断腸亭料理日記2018
引き続き、断腸亭の京都、庭探索。
嵐山の天龍寺の庭、で、ある。
昨日は、右側の小方丈前の松と石庭
から、宮元健次先生の石庭に関する論と説を紹介した。
石庭といえば京都でも龍安寺が特に有名だが、注目されるように
なったのは意外に新しく戦後であること。
また、いつ頃から石庭が作られるようになったのかというと
江戸に入ってからで、当時の幕府の有力者でもあった、
臨済宗の僧、金地院崇伝が関わっているということ。
ここまでであった。
そして、もう一つ思い出していただきたいのは、小堀遠州という
人物のこと。
最初に私は東寺の庭を見に行った。
これがその例なのかは不明だが、江戸初期日本の庭は大きく変わった。
秀吉時代を通して南蛮貿易などで欧州の文物、宗教が流入した
ことは皆さんご存知の通りだが、この時、欧州の庭の作り方、
考え方も入ってきた。
これによって、我が国の庭の作り方が大きく変わった。
これを進めたのが小堀遠州という人であったのである。
お茶をする方は、今も遠州流という流派があるので、茶人として
ご記憶かもしれぬ。
小堀遠州、正一。父、政次は元は秀長、秀吉に仕えた戦国大名でもあり、
秀吉死後は家康に仕え、備中松山城主。父死後、正一は家督し、慶長13年
(1608年)には駿府城普請奉行。この功により、遠江守(とおとおみのかみ)。
ここから遠州と名乗るようになっている。
備中松山城の再建、駿府城修築、名古屋城天守、後陽成院御所造営等の
建築に関わるいわゆる作事奉行を務める他この時期の幕府の関わる、
国家プロジェクトともいえる寺院等々の建設、作庭にも携わっている。
おそらくこの時期No.1の建築、作庭プロデューサーといってよく
公儀のほとんどのプロジェクトを取り仕切る超多忙な日々を送っていたと
考えられている。
二条城二の丸庭園、大徳寺方丈庭園、南禅寺本坊、金地院(崇伝の
本拠である。)そして、かの龍安寺の石庭、さらには、いまだ
定説にはなっていないようだが、宮元先生は桂離宮も遠州の作品といってよい
と語っている。
そう。
石庭を始めたのは、小堀遠州その人ではないか、というのである。
また、欧州のガーデンデザインの考え方を導入したのも彼と
その周辺。
我が国の作庭の考え方がそれ以前の自然の石や草木にならうものから
計算された美しさを表現する場になったという。
また、今は当たり前だが花壇という考え方、あるいはサイフォンの
原理を応用した噴水なども遠州らによって導入されている。
日光東照宮の水盤舎もサイフォン原理によって下から上へ
水が噴き出る仕組みを持っているとのことである。
まさに我が国の庭の大転換期である。
もう一度、天龍寺曹源池庭園に戻ると、上に出した石庭と松の部分と
左側から中央部にかけての部分の違いである。
左側から中央部は室町期に夢窓疎石が造った、自然にならった庭。
石庭と右側の松の木は江戸初期の遠州以後ではないか、と。
左と中央は自然な庭。右側は計算された美を目指した庭。
もちろん、これは私の推理である。
自然な庭ももちろん味わいがあってよい。
計算された方はむしろ、あざとさというのか、作りすぎ
考えすぎというという印象を受けることもあるとは
思うのだが。
なかなか、おもしろいではないか。
天龍寺の庭は曹源池庭園以外にも右側奥にずっとつながって広い。
回廊というのであろうか、渡り廊下と坪庭のような
苔と石、灯篭、さらに水の流れを生かしたもの。
これはそういう意味ではいつのものなのか。
やはり遠州以後なのではなかろうか。
素晴らしく私などの好みだが、どう見ても“自然”ではなかろう。
奥、これはしだれ桜のよう。
季節にはさぞ見事であろう。
竹林と紅葉。
造りこまれてはいないが、計算はされて手入れも
されている。いかにも京都らしい風景であろう。
山手の方に上がれるようになっており、見晴らしのきくところ。
方丈の屋根と向こうに京都の街。
これもしだれ桜のようである。
この枝ぶりは植えっ放しではなく、もちろん手入れがされているのだろう。
枯れ枝であるが、美しい。
山から下りてきて、再び方丈前、玄関。
順番が逆になってしまったが、玄関前の石組みと苔と石庭。
天龍寺総門に近いところの塔頭の一つをのぞいてみた。
小さなお堂であるが、実に渋くてよいではないか。
以上、天龍寺終了。
さて、今日はこの後は、北山から北白川方面をまわる。
とりあえず、目的地は大徳寺。
二条までJRに乗って、二条駅前からバス。
仏教大前で降りる。
大徳寺と書いたが、ほんとうは大徳寺ではなく、
孤篷庵というところ。
ここはかの、小堀遠州が晩年をすごしたという茶室。
が、きてみるとなにかイベントでもやっているようで
残念ながら中に入ることはできなかった。
がっかり。
がっかりして、広い広い、大徳寺の中を歩く。
そうである。
白い漆喰の塀のある石畳の道、そして木々。
これどこかで見たことがある。
時代劇である。
私の好きな鬼平なんぞを視ていてもよく出てくる道。
大徳寺はよくロケに使われていたはずである。
ともあれ。
よく考えたら、大徳寺の庭も石庭だが遠州が関わっており、
かわりに見ておくべきであったが、がっかりして、次、
つぎ、と、頭がいってしまいとりあえず、門前まで出てきて
しまった。
つづく
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