断腸亭料理日記2017
3月20日(月)春分の日
引き続き、「伊賀越道中双六」。
昨日書いたような背景もあって、今回、かなり込み入っており、
また、正直、書くほどのものはないと考え、筋を書くのは
やめておく。
史実とはむろん大幅に違っており創作の部分が多数ではある。
これは一幕目、発端の殺害の場面。
伊賀越道中双六 一
鎌倉の武者小路に俣野五郎恩人和田靭負を殺害する図
藤井俣五郎、和田靭負、荒巻伴作、
国輝
(役者名なども書かれておらず実際打たれた芝居のものではなく、
合巻と呼ばれる絵入りの小説本のようである。合巻は仇討ものが
多かったとのこと。その例であろう。
国輝という絵師は天保14年(1843年)から弘化4年(1847年)あたりに
作品を残した人のよう。時代としては幕末といってよい頃。
このシリーズは「一」から「十二」まである。)
伊賀越道中双六 八
富士川の新関にお袖志津馬に恋慕する図
和田志津馬 おそで 足軽助正 国輝
三幕目の「三州藤川 新関の場」にあたる絵である。
この幕はなかなかコミカルでよかった。
和田志津馬というのが、敵を討つ本人。
色男で優男。尾上菊之助が演じる。
道中の茶店の女、おそで。
これが中村米吉。
私はこの人は初めて観たのではなかろうか。
24歳。
播磨屋、お父さんはこの芝居にもお袖の父役で出演てている、
中村歌六。
可愛い娘をよく演じていた。
菊之助はこういう色若というのか、若衆のような役をやらせると
ぴったりハマる。ハマりすぎといってもよいか。
まったくの安心感。びくともしない役者である。
39歳。
同年代でも役者としてのポテンシャルは群を抜いている
のではなかろうか。
むろん、八代目音羽屋の親方(菊五郎)になるわけであろうが、
きっと、大きな大きな新しい菊五郎になるのであろう。
この人ほど先がたのしみな歌舞伎役者はいない。
怪我や病気にだけは気を付けていただきたい。
そして、クライマックス、仇討の場面。伊賀上野の鍵屋の辻。
伊賀越道中双六 十一
鍵屋の辻に政右衛門両刀を振て敵の助太刀を鏖になす図
竹内玄丹 唐木政右衛門 桜井林左衛門 国輝
唐木政右衛門というのが、荒木又右衛門。
講談では36人切り、などともいう。
むろん、そんな多くはなかったのであろう。
舞台は大人数の立ち回り。
敵本人は、討たねばならない白装束の菊之助、和田志津馬があたる。
政右衛門が中村吉右衛門。
バッタバッタと切り倒していく。
その他大勢を政右衛門が倒し、最後、志津馬が
敵を討って、めでたしめでたし、幕。
さて。
問題の四幕目「三州岡崎 山田幸兵衛住家の場」の件である。
この芝居、ご覧になった方は、どう思われたろうか。
もう一度、国立劇場の宣伝コピーを引用しよう。
『義太夫狂言の名場面といわれながら戦後の上演が二回しかなかった
「岡崎」(山田幸兵衛住家)。平成26年(2014)12月国立劇場で、44年ぶりに
待望の上演が実現しました。』と国立劇場の説明にはある。
そしてこの時「読売演劇大賞」大賞・最優秀作品賞を受賞したという。
はっきりいって、観た感想は、困惑。
本気で過去、現代“名場面”などと思った人がいたのであろうか。
どうしてくれよう。
まるで人ではない。外国人の観客もいたが、とても説明ができない。
泣いている女性もいたが、あまりにもひどくて
確かに泣けてくる。(役者の芝居がひどいのではないお話がひどい。)
戦後二回しか上演がなかったのは、こういうわけか?!。
どういう意味で「読売演劇大賞・最優秀作品賞を受賞」したのか。
はなはだ不可解。
過去こんな奇怪な作品が作られていたという
(非?)文化財的な価値、なのか。(とても文化とは呼びたくないが。)
浄瑠璃ものでは、例えば「菅原伝授」(寺子屋)では、主(あるじ)の身代わりに
自分の息子の命を差し出すというようなことをするが、もっと酷いことが
展開される。(中身を書くこと自体、憚られる。)
浄瑠璃もののこういう理不尽で、マゾヒスティック
ともいえるような作風がエスカレートしてしまったのか。
人間を深耕しているわけでもなく、作品性もヘチマもない。
はたまたこういうマゾヒスティックなものを好む人が多くいたのか?。
浄瑠璃の本場上方ではそうだったのか?。
少なくとも、江戸の頃から江戸では同じように思った観客が
多かったと私は思うのだが。
さて、もう一つ。
今回の座頭(ざがしら)、吉右衛門だが、なにか大分お疲れのように
見受けられたのだが、どんなものであろうか。
声の張りも心なしか弱かったような。
立役(男役)の大看板、押し出しがなにより肝要である。
72歳。ちょっと心配である。
翻ってみると、歌舞伎界、大看板は多く亡くなってしまった。
そして、50代も。
最近だと三津五郎(57歳)が亡くなり、福助(56歳)も長期療養中のまま。
悔やまれるのは、57歳の若さで他界した、勘三郎である。
あと10年は、歌舞伎界を引っ張っていってもらいたかった。
橋之助改め芝翫(51歳)の役割もより重要になる。
今回の菊之助をはじめ、勘九郎、七之助、染五郎、海老蔵、松緑、、、
大看板の子供の世代が既に座頭格を張れなければいけなくなっている。
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