断腸亭料理日記2019
引き続き、文楽師「心眼」。
茅場町のお薬師様。
目を開けたいと、三、七、二十一日、満願の日。
梅喜、お賽銭を出して、祈る。
「へい。梅喜でございます。今日は満願の日ですよ。
お薬師様ぁ!」
だが、開かない。
「お賽銭、毎日あげましたよ。
タダ取り、ですか?。
あ〜。
目が開かないんなら、一思いに、私を殺しちゃって下さい。」
(大きな声。)
と、
「おい。なにを言ってるんだ。
おい、梅喜さんじゃないかい。
なんだ、大きな声を、、
おい!。」
(肩を叩く)
梅「へい。
どなた様です?。」
「あ!、、、おい、お前、目が開いたね!。」
(自分の両掌(てのひら)を見つめて。)
え?!。
あ!。
へ〜〜〜〜、目が開きました!。
目が開きましたが、、、あなたは、どなた様で?。」
上「いや〜〜、不思議なことがあるんだね〜〜。
私は、馬道の上総屋だよ。」
梅「あ〜、あなたが上総屋の旦那ですか。
あなたは、そういう顔でしたか〜。」
上「なんだい、そういう顔だ、てぇのは。
人間の一心てぇのは、おそろしいものだね。
もっともね、お前さんとこのお内儀さんがね、
自分の寿命を縮めてもお前さんの目を直そうって、
一生懸命信心をしたって、話しを聞いたが、
夫婦の一念が届いたと見えるんだね〜。
この先も、信心を怠ったらいけないよ〜。」
馬道の上総屋は、これから馬道の家に帰るという。
じゃあ、一緒に連れてって下さい、と梅喜。
目が見えない頃は、なんなく歩くことができたが、
目が開いたら、急にどこがどこだかわからなくなった、と。
上「は〜、そんなもんかね〜。」
(お薬師様へ。
パンパン、と手を叩く。)
(当然、お薬師様はお寺である。文楽師は二回軽く柏手を打っている。
手を叩くのは神社というのが今、うるさくいわれるが、以前はかなり
いい加減であったのか。おそらくお寺側ではなく、神社の側の差別化
戦略であろう。ともあれ。)
梅「ありがとう存じます。
このご恩は決けっして忘れません。
いずれお竹がお礼参りに参りに伺います。
ありがとう存じます。
(上を見上げて。)
なんです、旦那これ?。」
上「これ、納め提灯だ。」
(雷門にぶら下がっている、赤いあれ。)
二人、歩き始める。
(梅喜、杖を突いている。)
旦那に指摘される。
梅「長いこと、クセになってるんですね〜。
旦那の前ですが、この杖てぇものにも、長いこと厄介に
なりました。あたくしねー、これ、家にお祀りしたいと
思います。
あたくしはね〜、うれしくって、うれしくってねー。
早く帰りたいって。
と、急に、目の前を人力車が通る。
梅「あ〜っと。(大きな声)
あー、びっくりした。
旦那、なんです?今、す〜っと通った。」
上「あれは、お前、人力だよ。」
梅「あー、そーですか。
あたくしどもの子供の時分にゃ、あんなものなかった。
(生まれながらの盲人ではなく、子供の頃には見えていた、
という設定。)
よく家内がね、お前さん、車が危ないからって、出るたんびに
そいってくれました。
乗ってるのは女のようですね。」
上「芸者だよ。」
梅「あれが!。そーですか。
あたくしにはわかりませんが、いー女のようですね。」
上「いい女って、東京でなんのなにがしって、一流の、指折りの
芸者だよ。」
梅「あれが。そーですかねー。
旦那ねー、つかぬことを伺いますがね、あたくしどものお竹ね、
お竹と、今の芸者とどっちがいい女ですかね?。」
上「オイオイ!。ヘンなこと聞いちゃ困るよ。
つもっても知れそうなもんじゃないか。」
梅「そいじゃ、なんですか?。私共のお竹の方が、いくらかまずぅ
ございますか?。」
上「おい!、図々しいこと言っちゃいけない。
今の芸者は、東京で指折りの芸者だ。
お前さんとこのお竹さんは、、、
お前さんの前では、言いにくいけど、東京でなん人という指折りの
まずい女だ。」
梅「そんなに私共のお竹はまずぅござんすか?」
上「人の悪口に“人三、化け七(にんさん、ばけしち)”なんてぇことを
言うだろ。ホントのこと言うと、お前さんには悪いけど“人なし、
化け十”と言って、人間の方に籍が遠いんだ。」
梅「“人なし、化け十”ですか〜。そーですかねー。
へ〜〜。知らないってぇのは、しょーがない。長いこと夫婦に
なってたんだから、、、。
旦那の前でござんすが、みっとものうござんすねー。」
上「おい!。
ふざけちゃいけない。人は目より腹、心。
いくら顔かたちがよくたって、心立てが悪かったひにゃ、なんにも
ならない。
お前さんとこのお竹さんは、心立てから言ったら、東京はおろか、
日本になん人といって指を折ってもいいくらいのもんだ。
実に聞いてるけど貞女なもんだ。お前さん一人に稼がせちゃすまない。
夜、寝る目も寝ずに、仕事をしてお前さんの手助けをする。
第一、お前さんに※ツルを返したてえことがない、てえじゃないか。」
※「ツルを返したてえことがない。」
この部分、このように聞こえる。「ツルを返す」は文脈上、口答えをする
という意味であろうと思われる。ツルは弓の弦であろうか。辞書を引いても
この言葉は発見できなかった。
つづく
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