断腸亭料理日記2017
さて。
年初にあたって天皇のことを考えている。
昨日は天皇そのものではなく、その周辺の朝廷に出自の起源がある
源氏や平氏、あるいは貴族、私は貴種という言葉を使ったが、
これらの人々への一般民衆からのイメージのようなものについて
書いてきた。
仮説ではあるが、彼ら貴種にまつわる全国各地にある
神話的なものや伝承は、一般の民衆にとっては
好ましく親しみのある者として考えられていたのではないか
ということである。
ただ、よくよく考えてみると、一般の民衆の朝廷なり
天皇やその周辺に対する意識は、直接統治していた(?)
大和、奈良時代と例えば江戸時代とは随分と違ったものが
あったであろうしまた、都から離れた例えば東国(とうごく)と
京都に近い畿内では違っていたであろう。
時代毎に、地域毎によくよく吟味し考えてみなければ
いけないとは思うのだが、今、書き始めたはいいが、
そこまでの準備がない。
お許しいただき、一先ず、仮説にある程度の限定を設けようと思う。
八幡太郎義家だったり菅原道真などが芝居になっている例から
一先ず、江戸期あたり、としてみよう。
江戸期の民衆にとって、天皇、朝廷の周辺に起源を持つ
貴種に、好ましい感情を持ち、親しみかつあこがれを抱いている
ということから、そうしたものを中心とする
日本という国を意識し、自分たちもそこに所属していることを
無意識の内にも好ましいものとして是認していたと
いってよいのではないか、ということ、で、ある。
さて、時代は幕末から明治。
ご存知のように明治から天皇中心の国家というものに
なるのだが、これはなぜか。
これは例えば、当時の米国は既に国民が選挙で選んだ
大統領があり、議会があった。
いきなりではあるが、この時点で天皇制をやめて、
大統領制の民主主義国家を選んでもよかったわけである。
市民革命でよいのか、実際にそういう例はある。
幕末の尊王攘夷運動を思い出していただきたい。
ペリーが浦賀に来航し、幕府に開国を迫った。
ここから一気に尊王攘夷、つまり天皇を尊び、夷狄(いてき)を
打ち払うという運動が盛り上がる。
この尊王攘夷思想は江戸期に発達した国学というものから
生まれてきたものである。
江戸期、幕府の統治には儒教、仏教が主として使われた。
国を護るのは上野の寛永寺であり、戸籍にあたる檀家制度も寺が管理するもの。
鎮護国家というものだが、これはなにも江戸幕府になって始まった
ものではなく、それこそ聖徳太子、天智天皇の頃から既にあり、
上野の寛永寺は京都の比叡山をコピーしただけのものではあったが。
国学というのはこうした仏教による国家経営に対し、
我が国固有の文化をもった思想教育、国家経営をせねばならない
というのが端緒といってよいのであろう。
我が国固有というのは、仏教以前の古事記。
ここでは塙保己一、本居宣長なんという国学者の名前が出てくる。
あるいは、日本の神様である神道思想と合流していく。
ことさら熱心であったのが、水戸藩のご老公
光圀で、以来水戸藩では伝統として国学におもきを
置いて、水戸学などともいわれるほどであった。
また、この水戸学から特に、尊王、天皇を尊ぶという
思想が生まれてもいるのである。
そして、当時の水戸藩主徳川斉昭の旗振りにより
尊王攘夷思想は反幕府連合のいわば合言葉となり、
その後倒幕へと向かったのはご存知の通りである。
御三家水戸藩の旗振りが倒幕の端緒というのは、
まあ、皮肉な話ではある。
こうした尊王思想によって倒幕が果たされたわけであるから
当然のこととして、明治新政府は天皇中心の国家建設
という方向に向かったわけである。
ここで注意しなければいけないのは、天皇中心といっても
あくまで思想、なのである。
思想=実質ではなくあくまで考え方、ということで、最初から
天皇に実権はないということも含まれていたとみるのが
正しいと思うのである。
またこの副産物として、廃仏毀釈運動なるものが
巻き起こったわけである。
神仏習合していた寺や神社は分けられ、あるいは寺は壊され、
仏像その他、貴重な文化財が破壊されまた、海外に
流出してもいる。
神道、神社側からいわせると、江戸期二百数十年、
仏教にやられずっと冷や飯を食わされていたので、
ここを先途と暴れまわったということもあったわけである。
民衆、市民にとっては仏様も神様も共に大切なもので
身近なものであったが、それで飯を食っている人々にとっては
共存共栄、ということにはなかなかいかないということであろう。
これは今も同様であろう。
多少余談じみるが、神社の神様やお祭りというのは
誰のものなのか、である。
本来、氏子のものであろう。
氏子あっての神様であり、神社であろう。
信仰する主体はあくまで氏子である。
神主さんや宮司さんはその代表、あるいは取り次ぎ役
である。
が、時として神社の宮司さんや神主さんにとっては
自分のもの、と履き違えているむきも少なからずある。
よく我々下町のお祭りで神輿に乗るのを是とするか非とするか
という議論がある。神社側は神聖な神様に乗ってはいけない、
という論。だが、これを決めるのはやはり信仰する氏子の総意
である。
寺とは違って、神社は基本土地に根ざし、そのムラなりで
自然発生的に出来上がったもの。今も氏子の範囲は決まっており
住んでいるところで自動的にここの神社の氏子と決まる。
私がよく書いている産土神というのはそういう意味である。
信徒のいない坊さんだけのお寺は存在しても、信仰する
氏子の一人もいない神社は意味をなさない。
今も神道という思想はあり、往々にして彼ら自身の思想が
神社に入ってきてしまうのである。
閑話休題。
そんなことで、明治以降。天皇を中心にした国家教育というものが
始まり、国民の天皇意識はどう変わっていったのか。
これはもう直球ストライク。いやも応もない。
天皇その人に対する尊敬、崇拝する教育が
どんどんと行われていったわけでこれはもう、
なにをかいわんや。
考えるに、江戸期にあったほんわかとした親しみの上に、
ゴリゴリの、天皇=国家、的な思想によって塗り固められて
いったということであろう。
後醍醐天皇に味方し鎌倉幕府を倒し建武の親政の立役者になった
楠木正成など、歴史上の人物などで天皇に見方をしたものを
天皇崇拝教育の道具として使ったりしていたことも
思い出される。
そして、最終的には日中戦争から太平洋戦争に至り、
お国のため、天皇陛下のために死んでいくことは帝国臣民の
務めであるというところまでいってしまったわけである。
そして敗戦、昭和天皇の人間宣言、象徴天皇の誕生
というご存知の道を歩いてきたのであった。
もう少し、つづく
2018年1月3日 歌舞伎座前
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