断腸亭料理日記2014
7月16日(水)夜
会社帰り、日本橋三越に寄りちょいとした
用足し。
7時半。
さて、なにを食べようか。
この三越界隈で、なにか食べようと考えると
意外に、いつも困るのである。
中央通りの三越側は、三越と三井本館、マンダリンオリエンタルで
それを避けると、あまり食いものやはない。
反対側にはたくさんあるのだが、これ、という
ところを知らない。
地図を出してみよう。
より大きな地図で 断腸亭料理日記・日本橋室町 を表示
地下鉄の駅は、いわずと知れた三越前。
名にし負う日本橋、せっかくなので、今日は
この界隈のことを少し書いてみたい。
江戸の頃からの三井さん、お膝元、いや本家、大本部か。
近年この界隈、三井不動産などによる、
三井タワー・マンダリンオリエンタルホテル
から始まって、最近のコレド室町と、再開発が進んでいる。
江戸の地図も出しておこう。
このあたり、江戸で最も古く、かつ重要な町家地域で、
室町の通りは、江戸の随一のメインストリートと
いってよろしかろう。
だが、このあたりのことを書き始めたら切がない。
日本橋川沿いには魚市場、魚河岸があり、
また、外濠側には金貨を鋳造する金座があり、
両替商が軒を連ねていた両替町。今の日銀はここ。
そして、呉服屋の[越後屋]。
[越後屋]というのは、むろん、三井越後屋で、
これを縮めて、三越。
江戸期「現金商売掛け値なし」で、呉服屋として一躍大店に
なったのはあまりにも有名。
越後屋は両替商業務もしており、三井住友銀行、
三井財閥の前身である。
魚河岸の関係で今もここにあるいくつかの
魚介系の店。海苔の[山本屋]、はんぺんの元祖という
[神茂(かんも)]、鰹節の[にんべん]その他
いろいろ。
今日はこのあたりで、ちょっと違うことを書いてみよう。
江戸の地図に赤い星印を付けた三つの家がある。
喜多村彦右衛門、樽(屋)藤右衛門、舘(奈良屋)市右衛門。
おそらく皆様聞いたことがない名前だと思われる。
まあ、時代劇にもほとんど出てこない。
ただ江戸の街でこの三家はとっても重要な役割を持っていた
のである。
身分は町人なのだが、町年寄という役目。
代々世襲。
三家とも江戸開府時、家康に従って江戸へきて、
それ以来、町方、つまり町人の支配をしてきた、いわば
江戸の行政官で、彼らの屋敷は役宅を兼ねていた。
江戸の町方の支配というと、大岡越前や、遠山金さんだったり、
南北の江戸町奉行ではないかと思われよう。
そして、その下に与力、同心がいて、捕物をしていた
というというのが皆様のイメージかもしれぬ。
しかし、実際には町奉行所だけでは行政、刑事、裁判その他、
町人に関することをすべて取り仕切っていたのだが、
彼らだけで、やり切れるわけがない。
それで、町奉行所の配下で実際に行政、裁判、
経済方面の各種許認可、税の徴収などなど、もろもろ
一般業務を統括していたのが、この三家であったわけである。
町奉行所の裁判、お白洲なんというのがよく時代劇に
出てくるが(直接町人が奉行所に訴えることができた
ことはできたのだが)実際の裁判、調停は、この
町年寄役所で行われることがほとんどであったという。
身分は町人であるが、世襲の役人、それも総元締め
という偉い人達であったわけである。
ただ、実際に一般の町人は直接この三人の町年寄に
接することは少なく、また、様々な政策方針を決定し、
責任を持つ、行政の長はやはり町奉行その人であり、
町年寄はあくまでそれを執行する役人で、存在感は
あまりなかったのであろう。
それで落語にも歌舞伎にも、時代劇にも出てこない
のかもしれない。
ちなみに、この町年寄の下は、各町にいる町名主、
その下に、落語にも出てくる、家主(いえぬし)と
まあ、そんな行政組織になっていたのである。
(家主は、今の大家(おおや)さんをイメージすると思うが、
実際にはそうではない。江戸時代であれば、家を貸す家主
(ヤヌシ)ではなく、店賃(たなちん)も集めるが、
それ以上に、お上(かみ)からちゃんと役割と
権限を与えられた、行政官の末端であったといって
よろしかろう。
つまり、家主は店子(たなこ)に対して行政上の
管理監督責任があった。
それで「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然。」
という言葉が生まれてきたのである。
これは大家さんは店子の面倒をよくみる人情家であった、
ということばかりではないのである。
例えば、落語でもたまに出てきたりするが、居候でも別の人間が
長屋に越してきた場合には、家主にきちんと届けなければ
ならなかった。
また、歌舞伎[髪結新三]の家主などをみると、店子である、
ならず者でかつ前科者の新三(しんざ)を脅すシーンがあるが、
家主の権力がどれほどのものであったのか、よくわかる。)
ともあれ。
そんな、町方行政の元締めである、町年寄三家の
屋敷がこのあたりにあったというのをみても
江戸の街の中心がこのあたりであったのがよくわかるで
あろう。
さてさて。
前置きが長くなってしまったが
今日はここまで。
また明日。
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