断腸亭料理日記2017

年の初めに その2

年の始めの 例(ためし)とて

終りなき世の めでたさを

松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに

祝(いお)う今日(きょう)こそ 楽しけれ

(ウィキペディアより)

これ、なんだかお分かりになろうか。
そう、正月といえば、この歌である。

曲名は「一月一日」。
だが読みは「イチガツ ツイタチ」ではなく、
「イチゲツ イチジツ」が正しいようである。
問題はこの歌詞の意味。
私も知らなかったのだが、調べてみて驚いた。

作られたのは明治。
明治26年(1893年)文部省唱歌として官報に告示されている
ようである。

全体の意味としては、年の初めに門(かど)ごとに門松などを
立てて今の世が永遠に続くことを祝うことは
よろこばしいことである、といった感じであろうか。

これだけでは別段、なんということもない
と思われるであろう。
なにが問題かというと、終わりなき世、の“世”。

この“世”はなんの世なのか、誰の世なのか、である。

この世とは、時の君主の世、取りも直さず、
天皇の世、なのである。

江戸期であれば年始に大名が一斉に江戸城に登城し、
将軍に挨拶をする、というのが慣例であった。
これが明治になり、天皇に臣下の代表である、
政府の幹部、その他重臣が挨拶をする、ということに置き換わった
といってよいのであろう。

今も正月、皇居で一般参賀が行なわれているが、
これもその慣例が続いているということになろう。

明治期、我が国は天皇を中心とする国家であり、
年始には国民全員が、天皇の世が永久に続くことを
よろこび、祈りましょうという内容を、子供たちも含めて
あまねく周知させるために、こんな
唱歌が作られたということであろう。

さて。

我が国にとっての天皇というのは、戦後の象徴天皇の以前には
どんな役割であったのか。

実権があったのは平安時代前期までであろう。
それ以降はほぼ実権はなくなった。
藤原氏のいわゆる摂関政治が始まったのが、その嚆矢
といってよかろう。
その後、平安後期に院政期がある。
つまり、天皇を退位した上皇が実権を持ったわけだが、
天皇ではない。

その後、鎌倉室町、戦国、江戸と、鎌倉室町の間に
わずかに後醍醐天皇の建武の新政があるだけ。

摂関政治の始まりは藤原良房が摂政となったの866年。
昨日書いたように天皇の起源を6世紀初めとすると
天皇に実権のあったのは、わずか300年あまり。

そして、明治以降。
冒頭の「一月一日」も然りだが、
明治憲法上は天皇を中心とする国家であったわけである。
しかし明治以降に天皇に実権があったのか、というと
まあ、これも実質的にはなかったというのが正しかろう。

結局、1500年、100代あまり、天皇家は歴史を持っているが
最初の300年ほどしか実権はなかったのである。

しかし、天皇家は続いた。

その後の政権の政治形態は、最初の摂関政治から一貫して
天皇の権威を源泉にしたものといってよいのであろう。
鎌倉室町、江戸の武家政治の征夷大将軍も天皇から
任命されるという形を取っていたわけである。

一方で、我が国が1500年一度も他国に征服されたことがない、
というのは、天皇家が続いた大きな理由であろう。
これは、戦中には神国日本などといって喧伝されたが
大陸から離れているという、地政学的な理由がむろん
大きかろう。
鎌倉期の元寇は、当時の鎌倉武士が支えたわけだが、
実際に武力侵攻されたのはほぼこれだけ。

その後、安土桃山期、世界史では大航海時代。
当時のスペイン、ポルトガルなどによる植民地化、
領土割譲の危機は存在したのであろう。
実際に我が国の南隣のフィリピンはこの時期から長期に渡り
スペインの植民地となっているわけである。
彼らの戦略はキリスト教の布教とワンセットであったわけだが、
秀吉政権にしても江戸幕府にしても、禁教としかつ江戸幕府は貿易もやめ、
これを防いだということであろう。

また、ご存知の幕末。
この時期も、アヘン戦争に負けた清国の例を引くまでもなく、
同様の危機は存在したが、江戸幕府から明治新政権へ、
戊辰戦争という内戦を乗り越え近代国家体制を早急に整え
こうした危機を脱した。
これに江戸期のロシアによる北方の侵攻
露寇(ろこう)なども加えられようか。

こうした外国からの侵略、侵攻、植民地化の危機が
なん回かあったわけであるが、やはり数は多くはなかった
のではなかろうか。大陸にあって他国と直接国境を
接していればこうはいかず、太平洋の島国であるという
地政学的な影響がやはり大きかったのであろう。
また、その時々、時代毎に防ぐ程度の国力があったから
ということもあろう。

とにもかくにも、実権はないにしても
天皇を頂点とする国家体制は、大和時代から
他国の侵攻に倒されることもなく、継続することができた
とまあ、そういってよい。

さて。先に各時代それぞれに国家権力を
つかもうとする者が天皇に任命させるという
形を取ったことを書いた。

これはなぜであろうか。
天皇を排して、自らが王様なり皇帝なりを名乗っても
よかったはずである。(信長が本能寺に倒れず、全国平定を
済ませたら、どうしていたか、ちょっと興味はあるが。)
平安中期の平将門のような天皇に対抗して“新皇”を名乗ったものも
なくはないが、それ以外にはほぼ皆無といってよい。

いくつか理由は考えられる。
そもそも、天皇に実権がないので、排して新しい王なりを
名乗る必要がなかった。
また、王権だけを利用して征夷大将軍なりの
統治の実権だけを得る方が簡単で国民その他を納得させやすかったから
といったこと。

事実、征夷大将軍だけでなく、大和時代の律令制下の
地方統治官であった国司、○○守も、江戸末期まで
名目職であったが存在したわけで、こうしたことも
天皇を頂点とする律令国家体制が名ばかりとはいえ、
存在していたといってもよいかもしれぬ。
その他、官位、位階なども同様である。
(正一位などという位階は、明治以降も継続し、
戦後も、むろん天皇ではなく内閣の所管に代わっているが、
功績のあった故人へ贈られるものとして現代も継続されている。)




もう少し、つづく







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