断腸亭料理日記2016

人形町・洋食・小春軒 その2

人形町のこと

4月5日(火)昼

引き続き、人形町のこと。

人形町花柳界というのは、正しくは葭(芳)町といっていた。

明治の人形町


芳町という町名は今の人形町交差点から日本橋方向へ
少し行ったことろ。

以前『講座』で詳しく書いているので、今日は
ちょっと楽をさせていただいて、引用させていただく。

今ではまったく痕跡はないが、江戸の後期天保の改革まで、
堺町、吹屋町というところに、江戸初期から長く歌舞伎の
二座があって、基本は芝居町であった。
(遊郭の吉原もここにあったのだが、それはまだ江戸初期の明暦に
浅草へ移転している。)

この芝居町に付随して、料理や、さらに役者を買う(売る)商売
(いわゆる男娼ということである)、
さらにいわゆる芸者などの商売が既にあったとみてよさそうである。
つまり、人形町花柳界の源流はこのあたり。

〜〜

天保の改革により歌舞伎の2劇場が移転し、
その後は芳町辺の芸妓は人数を減らしていたが、
幕末にはある程度、明治以降の芸者の原型が
できていたようで、1868年(慶応2年)の数字で、
「日本橋霊巌島辺に40人、芳町辺に24人、
両国辺(柳橋)に114人、新橋木挽町辺に60人」という。

そして、いよいよ明治。

先に書いたように、1874年(明治7年)、蠣殻町に米商会所が開かれ、
本格的な取引が始められた。また、兜町には1878年(明治11年)
東京株式取引所が開かれ、この界隈、相場師をお客にした商売が
追々盛んになっていったようである。

明治18年の数字で新橋227名、柳橋120名に次いで、
芳町は既に、89名の芸妓数。
柳橋が江戸からの芸者町で、お客も江戸っ子。
これに対して、新橋は、柳橋芸者に相手にされない、
新政府やらの、田舎者。芸者も、鉄道の開通もあってか、
名古屋弁がよく聞こえた、なんという話も残っている。
これに対して、芳町はどうだったのであろうか。

新興の芸者町、おそらくは、新橋に似たり寄ったり
だったのではなかろうか。
1922年(大正11年)の数字では料理屋25軒、
待合253軒、芸妓屋296軒、既にこの頃、
柳橋を越える規模になっていた。

永井荷風先生の作品に「桑中喜語」という文章がある。
これに、この界隈の事情を書いた部分があった。

著作権が切れているようで、
少し長いが、おもしろいので、引用させていただく。

『 明治四十一、二年の頃、浜町二丁目十三番地俚俗不動新道

(ふどうじんみち)といふあたりに置屋(おきや)と称(とな)へて

私娼を蓄(たくわう)る家十四、五軒にも及びたり。

界隈(かいわい)の小待合より溝板(どぶいた)づたひに

女中の呼びに来るを待ち、女ども束髪に黒縮緬(くろぢりめん)の羽織

(はおり)、また丸髷(まるまげ)に大嶋の小袖といふやうな風俗にて

座敷へ行く。その中には身なり人柄、昼中見ても

まんざらでもなき者ありし故誰いふとなく高等とは言ひなしたり。

あくまで素人らしく見せるが高等の得手(えて)なれば、

女中の仕度して下へ行くまでは座敷の隅に小さくなつて顔も得上(え

あ)げず、話しかけても返事さへ気まりわるくて口の中といふ風なり。

始め処女の如きはやがて脱兎(だっと)の終を示す謎とやいふべき。

席料その他一切の勘定三円を出ざる事既に述べたり。

浜町を抜けて明治座前の竈河岸(へっついがし)を渡れば、

芳町(よしちょう)組合の芸者家の間に打交りて私娼の

置家(おきや)また夥しくありたり。浜町の女と区別してこれを

蠣殻町(かきがらちょう)といへり。蠣殻町は浜町に比ぶれば

気風ぐつと下りたりとて、浜町の方にては川向(かわむこう)の地を

卑しむことあたかも新橋芸者の烏森(からすもり)を見下すにぞ

似たりける。』

しかし、永井荷風先生というのは、不思議な人、で、ある。
そうとうに難解な作品を残しているかと思うと、
こんな、風俗ルポのようなものも書いているのである。

ともあれ。

このあたり、私娼と芸者との境が、
曖昧であったことも示唆される状態で
あったようである。

もう少し時代が下って、昭和11年の「全国花街めぐり」なる書物。
『「芳町」の花街といふは、明治座際濱町川に架した
小川橋から人形町通りに出る電車線路の両側即ち高砂町、
新和泉町、住吉町の各裏通り、元大坂町の一部、及び水天宮を
中心とする蠣殻町二丁目三丁目一帯を称するもので、
藝妓見番は住吉町にあり、芳町という地名の処には
却って一軒の藝妓屋(げいしゃや)・待合すら無いという
妙な態になってゐる。』

見番、というのは、ご存知であろうか。
浅草の観音裏などにはまだあるが、
芸者さんのマネージメントをするところ、
で、ある。

住吉町は、明治の地図をご参照いただければ
わかるが、洋食芳味亭やら、喜寿司やらある一画、で、ある。
そういえば、先に書いた、玄冶店裏、というのか、
玄冶店から一本東側には、料亭の濱田屋、というのが
あるが、これはやはりその名残、なのであろう。

〜〜

ここまでが戦前。

戦後の人形町花柳界というのは、意外に神楽坂、前に書いた
五反田などと同様に、随分と長く(昭和40年代たりまで)
残ったようである。

昨日書いたように、焼けなかった、というのがその大きな
理由かもしれない。

そして、今もそのにおいは、わずかながら残っている、
とまあ、そんなことになろうか。

私自身、戦後の人形町についてはまだ調べたりないと
思っており、今後の課題としたい。

と、いったところで[小春軒]。
創業明治45年。
まさに、芸者町真っ盛りであった頃。

今は三代目と四代目。

12時近くなると、もう座れなくなる。
界隈のサラリーマンにも人気、なのである。

最近、ここへくると頼むのは、この組み合わせ。




カジキバタ焼きの一個付き。
付けるのは、ポテトコロッケ一個。

バタ焼きは自分で焼いてもこんな味にならない。
しょうゆの風味が少しして、バターたっぷりなのか、
この上なく、うまい。

ポテトコロッケはここの看板。
これほどクリーミーなものは、なかなかない。

うまい、うまい。

五代目、六代目と時代がかわっても、
このままここに、人形町の味を残してほしい店である。




中央区日本橋人形町1-7-9
03-3661-8830


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