断腸亭料理日記2006

蕎麦掻き・その1

2月27日(月)夜

いきなり、引用で恐縮である。



 それから数日後に・・・。

 大治郎は、また、老人に出会った。

 山谷堀の南に、真土山(まつちやま)の聖天宮(しょうてんぐう)がある。

 この日も、大治郎の田沼屋敷からの帰りで、いつもよりは時刻も早かった

ものだから、聖天宮へ参拝してから、門前の〔月むら〕という蕎麦屋へ入り、

「酒をたのむ」

 と、いった。

・・・中略・・・

 酒がくると、おもいついて蕎麦掻(が)きもたのんだ。

・・・中略・・・

 入れこみの真中に通路があって、突き当たりに大川(隅田川)をのぞむ

小座敷が二つある。

 黒塗りの小桶(こおけ)の、熱湯の中の蕎麦掻きを箸で千切(ちぎ)り、

汁(つゆ)につけて口に運びつつ、大治郎はゆっくりと酒を楽しんだ。

池波正太郎著 剣客商売「十番斬り」新潮文庫 逃げる人」


このところ読んでいるのは、剣客商売である。
これは、終盤も近い頃。
大治郎も三冬と夫婦になり、小兵衛の孫にあたる
小太郎も生まれ、剣一筋で、まったくの朴念仁(ぼくねんじん)
だった大治郎が、蕎麦屋に一人で入り、酒をたのみ、蕎麦掻きを食う、
という、真似、をするようになった、そんな場面である。

この部分を読んでいたのは、先週の土曜の夜のことである。
寝ながら、読んでいて、やはり、蕎麦掻き、が食べたくなった。
むっくり起き上がり、妻に話すと、食べたことがない、
食べてみたい、と、いう。
この時、拙亭には、そば粉がなかったので、
ハナマサまで、買いに行かせるが、売っておらず、
あきらめた、と、いうようなことがあったのである。

そして、今日、夜7時過ぎ、仕事をしながら例によって、
なにを食べようか、考えていると、これを思い出した。

拙亭近所のハナマサにはなかったが、
会社帰り、牛込神楽坂駅そばのスーパーに寄ると、そば粉はあった。
しかし、蕎麦掻きでだけでは、寂しい。
なににしようか。
平日だが、天ぷらでも揚げるか。
安いボイルのあさりがあった。ねぎを入れて、かき揚げにしよう。

さて、蕎麦掻きであるが、池波作品には、もう一つ、思い出すシーンがある。

これは、鬼平。特別長編「鬼火」。

舞台は、本所、弥勒寺門前の、お熊婆さんの茶店。
平蔵は、「死んだ」ことになっており、存在を隠すため、
役宅を出て、ここにずっと留まっている。
夜更け、打合せをして佐嶋と酒井は、役宅へ帰る。
お熊は、居残った同心、松永へ

「こんなものを、あがるかえ?」

 蕎麦粉を捏(こ)ねた〔そばがき〕を出したものだ。

「いただきます」

 松永は腹が空き切っていただけに、たちまち、平らげてしまった。

「ほう・・・うまそうだな」

 と、平蔵。

「銕つぁんも、あがるかえ?」

「ほしいな」

・・・中略・・・

 お熊は手早く、平蔵と松永のお代わりのと、そばがきをこしらえた。

 さすがに年の功で、捏ね方がまことに程よい。

 きざみ葱を散らし、醤油をかけまわしただけの〔そばがき〕なのだが、

「こいつを、何年ぶりで口にしたことか・・・」

 さも、なつかしげに箸で千切って口へ運びつつ、平蔵がいった。

「婆さん。御代わりが要るぞ」


鬼平犯科帳〈17〉特別長篇 鬼火 文春文庫 池波 正太郎 (著)

どちらも、うまそう、で、ある。
そばがきは、筆者もそば屋で、食べたこともあるし、
自分で作ったこともあるが、
実のところ、びっくりするほどのものではない。

また、これも、趣味そば系、のメニューといって、よかろう。
もっというと、趣味そばを流行らせたのは、池波先生ではなかろうか?

そこまでいうのは当たっていないとすれば、少なくとも、
そば屋で呑む、ことを流行らせたのは、池波先生であろう。

こうして小説にも書き、また、エッセーにも多数登場する。
行き付けの店は、神田まつや、池之端藪、などなど。

昼下がり、または、夕刻。
すいた時間、一人で入り、酒を呑んで、そばを食べる。

このスタイルが、シブイ。
そういうことになっている。

また、昔の街の男のスタイルでもあった、
と、いうことも、池波先生は作品を通して、残された。

そして、神田まつや、や、池之端藪で、
実際に、酒を呑み、そばを食えば、うまいし、
また、気分もよい。

ここまでは、よい、のかもしれない。

しかし、ここから、様々な、こうあらねばならない、
と、いうような薀蓄、ゴタクに走っていったところが
筆者には“違う”感じを醸し出している、
ように感じられるのである。


と、まあ、今日も、長くなりそうなので、
「蕎麦掻き作り」、続きは明日、ということに、しよう。



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