断腸亭料理日記2016
引き続き、
「諏訪の神: 封印された縄文の血祭り」戸矢 学
諏訪の縄文以来の古い神、ミシャクジの続き。
シャクジとはいったいなにか。
ミシャクジから、練馬区の石神井(シャクジイ)のこと。
石神井は私が育った大泉の隣町である。
石神井公園と縄文というと私にはこんな思い出がある。
小学生の頃、遠足であったか社会科見学であったか、
学校の行事で石神井公園周辺に学年でいったことがあった。
この時に、たまたま石神井公園にある池の一つ、
三宝寺池で縄文の遺跡の発掘をしていたのである。
先生が交渉し見学と説明を聞かせてもらった。
石神井川と、湧水のある三宝字池と周辺の小高い丘。
これが縄文の集落がある条件に合っている、と説明されたのを
憶えている。
大泉学園の北部にも縄文の土器の出る雑木林があって、
やっぱり小学生だか中学生だかの頃、こっそり掘りに
行ったりもしたことがあった。
あのあたり、縄文集落が意外に多いのである。
練馬区のホームページにあった石神井の地名の由来説明である。
「むかし村人が井戸を掘っていたところ、石棒が出てきた。
石棒には奇端(きずい=めでたいことの前兆として現れた
不思議な現象)があって、村人たちは、それを霊石と崇め、
石神(いしがみ)様として祭った。通称石神神社、今の石神井神社
(石神井町4−14)の始まりである。いつか、村の名も
それにちなんで石神井と呼ぶようになった。ここは石神井発祥の地
ということになる。一説に石神様は、三宝寺池から出現した
石剣とも伝える。
」
これ、順番が逆。おそらく石神=イシガミではなく、
もともとシャクジ(イ)であったと思われる。
石神(イシガミ)から、シャクジイになるとは
とても思えないではないか。訓読みから漢字の呉音読みである。
元来シャクジイであったと考えるのが無理がなかろう。
石神=イシガミという地名も別にあるが
出自はミシャクジとはまったく別のものだと思われる。
また、井戸というのも後世の創作ではなかろうか。
石神井は、縄文の頃から人が住み諏訪と同じミシャクジ様が
神様であったのである。
ここの縄文の遺跡からは、その石神井神社の御神体という
石の棒のようなものと同様の石の遺物がいくつか出土しているという。
戸矢氏も書かれているが、石の棒がご神体である神社は他にも例がある。
または野に建てられていたり、様々な形や大きさが
ある。(男根の象徴あるいは男根の形そのもの
というものもある。)
形や大きさはともかくとして、どうもミシャクジ様は
石のようである。
ミシャクジ様は東日本を中心に数多くある。
長野県、山梨県、関東地方、、。
ミジャクジのこととなると不学の徒ではあるが日本民俗学を
学んだ身として、塞の神(サイノカミ)との関係に触れぬわけには
いかない。
日本民俗学の祖、柳田國男先生は、ミジャクジは
「塞の神(サイノカミ)=境界の神、すなわち、大和民族と
先住民がそれぞれの居住地に立てた一種の標識であると」考察している。
これは、大先達である柳田國男先生であるが、
今となってはやはり多分に怪しい感じがする。
塞の神は、境の神である、というのはよろしかろう。
各地に、正月十五日、小正月の夜に松飾りなどを燃やす習俗がある。
ドンド焼きなどという。
神社の境内などでもするが、ムラの境でする、という
ところも少なくない。境でするのは厄払いの意味である。
道祖神のことを言う場合もあるが、どんど焼きそのものを
塞の神と呼ぶところもある。
道祖神もむろん石でできており、境、路傍に置かれる。
このあたりでミシャクジと混同されたのではなかろうか。
「大和民族と先住民」というのもさらに怪しい。
後でまた出てくるが、いわゆる縄文人と弥生人
で、あろうか。戸矢氏も書かれているが、そこまで
日本人が縄文と弥生で人が入れ替わる、となると
大きな戦い、征服でもあったはずであるが、やはりそんな
様子は考古学的にも聞かない話しであろう。
(一部かの坂上田村麻呂などの朝廷による東北地方平定はそれにあたるが。)
ミシャクジはそのものが神、ご神体、あるいは依り代。
いたるところに置いた可能性はあるが、
必ずしも境だけに置くものではなかったといってよいようである。
諏訪大社に戻ろう。
上社本宮には、硯(すずり)石という巨石がある。
これが本来の諏訪大社の神、ミシャクジ、あるいは
ミシャクジの依り代(の一つ)ではないかと考えられる。
横に長く、上にくぼみがある。
文字通り硯のような大きな石。
ショッキングなのはこのくぼみ、
かの“供え物”を供え、その血を受けるところ
であったのではないかという。
奈良県明日香村に、酒船石というやはり巨石がある。
ご記憶の方も多くあるかもしれぬ。
ここにはいくつかのくぼみと溝が切ってある。
使い道は謎。
戸矢氏はこれも同様のものであったかもしれぬ、と。
私にはもはや判断はつかぬが、あるいはそういうことも
あったのかもしれぬ。
さて。
もう少し、戸矢氏の推論はこの後さらに広がるのだが
このあたりまででよろしかろう。
どちらにしても諏訪の土地の荒ぶる神であるミシャクジを
鎮め、封じるのが諏訪大社の役割で、封じる硯石があり、
そこに人身の供えものしたということである。
またこの時大木を切り出し、曳き降ろし、大地に突き立て、封じた。
こんなところが諏訪信仰の元々の形であったのか。
(戸矢氏のこの後の推論は地震封じではないか、というのである。
ご存知のように諏訪湖などを含め諏訪地方は、日本の大地溝帯、
フォッサマグナの真上にある。有史以後はあまり聞かれないようだが、
それこそ縄文の頃までさかのぼれば、大地震が起きていたとしても
不思議はない。この荒ぶる諏訪の大地の神を封じるための石であり
御柱祭ではないか、と。)
つづく
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