断腸亭料理日記2018
7月22日(日)夕
こう暑いと、なんであろうか。
TVのCMではないが、餃子か。
どうでもよいが、あの缶チューハイのCM、餃子にこってり
という形容詞を付けているが、餃子はこってりとはいわなかろう。
油っこい、であろう。油っこいを表現したいのだが、
マイナスのイメージなので、こってりといっているで
あろうか。視るたびに気になってしまう。
浅草[餃子の王様]へ久々に行ってみるか。
浅草・上野で餃子といえば、いつもはアメ横の[昇龍]なのだが、
あそこのものは大きい。
本来、大きい餃子は好みなのだが、こう暑いと
小ぶりなものの方がよいか、という選択である。
昭和29年創業。
戦後すぐである。
ここもいわゆる“町中華”に入れてよいのであろう。
16時前、内儀(かみ)さんと出る。
自転車すら暑いので、タクシーに乗ってしまう。
オレンジ通りと仲見世の間の南北の通り。
雷門通りのヨーロー堂が目印である。
ヨーロー堂は二階で演歌歌手のイベントをやるのが
有名だが、私などにとっては落語のテープ(CDではなく
古いものはテープである。)の品揃えが素晴らしいレコード店。
(これもCDショップではなくレコード店の方が似合っている。)
通りを入って新仲見世を越えて、左の先にうなぎや[小柳]があって、
[餃子の王様]はその手前右側。小さな店だが黄色い看板が目立つ。
入ると一階はうなぎの寝床のように奥に長く
調理場とカウンター。出入口際の帳場の
お姐さんがお二階へとのことで、上がる。
二階はテーブル席五つほど。
あきは二つ。
座って、とりあえずビールと餃子一人前。
あとはゆっくり考える。
二階はお婆ちゃんといってよい年齢のお姐さん二人。
お客は観光客らしい日本人の家族といった組み合わせか。
地方の方が浅草まできて、ここに入らなくてもよさそうな
気はするが。
メニュー。
なんだか不思議なところもあるメニュー。
いつも気になるのだが、頼んだことのない、ねぎ味噌。
味噌ラーメンではなく、みそそば。
つまみ系をもらおう。
ピータン、野菜炒め、かに玉、あたりか。
餃子がきた。
小ぶりだがよい色。
びっくりすることはないが、うまい餃子。
壁にも書かれているが、創業昭和29年で餃子専門としては
初めてである、とのこと。
戦前というのはどうであったのであろうか。
浅草の中華事情は。
以前書いた、日本橋[大勝軒]
は、人形町にあった[大勝軒]の暖簾分けという。そこが
震災後、浅草に支店を出して立派でモダンな鉄筋コンクリート
三階建てのらしい建物の写真が残っている。
(町中華探検隊・北尾トロ氏 支那料理とあるのが時代である。)
人形町[大勝軒]浅草支店、浅草では存在感があったのでは
なかろうか。
焼餃子というものの歴史は、日本では戦後満州から
引き上げてきた方々が広めたといわれている。
そういう意味では戦後からということになる。
広まったのは戦後として戦前に焼餃子があったのか、なかったのか。
戦前の日本あるいは東京の中華は広東やらあっても上海系ではなかったか。
そういう意味では、焼餃子はやはりほぼなかったのではないか、
という推測は成り立つように思う。
焼売や春巻きはあっても焼餃子はなかった?。
実際に調べてみたいような気がする。
今、どこの中華やでも、焼餃子がないところは
本格の老舗であっても、おそらくあるまい。
焼餃子のない中華やは考えられない。
焼餃子は国民食であり、あたり前のメニューである。
タイムマシンに乗って戦前の浅草の[大勝軒]に行って、
「餃子!」といっても、ラーメンやチャーハン、焼売はあるのに、
こいつはなにを言っているのだ、とヘンな顔をされるというのは、
やはりちょっとおもしろいではないか。
さて、ピータンがきた。
そして野菜炒め。
ビールも追加。
ちょっとしょうゆ味。
ただしい野菜炒めであろう。
かにたま。
かにたまという名前だけあって、ちゃんとかにが
入っている。
甘酢の酸味は抑えめ。
これもよい。
麺やご飯は控えよう。
ご馳走様でした。
勘定は一階。
店の外で待っているグループもいた。
なにか有名店になってしまったか。
03-3841-2552
台東区浅草1-30-8
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