断腸亭料理日記2019
引き続き「ちきり伊勢屋」。
伝次郎の馴染みの幇間(たいこもち)一八(いっぱち)から、着物と羽織を
巻き上げたので、さっそく、表の[富士屋]という質屋に、伝次郎が
持っていく。
すると、番頭はちょっと目が届かぬ(引き取れない)ものという。
こんな形(なり)をしているから、怪しんでいるのか?、え?
これでも、麹町五丁目で、、と言いかけたが、やめて、じゃぁ
しょうがねえ、と、店を出る。
少し歩くと[富士屋]の者が追いかけてくる。ちょっと手前どもの
主人がお話をいたしたいことがあるという。
付いて行ってみると、きちんとした座敷に通されて、出てきた
女主人とその娘。これが、なんと以前に喰い違いで首をくくろう
としていたところを伝次郎が百両をやって助けた母娘であった。
母は、お陰様で二人の命が助かり、この店も持ちこたえることが
できました。本当に、なんとお礼をいってよいかわかりません。
つきましては、この娘を嫁にしていただき、婿になっていいただく、
婿がおいやでしたら、嫁に差し上げ“ちきり”の暖簾を掛けて
いただいても結構でございます、という。
娘は十七。二人は夫婦になり、後に「ちきり伊勢屋」を再興し、
伝次郎は八十いくつまで生きたという。積善(せきぜん)の家に
余慶(よけい)あり、ちきり伊勢屋でございます。
円生師(6代目)は、下げは特になく、こんな終わり方である。
トータルで2時間15分。
怪談でもなく、いわゆる人情噺でもなく、ここまで長く、
かつ現代まで、残っているのは珍しいかもしれぬ。
本文にも書いたが、禽語楼小さん(二代目小さん)の1893年
(明治26年)の速記があるのが最も古いものと思われる。
「(ちきり伊勢屋は)御維新(ごいっしん)には潰れましたが、
ご年配のお方様はご存知でいらっしゃいます」
と禽語楼小さん師は噺の末尾に[ちきり伊勢屋]を実在の店で
あることを匂わす言い方をしている。
明治に入り、落語や芝居は真実、史実を語らねばならないという、
明治新政府の指導もあったのは、前に書いている。こうした
背景があって、このような言葉が出てきた可能性もあり、すぐに
実在とはいえないとは思われる。だが、もしかしたら、という
可能性も否定はできない。
速記は「口演速記明治大正落語集成」(以下「集成」)だがその
解説によれば、三代目、四代目の小さん、また、初代三遊亭
円右も手掛けたとのこと。初代円右は円朝の孫弟子で前に
「品川心中」などがよかったとして出てきた、円生師(6代目)の
師匠である橘家円蔵(4代目)とほぼ同世代。つまり円朝を第一世代
とすると第3世代というような言い方ができるかもしれぬ。それで
円生師(6代目)はこのあたりの噺は直に聞いているはずである。
禽語楼小さん師の速記が最初ということから、やはり柳派の噺で
あったのであろう。
死相を占い師にみられるが、その後の善行によって、長生きを
する、というお話しは、それ以前にも存在するよう。
だが、やはりこの噺そのものの成立時期ははっきりしない、
というのが本当のところであろう。
明治26年の禽語楼小さんの速記は、もう少し長いのだが、大筋は
円生師(6代目)のものと変わっていない。
同じく「集成」の解説によれば、初代円右から習ったのではなく
円生師はこの速記から覚えたといっている、とのこと。
「御神酒徳利」もそうだが、長いが殺伐としたところもなく、
怪談でもなくハッピーエンドで終わるのは珍しい、よい噺である。
積善の家に余慶あり、情けは人の為ならず。持てる者は持たざる者に
分けることは必要なことであると、説教くさくなく、伝えているという
理解はできよう。ただ、その後思いっ切り遊んでもよい、というのも
落語らしい。まったく健全である。
前にも書いたが、馬鹿騒ぎをしている風景や、棺に納めて、出棺、
葬列という風景が私は好きである。
円生師(6代目)版と明治の「集成」版とくらべるとこの部分は細かい
ところもあまり変わりがない。なるほど速記から円生師(6代目)は
覚えたというのがうなづかされ、この部分は明治中期以前の風景である
と思ってよさそうである。
ただ、既に書いたように、おでんやの件は「集成」の速記にもなく、
明治20年以降、大正、あるいは昭和初期と考えられ、禽語楼小さん師
以降、ひょっとすると円生師(6代目)自身の演出であるかもしれない。
舞台が江戸であるからすぐに江戸期のことと考えるのは早計で、
風景描写などは江戸期でもなく、さらにその後明治以降、大正、昭和で
ある可能性も大いにあることには注意しなければいけない。
「御神酒徳利」「ちきり伊勢屋」とどちらも占いがテーマ。
これは偶然ではなかろう。この二つの噺、現代でいえば、SF
サイエンス・フィクションといってよいのではなかろうか。
怪談でもなく、暴力、バイオレンスでもなくエンターテインメント性を
高める手法ということになろう。現代のSFは近未来にある程度予想
できそうなだが、今は現実には起きないことをフィクションとして
物語にし、読者の想像の翼を伸ばさせるというのであろうか。
占いであれば、当時ではありそうでない、なさそうであるかも
しれないことを創作しやすい。そして、そこから生まれる悲喜劇、
笑い、人生のようなものを描いていく。
「ちきり伊勢屋」でもっとも好きなのは、金が少なくなって、
借金をしまくる。その期限が自分の死後になっている、という件。
夢のようではないか。
だがさて「ちきり伊勢屋」、伝次郎が実際に自分だったら、と
考えてみようか。どう思い、なにをするであろうか。噺の中で
白井左近に「やけになって首をくくれば枝が折れる、身を投げれば
助けられる、自ら死のうとしないこと」といわせているのは
おもしろい。
自殺をふさがれると、うつ病になってしまうか?、だがやはり
伝次郎のような行動をするような気もしてくる。
死ねずに無一文になった後、50両はもらったのであれば、それで
裏長屋でもいい、それこそ日傭取りでもして、つつましく
暮らさないのか、という気もしてくるが、いきなりそういう風には
人間切り替えができないものか。考えるとおもしろい。
さて。
そんなことで円生師の「ちきり伊勢屋」はお仕舞。
もう一つ。円生師の長編で好きな噺。あまり他の人は今も演っていない
「松葉屋瀬川」別名「傾城(けいせい)瀬川」を書いてみたい。
時代設定は江戸。
主人公は下総古河の穀や[下総屋]の若旦那、善次郎。
「穀や」というのは米の問屋というようなことか。
古河※は今は茨城県であるが、以前は下総。
善次郎は、本ばかり読んでちっとも若者らしくない。
親が心配をし、少しは外へ出てはどうかと、古河から江戸の店に
出てくる。だが、江戸へ出てきても同じようなことで、江戸見物
などもまったくしないで閉じこもっている。
ただ、引きこもりというのではなく、知識は豊富、口は立つ。
番頭などは簡単に言いくるめられてしまう。
まあまあ、ともかく、というので、番頭は善次郎を連れて浅草へ
見物に出る。店は日本橋横山町二丁目。
つづく
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