断腸亭料理日記2023
4398号
8月21日(月)夕
さて、なにを食べよう。
暑くて、もうなかなか、思い浮かばぬ。
こんな時は、黄金メニュー?。
鮨、天ぷら、、、、うなぎ!。
奇しくも、というのか、あたり前ではあるが、
鮨、天ぷら、うなぎは、江戸・東京生まれ、育ちの料理。
いわば東京者にとっては、郷土料理。
そして、子供から大人までみんな大好き。
鮨、天ぷらは屋台の食い物であった時代もあるが、
うなぎ蒲焼は、値段も高く、特別なご馳走の地位を
ずっと守り続けている。
養殖も明治から始まってはいたが、本格化するのは戦後。
それまでは、多くは天然もの。値段の変遷をきちんと
調べてみたことはないが養殖が始まり、戦後安く
なっていると思われる。
それでも、うなぎ蒲焼は、庶民も食べるものであった。
数多くの江戸落語に登場する。
「素人鰻」明治になり武士の商法、うなぎやを
元旗本が始め、うなぎと大格闘、悪戦苦闘する。
「鰻の幇間」太鼓持ち(幇間)がお客にゴチに
なろうと、うなぎやに連れ込むが、食べ始めたら、
ハバカリ(トイレ)に行く、といって中座。
それっきり戻ってこず、なんのことはない、
逃げられてしまう。お客の飲食代に加え、おみやまで
持って帰られ、さらに太鼓持ちが履いていた
おろしたてのよい下駄まで履いて帰られてしまう。
八代目桂文楽師の傑作。
噺の名前には出てこないが、うなぎやが重要な舞台に
なっているものも多い。人情噺の名作「子別れ」。
子は鎹(かすがい)ともいうが、文字通り、
別れた夫婦が、子供によって、元の鞘に収まる
という話だが、クライマックスはうなぎや。
六代目三遊亭圓生師の名演「包丁」も冒頭の
悪だくみを話す場所は、うなぎやの離れ。
浅草というところは、うなぎやの数が多い。
だが、半端な時刻にちょいと入れるというと、
[小柳]
で、あろう。
江戸創業のうなぎやが、ごろごろある浅草では
まだまだ若い、ということになってしまうが、
それでもここの創業は大正15年(1926年)。
立派な老舗であろう。
最古は田原町の[やっこ(奴)]。年までは
はっきりしないが寛政年間(1789〜1801)といい、
おそらくうなぎ蒲焼が江戸で定着した頃。
泥鰌が看板だが先日の[駒形どぜう]は寛政の次の
享和元年(1801年)、駒形の[前川]がその次で
天保年間(1805〜1830)という。このあたりから
幕末になるが雷門の[色川]が文久元年(1861年)。
毎度書いているが鮨や、天ぷらやではこれだけの
長い間同じ暖簾の店は希少であるが、うなぎやは
例外である。これはやはり単価の違いではなかろうか。
ともあれ。
[小柳]であった。
場所は、オレンジ通りと仲見世の間の南北の通り。
新仲見世よりも北。
この界隈、どこも同じような街並みなので、
ちょっとわかりずらいかもしれぬ。
夕方の開店の16時を目掛けて出かける。
入ると、さすがにお客はなし。
カウンターへ。
酒、冷(ひや)をもらう。
肴は、肝焼きと思ったが、ここは品書きにはない。
肝煮というのがあって、よく頼むのだが、ちょっと
気を変えて、さっぱりと、うざくにしよう。
きた。
うざく。
うなぎ蒲焼の酢の物。
きゅうりやわかめの酢の物に、うなぎ蒲焼が
入っているもの。
そのまま、といえば、そのままなのだが、
夏にはさっぱりしてよいではないか。
お重もきた。
肝吸いは別注。
山椒を振って、
食べる。
飯はしっかり堅め。
蒲焼は、きりっと甘さを抑えた浅草流というよりは、
ほんの気持ちだが甘めの東京ノーマルかもしれぬ。
むろん、これもうまい。
ここ、老舗ではあるが、浅草では微妙なポジション
といってよいのかもしれぬ。
品書きに、オニオンスライス、冷やしトマト
などあり、居酒屋といった趣きもある。
まあ、そこがよさ。
カジュアル、気軽に入れる。
台東区浅草1-29-11
03-3843-2861
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