■界隈のこと
筆者は、このページを日記として書かなくなって(2004年再開)しばらく後、葛飾から
浅草へ引越した。
浅草と言っても、いわゆる浅草寺・観音様のあるあたりからは離れている。
地理的には浅草と上野のちょうど、中間。どちらへも歩いて15分程度。
すこし、界隈の説明をしておきたい。
浅草とはもともと観音様を中心とした浅草駅周辺だけではなく、
もっと広い地域を指している。
南は浅草橋から、西は現在の
清洲橋通り付近が境界である。
戦前までは浅草区と呼ばれた地域でもある。
筆者の住む町は、敬愛する、池波正太郎先生の少年期育った町の隣り町である。
(この場合の町とはもちろん、旧町である。)
この界隈は、簪(かんざし)などの金属の細工をする錺物
(かざりもの)職人(池波先生のお爺さんもそうであったという)
が多く住んでいる職人の町であり、その後は町工場の町、
今でも、徽章(バッジ)メーカーなどが集まってもいる。
また、本願寺を筆頭に、江戸時代からの寺町でもあり、浅草通り沿いには
仏壇・神棚屋さんが軒を連ねているのを知っている人も多いだろう。
■鳥越祭りのこと
下町のことである。話題はお祭りに及ばざるを得ない。
浅草といえば、いわずと知れた浅草神社三社様の三社祭が有名であるが
筆者の住む町内は、鳥越神社の氏子町内である。
鳥越は駅でいえば、蔵前に近い。先ほど、浅草の範囲に触れたが、
この鳥越神社の氏子町内は、秋葉原にも程近いあたりから、
浅草通りを渡ったあたりまでに渡り、全部で十八ヶ町にもなる。
鳥越祭りの自慢は千貫神輿と呼ばれる、都内一とも言われる
大きな本社神輿である。
これが、早朝の宮出しから夜9時頃の宮入まで十八ヶ町の
狭い路地を、電線や、軒先すれすれに渡御する。
また、鳥越の夜祭りとも言われ、夜遅い宮入のため、神輿の提灯には火が入る。
これが、揉まれて、燃え上がる、のも、風物詩。
三社とくらべ、外から担ぎにくる人も若干、少なく、
住んでいる人間に近いような気もする。
(三社祭りは、正直のところ、近寄ると怖いものがある。)
また、筆者はこうしたきちんとした、由緒のある祭りのある町内に住んだのは
生まれて初めてであ
る。
(都内でも全体を見渡すと祭りのない町内の方が
多いのではないのではなかろうか。)
実に、いいものである。 |
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神輿を担ぐわけでもないのだが、祭りの間は、 こうしたことは、町内に住んで初めてわかるものであった。 いいものである。 |
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