断腸亭料理日記2004
9月18日(土)夜
妻が、なにかのTVで見た。
かなりの近所であるため、店の前は何度も通っていたし、
存在も知っていたが、入ったことはなかった。
浅草の北、吉原大門前の創業100年を超える、老舗、
土手の伊勢屋の、暖簾分けという。
土手の伊勢屋はとにかく、こて盛の江戸前天丼が看板。
正直、話の種に、一度行けば、よい、ともいえよう。
(まずくはない。いや、うまい。しかし、行列に並んで、
通うような店でもないと思われる。)
さて、ここ、場所はというと、新堀川通りと春日通りの交叉点を
厩橋方向へ数軒目、春日通り沿いの右側。
余談だが、新堀川通りという名前、
最近はタクシードライバーも余り使わない。
合羽橋道具街の通り、などと言った方が、わかりやすいようである。
今は、通り、の名前であるが、その昔は、新堀川という川であった。
もともとは江戸の頃、新しく掘られた堀であることから
新堀、と言ったらしい。
入谷田圃と言われ、現代の言問い通りから、
北あたりは一面の田園であった。
新堀は、この入谷田圃から流れ、合羽橋、東本願寺の西側を流れ、
菊屋橋、阿部川町、鳥越から、幕府の御米蔵のあった、
蔵前で、隅田川に合流する。
もちろん、地元の人間は、新堀川通りと今でも言う。
閑話休題。
間口二間ほどのさほど大きくない、店の建物は、比較的新しい。
(店の中に、古い店舗の写真も掲げられており、ここも
そこそこに、歴史があるのかと思われる。)
入ると、コの字にカウンターが設けられている。
また、二階もあるようである。
天丼が¥800ちょい。
天丼はこの上にも、いくつかあり、また、定食、天ぷらだけの
メニューもあるが、やはり、ここは、これを頼んでみる。
妻によると、巻き舌の江戸弁をまくし立てる親爺が、
揚げているようである。
また、ここは、野菜天は一切ない。
TVでこの親爺が、
「もともと、江戸前天ぷらってのは、野菜なんか揚げねぇんだ!」
と、発言していたらしい。
筆者も自分で天ぷらを揚げる場合は、魚介類以外は揚げない。
以前に、妻に、親爺と同様のことを言ったのを、妻が覚えていて
「あんたと同じことを言ってた」。
光栄であると、言うべきか、、。苦笑をしてしまった、、。
さて、天丼。
サイマキ海老二匹、キス、いかのかき揚が載っている。
もちろん、甘辛、濃い目の天つゆの染み込んだ江戸前の味付け。
油は胡麻油の割合が高いということだが、くどくはない。
天ぷら自体は、飛び切り、うまいか、と聞かれれば、普通である。
しかし、この値段で、味噌汁、お新香がついて
江戸前の天丼が食べられれば、御の字であると言わねばならない。
この店、定食か、天丼といった感じで、呑みながら
天ぷらを食う、という客は少ないような感じである。
営業は、夜だけ。
メニューに酒はなかったかどうか覚えていないが
(まさか、ない、こともなかろう。)
そういう喰い方をしてもよいような気もする。
また来よう。
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