断腸亭料理日記2004

2005/10現在、閉店しています。

JR市ヶ谷駅側、靖国通り、私学会館前の店はやっているようです。

市谷左内坂・カレー・パク森

4月12日(月)昼食
天気もいい。今日は、パク森のカレーにしよう。
すぐ、一杯になるため、12:00ちょい前に席を立って
早足で向かう。私のオフィスからは、坂を登って降りて、、、。

少しあるが、まあ近所である。

週に1回とは言わないが、それに近いペースで来る。
ここは書いておかなければなるまい。

この界隈は、最近NHK新選組で有名になった試衛館のあった
市谷甲良町にも近い。

もともと、江戸時代には武家屋敷が並んでいた地域である。

蛇足だが、このあたり、都内でも珍しく、旧町名を残している。
納戸町、二十騎町、細工町、箪笥町、払方町、鷹匠町いかにも、
武家屋敷、それも特定の職種の組屋敷の町名である。

また、防衛庁は、その前、自衛隊市谷駐屯地。さらに前、終戦までは陸軍の
第一連隊、士官学校であった。米軍も日本軍の中枢部は爆撃を避けた。
このため、このあたりは戦災にあっていない。

数は少ないが、武家屋敷風の塀のあるお屋敷や、古い洋館が
残っていたりもする。

そして、さらに前は徳川御三家の一つ、尾張徳川家の上屋敷であった。
広大なものである。

その防衛庁の脇の道を通り、急な左内坂。
ちょっと前まで、江上料理学校の脇の桜がきれいだった。
坂の上から、手前の桜、お堀、JR、土手の桜、と、
まっすぐに見ると、遠近がついてきれいである。

江上料理学校のはす向かいあたり、坂の途中にパク森はある。
カウンターのみだが、ここ、本店である。

失礼ながら、できた当初はこんなにも、発展するとは思ってもみなかった。

当然、最初はここだけ。
看板に書かれているおじさんは、ここにいた。

渋谷道玄坂、横浜カレーミュージアム、

S&Bから、レトルトまで出した。ご発展のことである。

パク森カレーの味は、かわらないように、思う。

大きな平皿に丸く厚さ15mmほどに、ライスをきれいに広げ
その上に、同じくきれいに、ひき肉のドライカレーを広げる。
さらに、ここに、欧風カレーをかけてある。

筆者は、これの中盛。(普通、中盛、大盛の順である。)

辛さも、変えられるが、これは、普通。

99年の日記である。

いつきても、安心できる味。

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