断腸亭料理日記2015

小柱かき揚げ その2

引き続き、小柱かき揚げ。

東京の天ぷらの歴史らしきものをちょっとだけ考えている。

明治にはかき揚げの天丼が流行っていたこと
までみてきた。

問題は明治のかき揚げ天丼のその前ということで、
落語を材料にみてみる。

が、しかし!、である。

とは言いながら、実は、噺のテーマが天ぷらというものは
おそらく落語にはないのではないのである。

うなぎの場合、「素人うなぎ」「うなぎの幇間(たいこ)」
「子別れ」などうなぎが重要な位置で出てくる噺があるのに
天ぷらはなぜかない。(実は、鮨もほぼない。うなぎだけ特別とも
いえるのであろう。)

唯一、私が知っているのは、風景描写として出てくるもの。
小三治師の「道具屋」。

道端で道具屋を始めた与太郎が、通りの向こう側に出ている
屋台の天ぷらやのことを、ぶつぶつと独り言で描写するという
シーンがある。

師の「道具屋」の時代設定は、蔵前の“煉瓦塀”の前に店を
出すというので、明治だと思われる。

屋台の天ぷらやは、鮨やのように、腰掛があるのかないのか
立ち喰いに近い形か。そこで、きすを揚げてくれ、
次はぎんぽ、などと、いわゆるお好みで、好きなものを揚げてもらって
食べるという方式であったようである。
串に刺してあったともいい、関西の今の串揚げのような
感じもする。
(ぎんぽ、という魚をご存知であろうか。天ぷらにしか使われない今は
あまり出回らない魚である。味は穴子に近い。私は、この小三治師の
「道具屋」で知った。江戸湾・東京湾でも獲れたのであろう。
その後、吉池で見つけると天ぷらにしてみている。 )

明治の頃に、天丼が流行ったと書いたが、同じ頃か
もう少し前か、屋台の天ぷらやが、まだ(?)あったようである。

結局、ここまで。
ズバリ江戸期は、いつ頃どんな業態で
どんなものをどんな風に天ぷらにしていたのか、
私としての考察は宿題にさせていだく。

まあ、そんなことなのだが、
小柱という馬鹿貝の貝柱は、江戸湾・東京湾で盛んに獲れ、
おそらく安いものであったはず。
これを刺身でつまんだり、かき揚げにしていた
ということは、いつ頃からかはわからぬが、
大きな間違いはないのであろう。

と、いうことで小柱かき揚げを揚げる。

今さらながらだが、かき揚げを揚げるというのは、難しい。

まず、どういうかき揚げを目指すのか、
これを決めなければいけない。

これは密集度というのであろうか。
カリカリっとした部分が多いもの。
あるいは、多少固まっており、弾力があるような、
団子とまではいかないが、そんなもの。

これは結局、衣の堅さ(ゆるさ)で決まるのだが、
プロが揚げるものにもどちらもあって、それぞれ私は好きである。

最近はあまりパリパリしすぎているのも
揚げているものの味がわからなくなるようで、
今回は、少し堅めを目指してみる。

揚げ油は胡麻油100%。これは江戸前天ぷらでは欠かせない。

余熱。

玉子冷水を用意。

かき揚げは小さなお椀に材料を取り、
ここに天ぷら粉を入れ、まぶす。

玉子冷水に天ぷら粉を合わせ、衣を作製。

お椀に衣を合わせ、適温になった油に一気に投入。

衣が堅めなので、高温よりも気持ち低めを目指す。

最近はいつもそうなのだが、一投目は油温や衣がいま一つで
失敗することが多いので、テスト品にしている。
今日のテスト品は五分切りにした長ねぎと干し海老。
案の定、これは失敗。意図した堅さになっておらず、
飛び散ってしまった。

ということで、本番投入。

衣を堅めにする場合、中心に火が通らないことが
発生しやすい。この回避策として、投入後、ある程度固まった
ところで、厚い部分に菜箸で、貫通する穴を複数開けておくこと。
これはプロもしていることなので、インチキではない。

小柱が小さく、たっぷりと入れたのでできたかき揚げは二つ。

大根をおろして、天つゆはやっぱり桃屋のつゆ原液。

切って、切り口が見えるように写真を撮ればよかったかもしれぬ。

多少堅めの、ほぼ意図通りに揚がった。

一つにかなりの量の小柱を入れたので、
味もそれらしくもなっている。

揚げた二つとも食べてしまった。

さて、もう一つ。

この夜中。

天ぬきで呑む、というのを盛んに書いているが、
昨日書いた、ぶっかけのそば抜きということになるかもしれぬ。

冷やしの天ぬき。名古屋には、うどんやきしめんだが、
冷やしぶっかけには、おろしを入れることが多い。(これを
由来はわからぬが、ところではコロという。)これがうまい。

それで、テスト品のねぎと干し海老の天かす状態のものに、おろし。
つゆはやっぱり、桃屋。

冷やしおろし天ぬき。

十分に酒が呑める。

(この場合はおろしは必須。蛇足だが生玉子は不可である。)

夏にはこれだ!。




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