断腸亭料理日記2021
3955号
10月17日(日)第二食
さて、日曜日。
今日は、ちょっとめずらしいが、内儀(かみ)さんと
上野でとんかつ、[蓬莱屋]。
二つ行きたい候補があったのだが、
なぜか、どちらも臨時で休み。
その次、というので[蓬莱屋]になった。
[蓬莱屋]というのは[ぽん多本家][井泉本店]の
上野とんかつ御三家の一角。(今は[とん八亭]も
その一つに入れるべきかもしれぬ。)
大正元年(1912年)創業。
明治時代に洋食が日本に入ってきて、
様々なメニューが作られ、食べられるようになった。
その中で、特にポークのカツレツが人気になった。
その理由の一つが、日清、日露の戦争の時、
軍隊の食事にポークカツレツがあり、
兵士たちが食べるようになり、人気に。これで
日本中に広まったようである。
それで、洋食やで修行した料理人が独立し
当時人気で流行りの料理であった、ポークカツレツ
だけを扱う店を開店した。
これがとんかつやの誕生である。
これが明治の終わり頃。
とんかつ、という言葉が定着したのはこの
少し後、大正に入ってからのこととと思うが。
[蓬莱屋]の初代は、この頃、上野広小路の
松坂屋の裏で屋台でポークのカツレツを
売り始めたという。
おそらく、この当時、たくさんのポークカツレツ
小さな店が東京中で生まれたのであろう。
その一つ。この時期創業の東京のとんかつやは
他にもあるが、このとんかつ草創期から
途中閉めることなく商売を続けてきた老舗と
いうことになる。
[蓬莱屋]は昭和の日本映画の巨匠、小津安二郎に
愛されたというので有名だが、こういうことも
長く暖簾を続けてきた理由になるのかもしれない。
夜は17時から。
二人だとやはり予約はできない。
雨模様なので、徒歩で出る。
バスに乗ろうと思ったのだが、出たすぐあとで
結局、御徒町まで徒歩。
まあ、10分程度でたいしたことはないのだが。
春日通りから松坂屋裏の通りに曲がる。
吉池に曲がる路地の角が[蓬莱屋]。
17時すぎ既に暖簾は出ている。
暖簾を分けて、入る。
カウンターには既に二人の客。
パーテーションがあって、席数も少ない。
これは座敷の方がよいだろう。
二人というと、お二階へ、と。
階下にも座敷があったと思う。
二階は初めてかもしれぬ。
古い木造の階段を上がる。
階上はお膳のいくつかある和室。
お客はなく、手前のお膳に座る。
六畳か、広くはないが料理やらしい部屋。
瓶ビールをもらい、ヒレカツ定食、3,300円也、
二つ。
ここは、串カツなどもあるが、まあ、
ヒレカツ専門店。
やはり、珍しいだろう。
ビールがくる。
ヱビスの瓶。
お通しは、いつも通り枝豆のひたし豆。
最近のとんかつやは、お通しを出さないところも
少なからずあるが、やっぱりほしい。
そして、きた、
ヒレカツ定食。
切り口。
色、濃いめの揚げあがり。
[ぽん多本家][とん八亭]は色薄めの
揚げあがりで対照的である。
ロースでもヒレでも厚い肉に火を通すには、
色々な技がある。
温度の違う二種類の油で揚げるところもあったり
低温で長く揚げるというところもある。
ピンク色ではないが、しっとりとした切り口。
お膳に塩がなかったので、階上にいるお姐さんに
もらう。
やはり、最初は塩で食べたい。
肉が、うまい。
うまみにあふれている。
ヒレなので、脂ではなく肉そのもののうまみ、
ということになる。
流石にヒレカツ一本でやっているだけのことはある。
衣もしっかり。割れもない。
食べ終わる頃、お姐さんがお茶とおしぼりを
持ってきてくれる。
こういう、昔からの料理やのサービス、
よいものである。
そこそこ上級のところのもの、ではあろうが、
この座敷と、うまいヒレカツとともに、
なんだかほっとする。
減っているような気もする。
知らないのか、必要ないと思っているのか。
台東区上野3−28−5
03−3831−5783
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