご興味のある方には、是非ご一読をお勧めする。
今いわれている「花街」と、華やかなりし頃のそれとの違い、
そもそもの成り立ち、などなど、目から鱗である。)


ともあれ、先斗町。
先斗町歌舞練場のHP

によると、先斗町の、ぽんと、の由来は、なんでもポルトガル語。
この近くに安土桃山時代であろう、ポルトガルの教会があり、
ポルトガル語のポント(先端)・ポントス(橋)、
からきているともいうらしい。
花街としての起源は江戸初期あたりまで、さかのぼるようである。

京都駅付近からタクシーに乗り、一度鴨川を渡り、川端通。
(関西では「通り」に「り」の送り仮名を付けない。なぜであろうか。
東京では、明治通り、だし、外濠通り、と書くのが普通である。)

川端通からは向こう岸を見ると、床(ゆか)という川へ張り出して、
涼をとりながら酒食をする場所が見える。
ほほー、あれが。などと一人で喜んでいる。
京都歌舞伎の南座を右に見て左折、四条大橋を渡ったところで降りる。

四条通の北側に「先斗町」の看板が出ている。
鴨川に沿い北へ向かって、幅二間くらいであろうか、石畳の細い路地。
これが先斗町、らしい。
筆者、自分でも苦笑するほどの、まったくの、お上りさんである。

左右にはずっと、奥深くまで、若干観光地化もされているようにも見えるが、
お茶屋さんなどもあるのであろう、渋い家並みも、そこそこ続いている。
よくわからぬが、そうしたお茶屋さんなどは、一見では入れないのであろう。

ずーっと、奥まで行って、さらに、路地を左に曲がり、、、。
たどり着いたのは、渋い暖簾の下がる、カウンターだけの、小料理やさん。
(と。いってよいのだろうか。)
以前は、板前の旦那さんとやっておられたというが、
数年前に、旦那さんが亡くなり、
今は女将さんお一人でやっておられるという店。

芸妓さんやら舞妓さんやらの名前が朱で書かれた、団扇が壁に貼られている。
聞いてみるとこれは、夏の挨拶(お中元)に持ってくるのだそうだ。

女将さんはとてもあたりの柔らかい方。
一人で料理もされる。

お通し。
山芋千切りに、うにが載っている。

湯葉(ちょっとピンぼけ)

八幡巻き

うなぎである。ごぼうをうなぎで巻き、焼いてある。
当然蒸してはいない。こんがり香ばしく焼かれ、
山椒の香りがよい。甘辛さもやはり、関東とは違う。

どじょうの柳川。これも薄味。

たこ


桜煮、でよいのだろうか。
むろん、明石。東京で甘めに煮る場合よりも、ずっと甘いが、
柔らかく、かなりうまい。

漬物

やはり、京都は、漬物である。
大根も、しば漬も、段違いにうまい。

はも焼き

鮒ずし

存在は知っていたが、筆者初めてである。
近江は琵琶湖の名物。鮒を米麹で漬け込んだ、いわゆる、なれずし。
揚げてあるので、多少匂いは押さえられているのだろう。
薄く切られているが、かなりしっかりした食感である。
塩気も強く、これは、これは、酒がすすむ、、、。
(と、いう、以前に、ここまでに、ほとんど、できあがっている。
記憶もあやふや、、。)

〆は、じゅんさいの赤だし(だった、らしい)。


やはり、京都はたいしたものである。
なんだか、妙に、納得してしまった。

東京人には、京都はよい。
池波先生が、毎年、暮れに来られていたのであったか、、。

また来なくては。




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