断腸亭料理日記2015

三遊亭圓生のこと その1

さて。

久しぶりに、落語のことも書いてみたい。

談志家元が亡くなってもう4年にもなり、
私が寄席や落語会から足が遠のいてからもうだいぶ
経っているが、今でも毎日、寝るときに落語は聞いている。

現役では柳家喬太郎師、立川志らく師。
だが、ほとんどは昭和の名人の3人である。

つまり、古今亭志ん生、桂文楽、三遊亭圓生。
特にここのところは圓生師の長い噺を、
一席一席じっくりと聞いている。

圓生師は志ん生師と並んで持ちねたの多さでは
有名であったが、特に今でもちゃんとした音が残っているので
まとめて聞きやすい。
全編お客のいないスタジオ録音だが
「圓生百席」というソニーミュージックから出ているもの。



実際には百席以上のシリーズ。
後にも先にもこんな落語のシリーズはこの人以外には
作れなかったのであろう。

誰が聞いてもおもしろいかといえば、そうではなく、
かなりマニアックなシリーズといってもよいのかもしれぬ。

普通、東京で演じられている江戸落語というのは
どのくらいあるのかというとおおよそ百席くらい。
あまり演じられない噺も入れると三百席ほど
と、いわれている。

おそらく圓生師は五百席、いや、千席くらいは話せたのでは
なかろうか。百席ほんの一部であろう。

どんな噺が入っているのかというと、
圓生師もお得意で絶品といわれ、現代の落語家にもよく演じられる
「包丁」のような噺もあるが、私が丹念に聞いているのは
例えば「ちきり伊勢屋」「松葉屋瀬川」
「中村仲蔵」「一文惜しみ」「髪結い新三」といったもの。
一話完結だが、1時間を超える大作である。

元来、三遊亭圓生はいわゆる、三遊派のNo1.の名前で、
初代は1768年(明和5年)の生まれ。
江戸落語が初代三笑亭可楽などによって始められ、
その初代可楽の弟子。

二代目があって、その二代目圓生の弟子が、かの大圓朝。

圓朝は幕末から明治の人だが、大量の作品を残したのは
主に明治になってから。

圓朝という名前を継いだ人はその後なく、
今いっている圓生は六代目にあたる。

六代目圓生は明治33年の生まれ。
昭和54年、79歳で亡くなっている。

亡くなった日、上野のパンダも同時に死んでおり、
その時の新聞記事がパンダの方が大きかったというのが
当時の落語ファンの中では嘆き(笑い?)の種になった。

当時私などは16歳の高校生の頃で、本格的に落語を
聞き始める以前。子供の頃には落語は聞いてはいたが、
実のところはライブの圓生師の噺はTV、ラジオなどを含めても
残念ながら記憶がない。

さて。

明治の圓朝という人は「牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」などの
長編怪談噺など、数多くの新作を生み、三遊派といえば
正統派で長い噺、というイメージを作った人といってよかろう。

圓朝が活躍した明治の頃は、こういった長い噺を
今では滅んでしまったが、例えば10日間一つの寄席で
毎日続きで話すという口演形態が存在していたわけである。

おそらく、六代目の圓生師の主として活躍した
戦後にはもうなかったかのではなかろうか。

「圓生百席」にも「牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」は
全編ではなく、一部分しか入っていない。

先に挙げた「ちきり伊勢屋」「松葉屋瀬川」
「中村仲蔵」「一文惜しみ」「髪結い新三」などは
なん日も分けて喋るほどは長くない。1〜2時間。

このあたりの噺は圓生師の寄席での録音も残っているので、
独演会などでは演じられていた噺なのであろう。

これらが、どうもおもしろい、のである。

寄席などでは1時間〜2時間聞かせるとなると
演者にもそうとうな技量が求められるであろうし、
それ以前にお客がもたない。
現代の聴衆との関係ではやはりほぼ成立しないのでは
なかろうか。
いくらうまくても、飽きて集中力が続かない。

そういう意味では、現代的には録音に向いた噺、
かもしれない。

「ちきり伊勢屋」「松葉屋瀬川」
「中村仲蔵」「一文惜しみ」「髪結新三」と
思い付くままに挙げてみたが、これらは長いので
皆、人情噺かと思うとそんなことはなく実にバリエーションに
富んでいる。

「中村仲蔵」などは江戸中期寛政年間に活躍した
歌舞伎役者初代中村仲蔵の伝記のような噺。
主として「忠臣蔵」五段目の「斧定九郎」の
役の工夫(演出)を中心に描いている。

「松葉屋瀬川」などはまあ、人情噺といってよいのか。
吉原の花魁瀬川と若旦那の純愛を描いている。

「髪結新三」は歌舞伎にもなっており、ご存知の方も多かろう。
私も故勘三郎の平成中村座でも観ている。

もともとは、講談の話で、それが噺家が演じるようになり。
さらにそれを黙阿弥が明治になり、歌舞伎化したもの。
圓生師の「髪結新三」はさらにその歌舞伎の影響を
受けたもののように思われる。

「ちきり伊勢屋」。
これは私は大好きな噺である。
人情噺でもなく、伝記風の噺でもなく、怪談でもない。

ちょっとSFっぽいというのであろうか。


来年二月十五日、お前は死ぬよ、と、絶対に当たるといわれている
占い師にいわれた大店の若い旦那が、どうするか。
波乱万丈、大どんでん返しのドラマ、で、ある。

内儀(かみ)さんなどに聞かせてもいるが、
そんなにおもしろい?というので、みんなが
みんなおもしろいとは思わないのかもしれぬ。
まあ、私のセンスなので。
だが、ご興味があったら是非聞いていただきたい。



今日はここまで。明日につづく。








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