断腸亭料理日記2024
4483号
引き続き、福岡、宗像大社。
日本古代史というのは、おもしろい。
そして、ここ10年、20年なのか、日本の古代史の進捗は、
目覚ましいものがあるように思う。
日本史というのは、政治的要素が多分にあったりもするので、
デリケートで、偏る可能性も秘めている学問である。
戦前の日本史というのは、天皇中心国家の歴史であり、
古代となると、天皇の存在というのがむろん大きく
それこそ迂闊に触れられない存在であった、のであろう。
また、日本書紀、古事記なんというものも、政権として
日本で初めての文書による歴史書であり、真偽を問う
ということも戦前は憚られたのであろう。
また、国際関係なども特に、朝鮮半島、中国など近隣
との関係であり、偏る可能性が多分にある。
学問の世界なので、戦前の解釈、考え方が戦後、我々が
学んだ時期にもまだ以前のものが残っていたのである。
一方、進捗の大きな要因は分析技術などの進歩が挙げられそう
である。
ホットなニュースだと思うのだが、近年の人間のゲノム
解析技術が大幅に進歩し、縄文人から弥生人、古墳時代人、
現代人のDNA分析を詳細に行った研究がある。
NHKで取り上げている。
ご覧になった方もあるかもしれぬ。
これ、かなり驚いた。
まさに、日本列島の古代史にとって重大な要件に
なりそうである。
例えば現代の東京の日本人のDNAに縄文人、弥生人の
古墳人のDNAは存在する。
だが、詳細にみると、古墳人と現代人のDNAはかなり
近いのだが、古墳人と弥生人の間には、3/5程度であろうか、
新しいDNAが加えられている。これは東アジア系というが、
古墳時代に大量の東アジア系の人々が日本列島に移住、定住し、
弥生人と混血が進んだとみてよいのであろう。
そして、古墳時代の後はあまり変化はない。
つまり、古墳時代人と現代日本人はほぼ直系というのか
彼らの直の子孫であるといってよさそう。
まあ、これは一例であるが、考古学研究の技術革新により
新しい事実がたくさん発見されているのであろう。
また、先に述べたような、研究姿勢も戦前の歴史観から脱して
正しく、公平、真摯な日本列島古代史の構築に先生方も
向かっていけるようになったのであろう。
さて、今回の私の勉強は古代史でも目の前の疑問の、
宗像大社の古代の信仰に一先ず絞って文献をあたってみた。
ただ、もちろん周辺もみなければ、いけないのだが。
参考としたのは、一つは、日本史の概論、教科書的と思われる
「古代史講義 佐藤 信 (編集)(ちくま新書)第1巻-邪馬台国から
平安時代まで」。
これである程度、今の日本の古代史の見方をざっくり学ぶ。
そして、調べる過程で見つけた
「海の向こうから見た倭国 (講談社現代新書)高田貫太」。
この先生は1975年生まれ。専門は考古学で歴史民俗博物館教授。
古墳時代の日朝関係史の研究が主で、韓国慶北大学校考古人類学科
博士課程を出られている。
実のところ、この時代の特に北部九州というと、朝鮮半島との
関係抜きには、まったく考えられないのがすぐにわかってくる。
そこで、この先生は韓国の大学でも研究されているという
立場は大きなアドバンスであると思われる。
日本と朝鮮半島の関係史というのも、やはり多分に政治的であり、
民族感情の影響を想像以上に大きく受ける。
双方の立場を理解し研究成果に対し公平、真摯に取り組まれる
姿勢が不可欠である。
さて、どこからみようか。
まず、宗像大社沖ノ島の神域、巨石周辺から発見された
8万点の国宝すべての時代の特定から。
考古学的な物品なので年代はもちろん、詳細な年まで特定は
できないのだが、少し広く、3世紀から9世紀(200年代から
800年代)まであるよう。
今、日本史で古墳時代と定義されているのは、文字通り古墳が
多数作られた、3世紀中期から7世紀頃のよう。
古墳時代の次は多少重なってもいるかもしれぬが、飛鳥時代で、
飛鳥時代と古墳時代の境は、聖徳太子が推古天皇の摂政となった
593年あたりに置く。
この間に、なにが起きているのか、で、ある。
もちろん、もっとも重要な出来事は、ヤマト王権の確立、成長、で
あろう。
宗像大社沖ノ島の国宝の多くがこの時代であるということ。
これが、とても大事なことであろうことは、想像できる。
では、ヤマト王権がいつ確立されたのか。
これにはご存知の邪馬台国はどこだ問題が引っかかってきてむずかしい。
ただ、邪馬台国があって、ヤマト王権の確立があるという順番は
ある程度確定できるのか。
しかし、邪馬台国はヤマト王権に含まれると考える方が
自然という論調が、今は強いよう。これは私もそう思う。そうすると
邪馬台国九州説はあり得なくなる。ヤマト王権の確立をどこに
するのかはそういう意味でまだデリケートな議論になる。
そこで、今、ここでははっきりさせないで進めよう。
では邪馬台国はいつなのかというと、これは「魏志倭人伝」によって
年号が特定できる。卑弥呼が没したのは248年頃。
卑弥呼の死後、男王が立つが国は乱れ、壱与女王が立ち、治まる。
その後、壱与女王は266年に晋の武帝に遣使、朝貢している。
ここでそれ以前の列島をみてみる。
これもざっくりとした私の理解だが、ヤマト王権確立以前は
列島各地に王(首長)がおり、それぞれ並立に近い状態であった。
志賀島の金印で有名な「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)」。
今の通説は、倭の奴国の王で、奴国は今の福岡市、春日市あたり。
大和も含めて、北部九州、山陰出雲、瀬戸内吉備、東海、関東
などなど各地に小国、小集団が林立し、それぞれ列島内での
活発な交易、交流が行われていた。
これも近年の発見、研究でわかってきたことのようだが、地域的
分業も既にできており、例えば、銅鐸・銅剣を盛んに作っていたのは
出雲で出雲には専門の技術者がおり、作ったものを各地に配布して
いたと考えられるよう。
また、この当時の技術は銅鐸などの銅までで、製鉄の技術は、
正確には特定されていないようだが、もう少し後の古墳時代、
5〜6世紀といい、列島にはまだなかった。これも一つのポイント。
鉄が欲しければ、朝鮮半島から得なければいけないのである。
つづく
沖ノ島の奉献品
三角縁四神文帯二神二獣鏡
18号遺跡出土
国宝
3世紀
世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
デジタルアーカイブ
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