断腸亭料理日記2015
今日は最近読んだ二冊の本のことから
「江戸のこと」を書いてみたい。
一冊は円地文子の「江戸文学問わず語り」。
これはエッセイというのか評論のようなもの。
主として馬琴の「南総里見八犬伝」について書かれている。
正月に国立劇場で歌舞伎の「八犬伝」を観たことは
ここにも書いたが、そこからの関わりで読み始めた。
この本の冒頭に書かれていることを読んで、私は少なからず驚いた。
なにかというと、円地氏は「外観から見た現在の東京には私の故郷と
呼べるような眺めはほとんど残っていません」とし、
「私にとっての故郷があるとすれば、その頃(明治大正の頃)の
東京が故郷なので」すと書かれている。
そして永井荷風を引合いに出し荷風先生が「明治の末期にフランスから
帰朝し」「蕪雑な薩長の田舎武士の手で江戸文化の蹂躙されたのを
嘆いた」。
荷風先生が嘆いた明治末の江戸から変わり果てた東京の姿が
皮肉にも円地氏の故郷東京であったということである。
円地文子氏は明治末の浅草区向柳原、今の浅草橋あたり、
神田川の北河岸で、生まれ育たれている。
お父さんは東京大学の国語学の先生だが、
東京下町の生まれ育ちといってよかろう。
毎度書いているが、私は父方は祖父、曾祖父それ以前から、
東京府下の大井町の出身(曽祖父は既に江戸生まれで
当時はあのあたりの百姓であるが)でどちらかといえば東京下町の
雰囲気のある家庭で育ち、20代後半で落語などに
傾倒する中で、自分が育った頃には父や祖父の育った落語が
生きていた故郷東京は既になくなっていたという、
故郷喪失感を強く意識するようになった。
荷風先生がこういうことを書かれているというのは
よく知っており、やはり意を強くし、また、池波正太郎先生も
やはり然りで、そのなくなった江戸を鬼平やらの作品中に
再構築しているのに大いに惹かれたわけである。
円地文子氏もまったく同じ感覚を持っていたというのが
驚いたことなのである。
荷風先生、円地先生、池波先生と年代はずれているが
東京生まれの文学者、作家が、それぞれ同じことを
それぞれの時代で思っていた。
不学不才の私などむろん、各氏に重ね合わせるのはまことに
畏れ多くおこがましいことではあるが、故郷喪失感は
明治以降ずっと東京人に共通して意識されてきたことであった
ということである。
(むろんすべての東京生まれの人々というのではなく、
文学や文化、伝統芸能などに関わる人々という限定は
つくのであろうが。)
やっぱり、悲しいことである。
さて、もう一冊は、かの「武士の家計簿」の
磯田道史氏の「さかのぼり日本史・“天下泰平”の礎」。
ここで江戸時代、特に江戸文化が花開いた文化文政を
含む江戸後期の解釈、位置付けのようなものが
以前(30年ほど前)とは随分と変わってきているということを
知らされた。
私など、大学で民俗学を学んだわけだが学校を出てから
民俗学はもとより日本史(特に近世)のトピックスを
追いかけていたわけではなかったのだが、その不勉強を
まったく恥じている次第ではある。
まあ、専門の研究書、論文というのも必要に応じて読むこともあったのだが、
これらは各論で、ざっくりと江戸時代をどうとらえるのか、なんということは
あまりテーマにはされないので、私自身が江戸を調べるとしてもあまり
出てこない内容ではあった。
具体的には、江戸時代というのは、天明の大飢饉以降
つまり、田沼時代の後の松平定信の寛政の改革以降という言い方が
できるが、幕府などの統治姿勢が大きく変わっているということ。
そもそも幕府にしても諸藩にしても生い立ちは軍事政権であって、
民というのは幕府や各藩を支えるもので「財政あって福祉なし」で
年貢は取っても民のためになにかをする、という考え方はほぼなかった。
(儒教的な仁政という考え方はあったにせよ。)
しかし、あたり前の話しだが、領民の生活が安定しなければ、
国として成り立たない。これを未曽有の大飢饉で痛いほど身に染みて、
民のための政(まつりごと)という考え方、民政重視へと
転換していったという。
江戸市中でいえば松平定信の政策で、御籾蔵(おもみぐら)というのが
設けられた。なん箇所かあったのだが、飢饉に備えて町と幕府双方が
費用を出して米の備蓄を始めている。
御籾蔵はその後の安政江戸地震の際にも放出され、また明治になって
維新後カラッケツの新政府の財政に大きな貢献をしたともいわれている。
またこれはこの本のものではないが、長谷川平蔵発案の、
犯罪者や無宿人の更生・授産施設、ご存知石川島の人足寄場も
(手に職をつけさせ、犯罪抑止につなげようとする、近代の
刑務所の先駆けと位置づけられるという。)定信の時代だが、
やはり政策転換の一つといってよろしかろう。
こうした政策の転換がなければもっと前に幕府は
倒れていたともいわれ、安定した“天下泰平”の江戸後期が
訪れ、これによって文化文政の成熟した江戸文化が生まれたのだ
と、磯田氏は指摘している。
いわば為政者が成熟し、町人も農民も成熟した。
江戸後期、国として、社会として成熟していったということ。
江戸前期と比べれば、まったく違う国になったといってもよいほどの
変り方である、と。
討幕の戊辰戦争は近代(市民)革命ではなく薩長などによる
クーデターであり、政権交代がされただけと位置付けられる。
我が国の百姓町人は、一揆や打ち壊しはしたが、革命にまでは
至っていない。
やはり幕府にしても諸藩にしても倒されるほど不満がたまる
政(まつりごと)ではなく、そこそこよい政治をしていたと
いってよいのか。
最近の“江戸ブーム”のなかで、
江戸(後期)ユートピア論というのは間違いである、
という指摘は数多くされているのを知ってもいる。
(身分の移動は比較的自由であったというのが最近の論のようだが)
人々すべてに等しく人権が認められていたわけでもなく、
人身売買(吉原などへの身売り)もあり、また、
完全な表現の自由が認められてもおらず、むろん議会や選挙もなく、
海外との自由貿易もなく、、、いわゆる近代ではない。
そんなことでむろん、矛盾もたくさんあった。
ただ、前にも書いているがその範囲で、人々は折り合いを付け
お上を誤魔化しながら、時には黙認されながら限定付きではあるが、
人間として自由だったり、多様性が認められていたりし、江戸人達は
豊かで洗練され、成熟した文化を築いた。
それが、荷風先生や円地先生や、池波先生が愛し
懐かしんだ、江戸文化ということになるのである。
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