断腸亭料理日記2019

断腸亭落語案内 その8 円生・松葉屋瀬川

引き続き円生師の「松葉屋瀬川」なのだが、ちょっと
横道にそれて、吉原など昔の遊郭での専門用語、台(だい)、
台屋、台のもの、について、ちょっとマニアックな話し。

私は誤解をしていたようなのである。

妓楼、女郎屋でお客が食べるものを誂えるのが“台屋”であると
この「松葉屋瀬川」で円生師は説明をする。
そして食べるものそのものを“台のもの”という。
これは飯台に入れて持ってくるのが由来、と。

この「松葉屋瀬川」を聞く前“台のもの”の台の由来を
誤解していたのである。

違う噺なのだが私の好きな「居残り佐平治」というやはり
廓の噺がある。

この噺は有名で談志家元もするので、かなり以前から知っていた。
ここに“台のもの”さらに“そばの台”さらにその“そばの台が”
空いた“台ガラ”という言葉が出てくるのである。
それもストーリーに関わる比較的重要なアイテムとしてである。

「居残り佐平治」が映画化された「幕末太陽傳」でこの場面が
映像化されており、この“台のもの”は黒塗りの細長いお膳の
ようなものに載せられて運ばれていた。

これが、いかにも私には“台”に見えたのである。それで“台”に
載っているから“台のもの”かと思っていた。

今回「居残り」の昔の速記を調べてみた。1919年(大正8年)
初代柳家小せん(「集成」(めくらの小せんなどといわれ
「居残り」といえばこの人であったよう))によれば“台ガラ”の
ことを“台場”といっていたのである。おそらくこれが正しい、
というのか、古い使い方であったのであろう。

飯台に載せるから“台のもの”で、そこからさらに妓楼で食べる
料理のことを「のもの」を略し“(そばの)台”、載せて客へ運ぶ
ものなので“台場”、台のものを作るので“台屋”なのであろう。

台、台のもの、台屋、台場という言葉、他ではまず聞いたことがない。

ご退屈様、閑話休題。

吉原揚屋町[たけむら]という台屋のこと。

円生師、さらに台のもの、吉原の料理の値段の話をする。
「品川心中」でも書いたが、遊郭というところは衣替えに
衣装代を馴染み客が出すとか、まあ、とにかくお金を取る仕組みが
出来上がっていたのである。

見得の場所などといい、十八大通なとという、通人、主として蔵前の
札差であるが、超富裕商人、まあとにかく金に糸目をつけずに大盤
振る舞いをするのが、あたり前の話しだが、喜ばれる。そういうもの
であった。

だが、吉原は江戸後期になると、お客はどんどん減っていった
のである。歌舞伎も同様である。(ここは噺には出てこない。)
吉原、四宿が公に、まあ、許されたところだが、その代わり、
いわゆるもぐりの、岡場所というところが安く、こちらへどんどん
客は奪われていったのである。1/10くらいであろうか。格安。

この台屋というのは、料理自体は、外のそばやだったり、鮨や、
料理屋から取り、それを皿を代えて、妓楼に入れる。これで
3割、4割乗っけて、出していたという。(ここは円生師の説明。)
まあ、ひどいもんである。

今も、例えば、古い有名な温泉地に行くと旅館など妙に相場が高い
という経験をされた方はあるかもしれぬ。一度上がってしまった
格というのか、相場は簡単には下がらない。ある種産業のようなもので
旅館の周辺に様々な仕事があって、上から下までその値段で出来
上がっておりそうそう簡単には変わらないと思われる。

吉原もそうだった。
明暦に新吉原として日本橋から移転してきて百五十年、二百年、
の間に、関連する人々、商売がたくさんできていたわけである。
こういう食い物、台屋もそうであろうし、また女性も然り。

当時であるから、借金によって子供の頃に売られてくる。これに
関わる、女衒(ぜげん)もそうであろうし、費用は最終的には、
妓楼が出すわけである。研究があり読んだことがあるが、例えば
一人、十歳の下野〇〇村のお花さん、百両、相場このくらいだった
ようである、妓楼もこれ、借金をして出すのである。
妓楼用の金融業というのも吉原周辺にできており、これはある寺を
名目にしてシンジケートのように組織され、田舎の豪農らが出資し、
金をまわしていた、そんな記録が残っているようである。まさに
産業である。花魁道中など華やかではあるが、これが本当の姿で
あることも頭に置かねばならない。

ともあれ。
崋山は若旦那を、花の会と称して台屋の[たけむら]のそばの吾朝
(ごちょう)という幇間の家に連れてくる。

座敷には緋毛氈が敷かれ、上品な設(しつら)え。
そこへ、これ以上なかろうという、美しい花魁が現れる。
もちろん、前々から崋山が手をまわしていたこと。

この花魁が[松葉屋]の瀬川。

[三浦屋]の高尾というのが落語などにもよく出てくる名前で、代々
襲名していた花魁だが[松葉屋]の瀬川も同様、時代時代で、店の
No.1の花魁が襲名していた名前。

雛形若菜の初模様・松葉屋内瀬川
鳥居清長筆 大判 錦絵

噺にも出てくるが、一枚絵に出てくる瀬川花魁。
おそろしい、八頭身である。
鳥居清長の作品は、江戸のヴィーナスなどともいわれているようで、当時も
美人画として一世を風靡した。時代としては天明から文化までで幕末より
少し前である。

[松葉屋]は、松葉屋半蔵で、半蔵松葉などどともいわれ、大籬
(おおまがき)、大見世。いわゆる高級店である。店も格がしっかり
決まっており、大見世、中見世、小見世。吉原全体で、同じ格の花魁だと
横断的に値段も同じであった。大見世の瀬川花魁であれば、最上級、
大夫(たゆう)といったが、入り山形に一つ星、一両一分(もちろん、
これだけではすまないが)の花魁といった。入り山形に一つ星というのは
「吉原細見」といって、案内が出ており、ここに花魁の名前とランクが
記号で書かれていたのだ。最上級が入り山形に一つ星、という記号という
ことである。ここまで、この噺だけではないが、落語の中での説明のされ方である。
ちなみに大夫というのはよく訂正されるが、上方、例えば京都島原
などの大夫とは違うということである。端的にいうとあちらの方は京都
の方が格が上という。詳細は不勉強でわからないが、まあ、歴史と環境、
文化が違うので、違うのはあたり前であろう。

私も物好きで、この江戸期の「細見絵図」の復刻版(ほんものは
かなり高価なので)を以前に手に入れてみたのが手元にあった。
今回改めて引っ張り出して[松葉屋]のところに瀬川という名前が
ないか探してみた。そもそも私の弱点、古文書が読めない。
また大夫というのは吉原全体でも2〜3人しかいない。[松葉屋]の
場所はおそらくこれであろう、とわかったが、大夫、あるいは瀬川も
いつもいるとは限らない、ということかもしれぬが結局[松葉屋]の
大夫瀬川は確認できなかった。(「細見」の画像も載せようかと思ったが、
不正確のおそれ多分にあり、やめておく。)

松葉屋の瀬川花魁、若旦那と崋山がいる部屋へきて、花を見事に生けて
帰っていく。

帰り際、若旦那に、ニコッと笑いかけていった。

 

つづく

 

 

 

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