断腸亭料理日記2023

平河町界隈の話〜赤坂四川飯店

4355号

6月11日(日)夜

さて、引き続き、日曜日。

鳥越祭は続いているのだが、朝の本社神輿の渡御を
終えているので、まあ、大方収束方向。
本社神輿自体は一日かけて、広い氏子町範囲を巡り
夜、八時くらいであろうか、鳥越神社に戻り、宮入。
これで本当の収束。
この宮入はまた、色々あって、危なかったり、
なのだが、見たい人は見るのか。
内儀(かみ)さんは好きなようで、よく宮入まで
見に行っている。

が、今回は、夜は中華、赤坂[四川飯店]へ
行くことにした。

さて、赤坂[四川飯店]。
もうなん回も行っているが、今日はちょっと界隈の
昔を見てみようかと考えた。

赤坂といっているが、住所は平河町。
平河町って、どんなところ?。

まず、現代の地図。

付近には、赤坂見附駅、外濠(弁慶濠)があって弁慶橋、
以前は赤坂プリンス、通称赤プリ、今は東京ガーデン
テラス紀尾井町でこの中に赤プリは含まれている。
町名はそう、紀尾井町。ホテルニューオータニもある。

反対側は永田町。いわずと知れた、国会議事堂、
衆参議員会館や首相官邸、さらに日枝神社。
青山通りというのか、三宅坂があって内濠に出る。
最高裁、国立劇場、国立演芸場、ここは隼町。
その北側は半蔵門。新宿通り、麹町。
こんな感じ。
官庁街でもないし、なんというのであろうか。
政治街?。
ともかくも、まぎれもなく日本の中心の街、と
いってよいのだろう。

さて、では、江戸の頃。

切絵図「外桜田永田町絵図」(嘉永3年(1850年)版)という
名前だが、かなりへしゃげている。もう少しきれいに
できそうなものだが。
今の[四川飯店]の位置に星印を入れた。
江戸期の町名は北の方だがサンボンガワの平川が一般的で
あったよう。

まず、現在の青山通りはまだない。
紀尾井町は、ご存知の通り、紀州、尾張、井伊の藩邸
があったので明治にこの町名が付けられている。
松平出雲守が見える。雲州松江藩18万6千石上屋敷。
松江の松平家は結城秀康の三男松平直政が藩祖で、いわゆる
徳川将軍家一門。幕末まで存続。
日枝神社が今と同じ場所にあるがもっと広そう。

隼町というほんの小さな町や区域が見える。
先に書い三宅坂北、最高裁らの今の隼町とは場所が違っている。
隼町周辺は旗本屋敷。ちょっと調べる(「江戸明治重ね地図」)と、
このあたりの旗本は千石前後の、そこそこ大身。家柄のよい家
ばかりか。大手町側とは多少趣きが違うが、幕府にとって
重要な家の集まった区域といってよいのだろう。

そして、北東に平川天神がある。これは今もこの場所にある。
平川町、平河町の由来は、この天神様になるよう。
(千代田区町名由来)
そもそも、平川天神というのは太田道灌が江戸城主であった頃に
さかのぼるという。つまり室町の頃から江戸城内にあり、
家康が江戸に入って、江戸城の建設を始め、今の場所へ
移転させたとのこと。
そして、界隈の町やが平川町となった。
さらに、平川というのは、実際にあった川の名前。
家康以前の江戸城の北側、江戸期でいうと、大手町、竹橋
あたりの内濠。平川門という名も残っているが、このあたり。
このあたりの濠は、実際の川を利用していたということに
なるのであろう。また、このあたりの村も平川村と
いったよう。
隼町の由来は江戸初期ここに鷹匠の屋敷があったという。

そして、もう一つ、永田町。
この江戸の地図にも既に永田の文字が既にいくつか見える。
むろん、武家屋敷街なので、正式町名ではない。
この由来、大方、田んぼでもあって、江戸以前からの呼び名
なのかと思ったのだが、そうではなかった。
まあ、ここ台地なので、田んぼはできなかったか。
やはり「千代田区町名由来」によれば、この界隈に永田姓の
屋敷が三家あり、永田町になった、というのである。
この幕末の切絵図にはそれでも一家、永田伊織という名前が見える。
江戸期そこにあった家の名前が町の名前、通り、あるいは坂、
橋などの名前に残る例はさほど珍しいことではないが。
この永田伊織家は調べると千五百石で、やはりそこそこ大身と
いってよいだろう。だがまさかこの永田さんも後に、国の政治の
中心の町に名前に残るとは思ってもいなかったであろう。

さて、明治。これは明治30年(1897年)(「東京一目」)

明治から、平川町はサンボンガワからサンズイ平河町に
変わっているよう。なんとなくハクを付けたかった?。

江戸で最初に書いた青山通りは明治でもまだない。
(震災後?いつなのかは今回は未確認。)

国会議事堂もまだない。国会議事堂は昭和11年(1936年)。
一部は枢密院。ついでに、総理官舎(官邸)がその隣にあるが、
今は、少し南で地図の範囲外。ちなみに今の場所には昭和4年
(1929年)に移っている。

内濠沿いは南から隼町まで、軒並み陸軍省、陸軍関係施設。

隼町は江戸期の隼町の飛び地が現隼町の北隣にあり、ここが
麹町一丁目になっため、名前をもらったという。なんだか
いい加減な命名法。
青山通りがないが、弁慶橋のすぐ隣に華族女学校、学習院の前身。

そして、北白川宮邸を書き入れた。ここが赤プリの場所。
現在、赤坂プリンスクラシックハウスとして洋館が
残されている。以前は赤プリ旧館といっていた建物。

これは1930年(昭和5年)に建てられている。
ご存知であろうか。これ、なかなか興味深い。
北白川宮邸かと思うと左に非ず。旧李王家東京邸

なんであろうか、おわかりになろうか。
当時、ご存知のように、朝鮮半島は日本により併合され、
500年続いた李氏朝鮮(大韓帝国)は日本により滅ぼされた。
王直系、及び一族は以後、王公族という日本国内の日本皇族、
宮家に準じる身分とされた。ここはその李旧朝鮮王家の屋敷
だったのである。

平河町、公有地だけでなく、一般の住宅もそこそこ
あった。麹町の方は、江戸からの商(あきない)の町で当然
商家が軒を連ねていたわけだが、平河町になると、庶民の
住宅ではなく公爵、伯爵といった華族邸、あるいは、地図にも
名前が入る官吏、実業家の屋敷が軒を連ね、かなりおハイソな
お屋敷町であったよう。例えば、洋画家の黒田清輝は子爵
でもあったが、その屋敷はちょうど[四川飯店]の入っている
ビルの前、都道府県会館ビルの一角にあたるところにあったよう。
(「江戸明治重ね地図」)

江戸期から、名家の大名やそこそこよい家柄の旗本の街を
明治に入り引き継ぎ、さらにパワーアップし、昭和初期に
永田町に国会議事堂ができ、今のおハイソな政治街になった?。
どんなものであろうか。


つづく

 

 

 

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