断腸亭料理日記2015

「花燃ゆ」のことから その1

NHK大河「花燃ゆ」。

第一回の視聴率は今一つであったそうな。

昨日の第二回も視たのだが、井上真央さん主演で、
吉田松陰の妹。ドラマとしておもしろそうである。

大河は毎年欠かさず、さらに毎週ほぼ一回も欠かさず視ており、
むろん今年も引き続き毎週視るのだと思われる。

大河を盛り上げるためであろう、NHKの歴史関係の番組は
旧臘からずっと吉田松陰、あるいは長州づくしである。

おかげで、今まで知られていなかったことも
様々取り上げられ参考になっている。

しかし、どうもこれだけ吉田松陰、吉田松陰。
長州万歳、長州万歳という取り上げ方をされると
多少の反論をしたくなってしまう。

今日はそのあたりのことを書いてみたい。

震災の翌年に、綾瀬はるかさん主演で会津の「八重の桜」を
やって、昨年が戦国の「軍士官兵衛」。
そしてバランスを取って、今年が幕末の長州、ということも
あるのかもしれぬ。

また、綾瀬はるかさんも、会津もよい。
ただやはり、負けたものの歴史である。
大河も、ドラマでありエンターテインメント。
幕末は今のところ、幕府方を主人公にするのであれば、
新撰組、あるいは勝海舟以外はどうも盛り上がらない。
(ただ、これは取り上げ方にも大いに原因があると
思われるが。)

吉田松陰という人物は、ペリーの軍艦に乗ろうとして
断られ、幕府に引き渡される。
国許長州に戻され投獄後、松下村塾を開き、高杉晋作など、
幕末長州の志士、さらには明治の元勲となる伊藤博文などを
育てた。
しかし、松陰自身は井伊大老による安政の大獄により
再び江戸に檻送され30歳という若さで斬首されている。

これは誰がみても、悲劇の人、といってよいのであろう。

また、明治維新を為すために、思想を広め人を育て、
志半ばで明治の世を見る前にその人柱になった。
今もそういう評価をされることが多いのであろう。

歴史というのは、勝った者のもの。
初代内閣総理大臣の師であれば、神になるのくらいは当然のことである。

と、まあ、吉田松陰と長州、明治維新についてとてもざっくり
まとめるとこういうことになるのであろう。

しかし、である。

毎度書いているが、私が疑問に感じているのは、
その明治の世も終わり、その帰結としての第二次世界大戦と
その敗戦、さらにその戦後も70年も経っているのに
いまだにこういう評価のままで、そうではないという
評価があまり聞こえてこないということなのである。

本当に、そうなのか?ということ。

東京に生まれ育った者として、私個人は、幕末でいえば、
どうしても幕府方に“肩入れ”をしたくなる。

大政奉還をした幕府に対して、幼い明治天皇をかついで、
錦の御旗なんというものをでっち上げて、徹底的に
幕府方を、そして江戸を滅ぼした。

こりゃあ、きたねえ。

血も涙もない。

勝海舟がいなければ、江戸の街も焼かれていた
可能性は高かったのであろう。

しかし、彼らからすればそれこそ松陰先生の仇であり
当然のこと。
いやそれ以上に、この戊辰戦争というのは
軍事クーデターであり、戦争には手段を選ばないのは
いうまでもないこと。
また、旧政権の残照は徹底的に滅ぼすというのも
あたり前のことである。

明治維新というのは歴史的評価とすれば、
我が国の近代革命ともいうことができるのであろうが、
やはり、武器を以てなされた政権闘争であり、中途半端な
公武合体なんというのはあり得なかったのであろう。

むろん、当時の幕府が既に統治能力を失っていたのは
明らかであり、遅かれ早かれ政治機構は変わる必要は
あった。

幕府に代わって政権を取る力のあるのは、薩長他西国雄藩で
その使命を終えた徳川幕府が滅ぼされたのは
時代の必然であったのだと考える。

結局のところ、問題はその後、つまり、彼らの作った
明治という時代(さらにそれは現代まで続いているのだが)
の評価、なのである。

明治維新は必然であるが、その後の明治の政権運営
というのか、国の進んできた道がよかったのか、
わるかったのか、ということなのである。

ともするとこれらが一緒くたにとらえられがちであると
思うのである。
吉田松陰の評価や薩長による統幕と、明治時代の評価は
分けるべきものであると思うのである。

明治の世は、我が国の近代の夜明けで万歳。
その夜明けを作った薩長による明治維新も万歳。
その一方の旗頭長州の思想的支柱になった松陰先生も万歳。
一連、一つながりでみんな万歳。

まあ、こうした方が皆、解りやすいのであろう。

しかし、明治の世であれば仕方もないが、
維新から150年近く経ち、戦後も70年、もうそろそろ、
別の見方をしてもよいのではないかと考えているのである。

去年も少し書いているが、江戸という時代からみると、
明治以降というのは、近代化はよいのであるが、
価値観、文化、文物、その他色々、大切なものもたくさん
失ってきた歴史であるということができる、
というのが基本的な私の立場である。
現代に連なる明治以降というのをもう一度考えてみたい
のである。

断わっておくが、松陰先生自身をわるくいう
つもりは毛頭ない。

安政の大獄を引き起こした、井伊直弼というのは
政治家として、それ以前の老中阿部正弘などに比べても
センスはイマイチ、いやイマサンであったのだと思う。
幕府の権威を復活させようと時代錯誤の無理な粛清をし、
松陰先生は不幸にも見せしめの一人にされた。

また、自らは桜田門外で暗殺され、その後の反幕あるいは、
倒幕運動を激化させ、断末魔の幕府においては失政であった。

そんな大老井伊により命を縮められたことは
悲劇以外のなに物でもない。

しかし、一方で、思想家としての評価である。
おそらく彼が、長州以外の無名の藩に生まれていたら、
ここまで歴史に名が残ることはなかったやもしれぬ。
ただの変人として密航を企てたことも表にすら
出てこなかったこともあるかもしれぬ。

吉田松陰の評価は長州という、関ヶ原以来幕府に対し
積年の恨みを持つ藩に生まれたことと不可分であることは
いうまでもなかろう。


長くなった。
明日ももう少し、考えてみる。




 


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