断腸亭料理日記2004

浅草・うなぎ・色川

5月22日(土)夜
なんとなく、今日はうなぎ、と決めていた。

それも、雷門の色川と決めていた。
ここ、初めてである。

有名店であるが、一度も行ったことがなかった。

一応、予約を入れる。
7時と言ったのだが、早く来て、ということで、6時半に。

昼間は、小糠のような冷たい雨であったが
出掛ける頃には、やんでいた。

自転車で向かう。

雷門2丁目。(言葉で説明しずらい場所である。)

入ると、カウンターとテーブル2卓。
狭い店ではある。

文久元年(1861年)創業の5代目のごま塩頭の親爺(おやじ)が
「おうっ」と、出迎える。

文久元年とは、どんな年だったのか。
明治元年まであと7年。幕末である。将軍は家茂。孝明天皇。
あの、桜田門外の変の翌年。老中はさらに翌年、
同じく暗殺される安藤信正。公武合体の象徴、
皇女和宮が将軍家茂に降嫁。江戸に着いた年。
新撰組の近藤勇は、まだ、市谷の試衛館にいた。

そんな頃に、創業している。

お酒(お燗)と、きも焼き、白焼き。それからうな重。

とにかく、この店、この親爺につきる。強力である。

先週、三社祭りであったが
カウンターに座った、おばさんが、親爺にお祭りの話題を振った。
親爺、かなりの、祭りフリークであった。

まあ、最初から「おうっ」と出迎えられれば
察しはつくが、50を楽に越えていると思われるが
現役で、地元三社だけではなく、隣である、

うちの鳥越などはもちろん下谷、新橋、日本橋、
深川、同じ日でも、掛け持ちで、
御輿を担いで回っているようである。

さてさて、肝心のうなぎである。
白焼き。生臭さはまったくなく、甘味さえある。

うな重。

ご飯が肝(きも)である。

しゃっきり。切れがあるというのであろうか
米が立っている、という表現があるが
そんな感じである。

元来、東京の人間は固めの飯が好みであるが、
天丼、うな丼など、たれのかかる、どんぶり物の飯は
柔らかいというのは、もってのほかである。

その、固い飯の究極ではないだろうか。
ここまでしゃっきり、固い飯は初めてかもしれない。
もちろん、芯があるわけではない。

うなぎの味を忘れるほどに、たれの絡んだ、飯がうまい。
うなぎは、香ばしい。

夢中でかき込んでしまう。

浅草・うなぎ・色川。この5代目の親爺込みで
なにか、うれしくなってしまう店である。

うちの、鳥越祭りも再来週(6/4、5、6)である。
親爺は、どの町内で担ぐのだろうか。

地図


電話: 03-3844-0590
住所: 台東区雷門2-6-1



追記:この親爺、良くぞ生き残っていた!という、典型的でステレオタイプな
江戸っ子。筆者、趣味で落語を少し演じたこともあるが、江戸落語に出てくる、
スットコドッコイな江戸っ子そのまま。いくら、浅草生まれ浅草育ちでも、
もともと実際にはそんな人は少ない。まして、この21世紀の今、絶滅していた、
と思っていたが、ここにいたのか〜、という親爺である。

うれしくなってしまった。

しかし、後継ぎはいないのだろうか。
おかみさんと二人でやっているようだが、。


7月24日(土)


2005年


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