断腸亭料理日記2018

断腸亭、京都へ その3

さて、引き続き、京都。

最初の目的地、東寺の庭を見て、次。
松尾大社。

市バスで移動し、桂川を渡った。
渡ると、赤い大きな鳥居。

松尾大社というのは、ご存知であろうか。
お酒の神様?。

そう。酒造の神様ということになっており、
いわゆる日本酒メーカー、大小の造り酒屋では皆、
この神様を祀っている。

もう一つ、ここへきてみたかった理由は、
平安京以前からの神様であるから。

京都盆地が都になる前、歴史に登場してくるのは、5世紀、
渡来人系の秦(はた)氏が入植してからと概ね考えてよいのだろう。
そして、松尾大社は秦氏の氏神。(氏寺は太秦の広隆寺。)

松尾大社の本来のご神体は松尾山の磐座(いわくら)、まあ、岩である。

我が国のごくごく古い信仰の対象は山であり、さらにはそこにある岩
であったところが多い。我が国の古社の多くにこの例がある。
以前に書いた長野県の諏訪大社、安芸の宮島・厳島神社(世界遺産)、
そして先年新たに世界遺産になった九州の宗像大社、、、挙げていけば
切りがないが。

秦氏なんというものではなく、おそらく、弥生、さらには
縄文あたりまでさかのぼれる信仰の対象であったと考えられよう。

京都というのは1000年の都で、その時代とともに数えきれない神社仏閣が
できた。数々の民間信仰、陰陽道、仏教、仏教でも天台、真言、阿弥陀信仰、
各禅宗、浄土宗、浄土真宗、、と、ある意味、我が国で最も濃厚な宗教空間と
いってもよいと思われる。
その中でも、西の山に鎮座するもっともっと古い神様。
やはり見ておかねば、で、ある。

参道。

人はまばら。

また鳥居。

奉納されている灯篭の年代を見ると古いものは江戸初期から
中期あたりからのよう。寄進者はやはり、お酒関係。

神社の場合、随神門などという言い方もあるが、ここでは楼門。

これは江戸初期という。左右に随神の像。

手水。

やはり「酒造」の名前。これも江戸期。

奉納された全国の酒造会社の酒樽。

本殿。

これは室町期のもので特殊な造りのようで、重文。

背後の山に岩が見えるが、これはそのご神体ではない。
ご神体の岩は山の右手奥の遥か山の上のよう。
(今年の台風で礼拝登山は禁止になっているよう。)

訪れる人も少なく、なんとなく、拍子抜けをした感じもあるが
お祭りや縁日でもなければ、こんなものであろう。

ここがなぜ酒造の神様になったのか。神社に伝わる由緒の類は
あるようだが、実際のところは不詳といってよいだろう。
ただ室町期には酒造神として信仰されていたという。

酒造の歴史を見てみると、古代には朝廷、その後寺院、
伏見など民間で商業的に行われるようになったのは鎌倉期で、
室町期には蔵数も急増しているよう。
松尾大社はこの民間酒造初期の頃から既に酒造神とされていた、
ということのようである。

門前の茶店でみたらし団子。

柔らかくてうまい。
東京の団子よりも一つが小さい。
京都のものはこんなものなのか。
そういえば、京都で団子を食べるのは初めてかもしれない。
焦げ目はついているが、湯煎で柔らかくしているような食感。

さて、次。
次は、神泉苑を目指す。

これもあまりご存知の方は多くはなかろう。
場所は二条城の南隣。

移動は今度は電車。
阪急で桂。桂から四条大宮。
四条大宮から、大宮通を北上して御池通りまで歩く。

大宮通は先ほどバスで通った、南から大通りなのだが
この四条大宮から北へ向かって、なぜだか急に一方通行の
細い通りになる。

初めて歩くのだが、なかなか由緒のありそうな街並みである。
いわゆる京町家もちらほらと見かける。三条通のアーケードを超え、
その先、御池通に出る。これを左に曲がった右側が神泉苑。

神泉苑という名前を知らない京都市民はあっても
“御池(おいけ)”を知らない人は少ないという。
神泉苑のことを御池と呼んでいたようで、御池通は
江戸期には使われていた名前のよう。

ちょっとしたお宮とお堂のようなものがあり、そのまわりは、池。

私も初めてきたがこれが神泉苑。
鳥居はあるが今、実際のところは、真言宗のお寺。
池の大きさは南北80m程度、東西40m程度で小さなもの。

ここがなんなのか。

東寺と同じように、平安京ができた頃からある。
その頃はもっと大きな池と当時であるから寝殿造りの
種々の建物が建てられていた、天然の庭園。

この池は、その昔、京都盆地は大きな湖でその水が引いて
残ったところと考えられている。
平安京という都市を建設するには水が必要。
この池は湧き水もあり、禁苑といって、天皇だけのための
庭園であった。場所も当時の大内裏(天皇の住む内裏、その他
朝廷の施設がある場所。)に隣接していた。
天皇の園遊の場や、日照りの時には空海などによって
雨乞いの祈祷が行われるような場所であったのである。


つづく

松尾大社

神泉苑

 

 

 

 

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