断腸亭料理日記2005

四谷舟町・杉大門通り・

ちゃんこ・千代菊

10月25日(火)夜

さて、今日は、会社の10月期の移動者の歓迎会。
四谷舟町・杉大門通りの、ちゃんこ鍋屋、千代菊である。
この店は、もう15年以上前からであろうか、季節になれば、来ている。

最寄り駅は、丸の内線の四谷三丁目、である。

新宿通りと外苑東通りの交差点。(四谷三丁目交差点)北東側。
角から二本目。新宿通りから、北へ入る路地が杉大門通り。

筆者命名の“癒し系”ラーメン屋の「まるいち」
が、入ってすぐ左に、ある。
「まるいち」の場所は、四谷三丁目であるが、すぐに、舟町になる。
杉大門通りを直進し、外苑東通りを渡り、坂を下れば、靖国通りに出て、
都営新宿線の曙橋駅になるが、その直前まで、舟町、である。
そして、杉大門通りの東側は、荒木町、である。

荒木町は、明治から戦後しばらくまで、であろうか、明確な時期は、不明だが、
いわゆる、芸者さんのいる、色町、であった。
町の範囲は、この杉大門通りから、津の守坂まで。
ここ荒木町も、先日書いた、牛込の矢来町同様に、
江戸の頃は、町全域が、津の守の、由来である、松平摂津守の屋敷であった。
(松平摂津守は、尾張藩の分家、高須松平藩。美濃高須三万石。
摂津守の、「摂」の字が落ちて、津の守、である。)

このため、荒木町は明治になって付けられた町名である。
由来は、諸説あるようだが、松平摂津守の前、
この屋敷は、荒木志摩守政羽(十左衛門)という、
旗本のものであり、そこから付いた、ともいう。
(この人は、かの忠臣蔵の赤穂城開城の際の目付役。また、四十七士切腹の際の
検使徒目付、であった人である。)

閑話休題。
「ちゃんこ千代菊」で、ある。
その、杉大門通りのちょうど中ほど。
新宿通りから行くと、左側。
間口は一間ほどで、うなぎの寝床のように、奥まで座敷が続いている。
お世辞にも、きれいとはいえないが、そこがまた、
落ち着いてよいところである。

座ると、テーブルに一つ、カセットコンロが置かれ、
その上に、鍋を始める前の、つまみ、が、大きな皿に、
一緒盛りで、出てくる。
また、ちゃんこ鍋の材料も、既に、テーブルに置かれている。
(これは、宴会の予約をしてあったためである。)


このつまみは、昔は、ポテトサラダなども、
載っていた記憶があるが、今日は、枝豆、エシャロット、
バイガイ、大根の煮たの、手羽先、かにかま、であった。


また、めいめいに、小さなすり鉢が置かれており、
ここには、白胡麻、があらかじめ、入っている。
鍋が始まるまでに、擂っておく。このすり鉢に、鍋のつゆを入れ、
具を取って食べるのである。

先の大皿のつまみを食べ終わった頃に、土鍋が出される。
鍋には、味噌味のつゆが張られている。

火を付ける。
と、いよいよ、鍋奉行の活躍の時である。
入れる順番。まずは、鰯のすり身。これは、叩いた状態で、ホタテの貝殻に
載せられている。お玉で、団子状に取って、つゆの中に、入れる。
それから、鶏肉、魚(銀鱈)、白菜の芯の部分、あたりからであろう。

煮えるのを待つ。
煮えてきたら、牡蠣、春菊、にら、白菜の葉の部分など入れ、
さあ、食べよう!。


すり鉢の胡麻と、味噌のつゆが、また、うまい。
具は、鰯のつみれ、銀鱈、牡蠣、豆腐など、どれもうまい。

最後には、うどんを入れる。
(今日の我々は、腹をすかせた男ばかりで、見かねた、お母さんは、
おまけでご飯も出してくれ、
うどんを食べた上に、玉子を落とした、おじやまで、食べてしまった。)


会社の宴会などには、びっくりするものはないが、
こんな店が、落ち着けてよい。


HP




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