断腸亭料理日記2019
私は誤解をしていたようなのである。
妓楼、女郎屋でお客が食べるものを誂えるのが“台屋”であると
この「松葉屋瀬川」で円生師は説明をする。
そして食べるものそのものを“台のもの”という。
これは飯台に入れて持ってくるのが由来、と。
この「松葉屋瀬川」を聞く前“台のもの”の台の由来を
誤解していたのである。
違う噺なのだが私の好きな「居残り佐平治」というやはり
廓の噺がある。
この噺は有名で談志家元もするので、かなり以前から知っていた。
ここに“台のもの”さらに“そばの台”さらにその“そばの台が”
空いた“台ガラ”という言葉が出てくるのである。
それもストーリーに関わる比較的重要なアイテムとしてである。
「居残り佐平治」が映画化された「幕末太陽傳」でこの場面が
映像化されており、この“台のもの”は黒塗りの細長いお膳の
ようなものに載せられて運ばれていた。
これが、いかにも私には“台”に見えたのである。それで“台”に
載っているから“台のもの”かと思っていた。
今回「居残り」の昔の速記を調べてみた。1919年(大正8年)
初代柳家小せん(「集成」(めくらの小せんなどといわれ
「居残り」といえばこの人であったよう))によれば“台ガラ”の
ことを“台場”といっていたのである。おそらくこれが正しい、
というのか、古い使い方であったのであろう。
飯台に載せるから“台のもの”で、そこからさらに妓楼で食べる
料理のことを「のもの」を略し“(そばの)台”、載せて客へ運ぶ
ものなので“台場”、台のものを作るので“台屋”なのであろう。
台、台のもの、台屋、台場という言葉、他ではまず聞いたことがない。
ご退屈様、閑話休題。
吉原揚屋町[たけむら]という台屋のこと。
円生師、さらに台のもの、吉原の料理の値段の話をする。
「品川心中」でも書いたが、遊郭というところは衣替えに
衣装代を馴染み客が出すとか、まあ、とにかくお金を取る仕組みが
出来上がっていたのである。
見得の場所などといい、十八大通なとという、通人、主として蔵前の
札差であるが、超富裕商人、まあとにかく金に糸目をつけずに大盤
振る舞いをするのが、あたり前の話しだが、喜ばれる。そういうもの
であった。
だが、吉原は江戸後期になると、お客はどんどん減っていった
のである。歌舞伎も同様である。(ここは噺には出てこない。)
吉原、四宿が公に、まあ、許されたところだが、その代わり、
いわゆるもぐりの、岡場所というところが安く、こちらへどんどん
客は奪われていったのである。1/10くらいであろうか。格安。
この台屋というのは、料理自体は、外のそばやだったり、鮨や、
料理屋から取り、それを皿を代えて、妓楼に入れる。これで
3割、4割乗っけて、出していたという。(ここは円生師の説明。)
まあ、ひどいもんである。
今も、例えば、古い有名な温泉地に行くと旅館など妙に相場が高い
という経験をされた方はあるかもしれぬ。一度上がってしまった
格というのか、相場は簡単には下がらない。ある種産業のようなもので
旅館の周辺に様々な仕事があって、上から下までその値段で出来
上がっておりそうそう簡単には変わらないと思われる。
吉原もそうだった。
明暦に新吉原として日本橋から移転してきて百五十年、二百年、
の間に、関連する人々、商売がたくさんできていたわけである。
こういう食い物、台屋もそうであろうし、また女性も然り。
当時であるから、借金によって子供の頃に売られてくる。これに
関わる、女衒(ぜげん)もそうであろうし、費用は最終的には、
妓楼が出すわけである。研究があり読んだことがあるが、例えば
一人、十歳の下野〇〇村のお花さん、百両、相場このくらいだった
ようである、妓楼もこれ、借金をして出すのである。
妓楼用の金融業というのも吉原周辺にできており、これはある寺を
名目にしてシンジケートのように組織され、田舎の豪農らが出資し、
金をまわしていた、そんな記録が残っているようである。まさに
産業である。花魁道中など華やかではあるが、これが本当の姿で
あることも頭に置かねばならない。
ともあれ。
崋山は若旦那を、花の会と称して台屋の[たけむら]のそばの吾朝
(ごちょう)という幇間の家に連れてくる。
座敷には緋毛氈が敷かれ、上品な設(しつら)え。
そこへ、これ以上なかろうという、美しい花魁が現れる。
もちろん、前々から崋山が手をまわしていたこと。
この花魁が[松葉屋]の瀬川。
[三浦屋]の高尾というのが落語などにもよく出てくる名前で、代々
襲名していた花魁だが[松葉屋]の瀬川も同様、時代時代で、店の
No.1の花魁が襲名していた名前。
雛形若菜の初模様・松葉屋内瀬川
鳥居清長筆 大判 錦絵
噺にも出てくるが、一枚絵に出てくる瀬川花魁。
おそろしい、八頭身である。
鳥居清長の作品は、江戸のヴィーナスなどともいわれているようで、当時も
美人画として一世を風靡した。時代としては天明から文化までで幕末より
少し前である。
[松葉屋]は、松葉屋半蔵で、半蔵松葉などどともいわれ、大籬
(おおまがき)、大見世。いわゆる高級店である。店も格がしっかり
決まっており、大見世、中見世、小見世。吉原全体で、同じ格の花魁だと
横断的に値段も同じであった。大見世の瀬川花魁であれば、最上級、
大夫(たゆう)といったが、入り山形に一つ星、一両一分(もちろん、
これだけではすまないが)の花魁といった。入り山形に一つ星というのは
「吉原細見」といって、案内が出ており、ここに花魁の名前とランクが
記号で書かれていたのだ。最上級が入り山形に一つ星、という記号という
ことである。ここまで、この噺だけではないが、落語の中での説明のされ方である。
ちなみに大夫というのはよく訂正されるが、上方、例えば京都島原
などの大夫とは違うということである。端的にいうとあちらの方は京都
の方が格が上という。詳細は不勉強でわからないが、まあ、歴史と環境、
文化が違うので、違うのはあたり前であろう。
私も物好きで、この江戸期の「細見絵図」の復刻版(ほんものは
かなり高価なので)を以前に手に入れてみたのが手元にあった。
今回改めて引っ張り出して[松葉屋]のところに瀬川という名前が
ないか探してみた。そもそも私の弱点、古文書が読めない。
また大夫というのは吉原全体でも2〜3人しかいない。[松葉屋]の
場所はおそらくこれであろう、とわかったが、大夫、あるいは瀬川も
いつもいるとは限らない、ということかもしれぬが結局[松葉屋]の
大夫瀬川は確認できなかった。(「細見」の画像も載せようかと思ったが、
不正確のおそれ多分にあり、やめておく。)
松葉屋の瀬川花魁、若旦那と崋山がいる部屋へきて、花を見事に生けて
帰っていく。
帰り際、若旦那に、ニコッと笑いかけていった。
つづく
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