断腸亭料理日記2015

鴨鍋

1月10日(土)夜

大方の皆さんは同様だと思うのが、
正月休みが終わったらまたすぐに成人式の連休で、
せっかく作った仕事の調子がまたダラケモードになってしまう。
まったくもって困ったものである。

寒いのでどこへも出かけない。
昼間っから、呑んでゴロゴロ、という自堕落に戻ってしまう。

と、いうことで今日は鴨鍋、で、ある。

これも池波レシピ、ということにはなるのだが、
もうなん度も書いているし、池波作品独特のものでも
ないと思われるので、私とすれば普通のご馳走
ということにはなろうか。

鴨肉は、旧臘、鴨せいろをなん回か作ったときに買ったもも肉が
まだ冷凍庫に8〜9割残っていた。
例年、拙亭では正月に決まって鴨鍋にしていたので
内儀(かみ)さんは特に話していたわけではないが、
芹を買ってきていた。

芹は根付きのもので、内儀さんはボールに水を入れ、
ベランダに出していた。

しかし、この正月はなぜか
鴨鍋を食べる気にならなかった。

従って、芹は大晦日からずっとベランダあって
気にはなってはいた、のである。

しかしまあ、こんなもの、おひたしにしてでも
簡単に食べられるので特段のことはないと、
たかをくくっていたのだが、もう10日である、
いい加減食べてしまわなくては。

どうせ食べるのであれば、当初の予定通り鴨鍋に、と、
思い立ったわけである。

鴨鍋というのは、なにも江戸・東京だけのものではなく、
全国にあるのであろう。

むろん、子供の食べるようなものではないので
小さい頃に食べた記憶はない。
(その前に、鴨鍋を食べるほど我が家には余裕はなかった
はずであるが。)

就職してから浅草のどこかの食い物やで
食べたのが最初であったと思う。

東京の鴨鍋というのは
池波作品にも多々登場する軍鶏鍋同様
甘辛のすき焼き、と、いうのが
基本といってよいのであろう。
先の浅草で食べたのは甘辛であったと思われる。

料理やだと、東日本橋の老舗、[鳥安]が名代であろう。

ただ[鳥安]はすき焼きではなく、
鉄鍋でそのまま焼いてしょうゆとおろしで
さっぱりと食わす。

池波作品でもしょうゆだけで食べるものも登場する。
ただ、作品ではこの場合はねぎとともに焼く。

鴨ねぎ、というくらいで、鴨と一緒に焼く
最も一般的な野菜はねぎであろう。

が、調べてみると、やっぱり池波作品にも
登場するが、ねぎ同様芹も、昔から鴨に合わせる
ものとしては一般的であったようである。

おもしろいのはねぎの場合甘辛でも
しょうゆだけでもいけるのだが、芹の場合は
なぜか甘辛になる。

昼、冷凍庫から鴨肉を出してレンジで半解凍し、
あとは常温においておく。

ある程度まだ凍っているところでスライスする。

芹は洗って切る。


白滝、焼き豆腐、その他、芹以外のものも
むろん入れてもよいのであるが、やはり、
江戸の鍋は、メインのもの一つと、野菜一種のみ。
これが正しい。

休みであるし、今日はゆっくり火鉢でやろうか。

火力を出すために、火鉢の炭を通常の暖房用の
倍にしカンカンに熾す。

小ぶりの鉄鍋。


鴨の脂身をのせ、脂を全体に行き渡らせる。

鴨肉と芹をのせ、焼く。


最初はしょうゆだけで食べてみようか。


うん。

やっぱり芹の場合は甘辛だ。

割り下にするのは面倒なので、直接しょうゆと
酒、砂糖を入れ、焼く。

この場合はやっぱり玉子にくぐらせて、食べる。


これはもう堪えられない。

肉を全部食べ終わると、ご飯。

これには、鍋に残った脂のつゆと、
最初に入れたカリカリになった脂身。
さらに、残った溶き玉子をかける。


池波先生であれば、芹も残しておいて、
細かく刻んで、ふりかける、なんという
小技を書いていたか。

いずれにしても、ひょっとすると、これがもっとも
うまいかもしれぬ。

このサイトのトップページの
「煎り鴨の肉と生卵をかきまぜた飯」に
近いものになろう。(これも池波レシピ。)

ともあれ。

鴨鍋、うまいもんである。


 

 


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