9月22日(火)夜
週をまたいだが、引き続き歌舞伎「伽羅先代萩」。
前回、三幕目の御殿の場、
空腹の慣用句にもなっていた千松のことを
書いた。
この芝居は他にも見どころはあるのであろうが、
なんといってもここがポイント。
明治にこの上演形態になり、ここが当たっていた
ということではなかろうか、ということであった。
仙台藩のお家騒動を扱ったこの芝居。
序幕でお家騒動の発端、役の名前は足利頼兼、
こと仙台藩三代藩主伊達綱宗が登場する。
室町時代に時代を移しているので、足利であるが、
綱宗はあの伊達政宗の孫にあたる。
若くして藩主になり吉原の花魁に入れあげ、
その放蕩から21歳で幕府から綱宗は隠居を命じられる。
それで当時2歳の役名鶴千代こと綱宗の子、亀千代が相続する。
ここから想像通りのお家騒動が始まる。
乗っ取り派の親玉は仁木弾正。
これを吉右衛門が演じる。
玉三郎の政岡が女形の座頭(ざがしら)格に対して
吉右衛門が男の座頭格。
前回書いた毒殺未遂の一件があって、
四幕目と大詰は、このお家騒動の幕府のお裁きの場。
大岡越前やら遠山の金さんのお白州(しらす)のイメージ。
ちょっとした法廷劇のような場である。
ここで細川勝元の染五郎がお奉行様的な役で
鮮やかに仁木弾正を追い詰め、鶴千代派は勝利し
大団円。
ざっくり、こんなストーリー。
まあ、ほとんどの日本人には、現代でもとても
馴染のある、とてもとてもわかりやすい筋になっている。
染五郎はさわやかに、かつ重みも持ちながら
好演している。
歌舞伎というのはおもしろいもので
男=立役(たちやく)の最上位が座頭で、
正義の味方ではなく、悪役の親玉と決まっている。
これが仁木弾正で吉右衛門なのだが、
構成上、悪役はできるだけ憎々しい方がよいわけである。
やはり、さすがに人間国宝、吉右衛門先生
存在感は絶大。
また、お裁きの前の幕の床下の場。
仁木弾正は妖術でねずみに化けて、
御殿に忍び込み証拠品を奪い取るという場面がある。
ここに松緑の演じる正統系の家来、荒獅子男之助というのが
登場し、ねずみを鉄扇で打ち据える。
ねずみは人の姿に戻り、煙とともに花道の穴(スッポン)に
飛び込むと、入れ替わりに眉間に傷をつけた
仁木弾正がせり上がってくる。
妖気漂わせ、花道をゆっくりゆっくり、ふわふわと
引っ込んでいく。
ここも、仁木弾正の見せ場である。ヨッ、ハリマヤ!。
この床下の場は、前回書いた、飯炊き場(ままたきば)のある御殿に
続くのだが、義太夫の入る情趣あふれる演出から
一気に、いわゆる荒事になる。
バラバラ、ともいえるが、このバラエティー感、エンターテインメント感も、
この芝居の魅力の一つといってよろしかろう。
松緑の荒獅子男之助は赤い隈取(くまどり)をし、
ねずみを打ち据え、きれいな見得(みえ)を連発する。
セリフもほとんどなく、時間としてはごく短いのだが
松緑という役者は、こういう荒事の役は人(にん)という
ことなのであろう。うまいものである。
さて。
もう一度、玉三郎。
前回、千松、飯を炊く“飯炊き場”のことを
中心に書いたが、ここで書いていないことがある。
その飯炊き場のあと、敵役の栄御前という女性が
鶴千代にお菓子を持ってきて、食べさせようとするが、
乳母政岡に毒見をしつけられている千松が先に食べる。
すると、案の定毒入りで、千松は苦しみ始める。
もう一人の敵役の八汐(仁木弾正の妹)は
毒入りが露見しないようにと、懐剣で千松を刺す。
政岡は、我が子、千松が刺されているのだが、
うろたえず一貫してこの間、若君鶴千代を身に守り、
見つめている。
その後、千松は絶命。
もう一件(くだり)あって、舞台誰もいなくなり、
ようやく、政岡は息絶えた千松に駆け寄ることができる。
鶴千代を身を賭して守ったことをほめたたえるのだが、
むろん、母としての悲嘆ははかり知れない。
複雑な心象を持ちながらの玉三郎の抑えた演技。
そして最後にやっと、深い悲しみをあふれさせる。
やっぱりこの人は、名優といってよろしかろう。
今月のこの芝居評を読んでみると、
「坂東玉三郎の政岡は終始派手なところのないリアルな演技で、
今までにない独特の緊張感。」(東京新聞9/18)とのこと。
私はこの芝居初見であるので、わからぬが、
この抑えた演技は“今までにない”玉三郎独自のもの
であったのか。
(現代的といってもよいのかもしれぬ。)
歌舞伎役者というと、踊りの美しさだったり、
伝統の型をいかに上手く演じられるのか、ということが
私なども第一義に思ってしまいがちである。
むろん、それが歌舞伎役者の第一義であることは
間違いないのであろうが、それだけでなく、
この玉三郎という歌舞伎役者は、歌舞伎を演じながらも、
熟練された奥深い演技のできる現代の俳優という顔も
持っている数少ない存在といってよろしかろう。
ヨッ、ヤマトヤ!。
つづく
其面影伊達写絵(そのおもかげだてのうつしえ)
文化10年(1813年)江戸・中村座 豊国画
頼兼2代目沢村田之助 高尾2代目尾上松助
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