断腸亭料理日記2014
3月22日(土)
今日も昨日の続き。
国立劇場の歌舞伎、黙阿弥作、
「處女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)」。
10年前に上演された別の作者の「与話情浮名横櫛」を
下敷きにしていると書いたが、お話は特につながっているわけではなく、
別のもの。ただし、登場人物の名前はお富、与三郎、
蝙蝠安(こうもりやす)など主要なものは踏襲している。
そうであった。
昨日、書き落としたのだが元作「与話情浮名横櫛」もさらに元があった。
元は、落語(人情噺)あるいは講談で「切られ与三」。
乾坤坊良斎作、初代古今亭志ん生らが演じていたという。
(いつ頃かといえば、芝居の初演がペリー来航の嘉永6年(1853年)なので
それ以前、天保から嘉永の頃なのであろう。)
噺、講談から歌舞伎へという改作が、この頃、如皐、黙阿弥らに
よってなされている。
黙阿弥の明治6年の作だが「髪結新三」などもその例になろう。
一般には、寄席などで知られているストーリー(登場人物、設定など)を
芝居に起こすことで安定したヒットを望める、ということがあったと考えて
よいのか。
また、現代に伝わる落語の中にある匂いと、黙阿弥らのこの時代の芝居の
匂いがかなり近い、と、前々から感じていたが、やはり、このあたりに
その原因であったということは間違いなかろう。
ともあれ。
二幕六場。
上演時間、二時間程度と手頃な長さ。
藤ヶ谷天神境内の場。
幕が開くと、中央に藤棚。
藤ヶ谷天神は鎌倉ということになっているが、むろん、
これは江戸で、江戸の天神様で藤といえば、そう、
亀戸天神のことであろう。
珍しい芝居なのであらすじを追ってみる。
一人の若侍登場。
これが井筒与三郎。
与三郎は千葉家という大名家の浪人。
父がお家の宝刀を紛失して切腹。
与三郎はその責を負って、宝刀探索のため全国を流浪中。
宝刀探索、まったくもって、歌舞伎によくある、
お約束の設定である。
ここに花道から美しい女性登場。これがお富。
お富はこの時、絹問屋赤間屋源左衛門の囲い者になっている。
と、境内にいたならず者がお富の頭から
簪(かんざし)を抜いて逃げる。
慌ててお富の下女が追う。
その隙に、一人になったお富を勾引(かどわ)かそうと
ならず者の仲間がお富を取り囲む。
そして、与三郎がこれを助ける。
お富は、与三郎の顔を見てびっくり。
以前、とある夜船で知り合い、契を交わした仲で
その時、与三郎は小柄(こづか〜ペーパーナイフのようなもの)を
お富に渡し、仲を誓い合っていた。
まあ、あの時の、と、すがりつくお富。
お前は今、人の妾ではないか、など、一くさりあって、
結局二人は、茶屋の中へ。
いきなり、あからさまな展開ではある。
しかし、このことは赤間の手代(てだい)である安蔵に
一部始終見られていた。
次の場は、赤間妾宅。
つまりお富の家である。
お富の間男を手代の安蔵が暴露し、赤間源左衛門も正体を現す。
絹問屋の主人というのは世を忍ぶ仮の姿、その実、六十余州を
股に掛ける盗賊、観音久次であった。
間男の相手が誰か、お富の口を割らせようとするが
お富は口を閉ざす。
じゃあ、というので、源左衛門(観音久次)は
お富を嬲(なぶ)り切りにする。
(昨日のものとは絵師が違う。)
画:三代目豊国 元治1年(1864年)江戸 守田座
赤間源左衛門、四代目中村芝翫 お富、三代目沢村田之助
壮絶なもの、で、ある。
止めの一太刀を入れようとする源左衛門。
安蔵は気絶しているお富を、死んだ、と、いって、
葛籠に入れて退場。
幕、と、なる。
二幕目。
第一場、薩た(手ヘンに垂、さった)峠一つ家の場
薩た峠は東海道の由比と興津の間の峠。
ここに差し掛かった、与三郎。
彼はまだ、例の宝刀を探し歩いている。
提灯の火を借りようと一つ家を訪れると、
そこにいたのは、なんとお富であった。
お富は与三郎に、赤間に切られ、その後、
安蔵に助けられ、夫婦になり、ここで暮らしているが
与三郎のことは片時も忘れたことはなかった、と、語る。
お富の素性を聞けば、お富の父は元は与三郎の家に仕えていた
若党であった。
お富のことは不憫だが、自分は宝刀を探す身で誠に申し訳ない。
で、その宝刀。
道具やで見つけたのだが、その値が二百両。
なんとしてもその二百両を調達しなければならぬと、
急いで立ち去ろうとする与三郎に、お富は、
お金は私がなんとかすると請け合う。
と、この、一部始終を物陰から見ていた安蔵。
三枚続き。
画:国周 元治1年(1864年)江戸 守田座
お富、三代目沢村田之助 井筒与三郎 二代目沢村訥升
こうもり安 三代目市川九蔵
二百両を工面するのに、お富にはあてがあった。
弥勒町に最近できた赤間屋という女郎屋の主人は、
どうも例の赤間源左衛門らしい。
奴を強請(ゆす)ろう、と。
安蔵をたきつけて押しかけようとたくらむ。
明日につづく。
参考:「江戸歌舞伎の残照」吉田弥生 2004
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