断腸亭料理日記2014
さて。
五回目になってしまった。
「忠臣蔵」の『九段目の切』『山科閑居』。
前回は力弥が加古川本蔵の腹に槍を突き立て、
とどめを刺そうとしたところに
「力弥、早まるな」と由良助が奥から出てきたところ、
まで。
今回の加古川本蔵は松本幸四郎、由良之助は中村吉右衛門。
むろん、二人は兄弟。
幸四郎、吉右衛門ともにこの芝居は二回目。
共演は初めて。
家で観てきたDVDの本蔵は、二人の父親である先代幸四郎、
白鸚(はくおう)であった。
後半の主人公は本蔵になる。
前回書いたが、本蔵は力弥の槍に手を添えて
自らの腹に突き立てさせている。
家で観てきたDVDでは実はこの演出はない、のである。
(つまり槍に手を添えてはいない。)
昭和53年の舞台であるが、ここからさらに観客に
分かりやすい演出に変えている、ということではなかろうか。
細かいところだが、こういうところは重要である。
この前のシーンでお石の三方を本蔵は踏み潰している。
この屋敷に入ってきたときに、「この首差し上げよう」
と入ってきたのに、である。
これは観客戸惑う。
それで、力弥の槍に手を添えてやる、という演出を
加えたのではないかと思われる。
踏み潰したのは、討たれてやるためのきっかけ、という
ことであろう。
それでお石が槍を持ち出す、ということに自然となる。
ともあれ。
由良之助が出てきて、腹に槍を受け苦しい息の下での
由良之助と本蔵との台詞(せりふ)のやりとりになる。
本蔵は、前回書いた、由良之助や仇討に向かう塩冶家家来に対しても
申し訳なく思っている思いを吐露する。
そして、娘小浪は力弥の妻になりたい一心で、はるばる
ここまできた思い。
こういったものをすべてのみこんで、本蔵は命を捨てることを
心に決めてこの屋敷にきたことがわかる。
由良之助、力弥はいずれ、仇討で命を捨てる。
由良之助はじめ塩冶家の人々への申し開きと、
娘への愛のために命を捨てる。
で、本蔵のこういう台詞になる。
「忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨つる親心。
推量あれ由良殿」。
由良之助は奥の庭に雪で作った二つの五輪の塔(墓)を
見せて、仇討への覚悟を見せる。
また、本蔵からは師直の屋敷の絵図を渡され、
これを受けて、力弥は師直邸の雨戸のこじ開け方の
工夫を披露。
本蔵も満足。
由良之助はここから討ち入り準備のために堺へ
立つ、という。
ちょうど本蔵がしてきた虚無僧の扮装を今度は
由良之助が借りる。
由良之助は力弥に、お前は明日の出立にしろ、と、
今夜一晩の、小浪との夫婦の時を与える。
本蔵はこと切れ、皆の嘆き。
そして、旅立つ由良之助のお石との別れ。
やはり、この夫婦も今生(こんじょう)の別れ。
「忠臣蔵」『九段目』広重、天保6〜10年(1835〜39年)
左から由良之助、妻お石、力弥。
座敷が、戸無瀬、小浪、本蔵の順。
(この絵の戸無瀬は真っ赤な衣装のようである。)
庭に雪で作った五輪の塔。
言葉の数は少ないが、万感の思いが伝わってくる。
本蔵は既にこと切れ、由良之助は仇討に向かい、
力弥は小浪との最初で最後の一夜の後、やはり、
死に向かう。
男達は皆、死に向かい、それに寄り添う妻達。
そうとうにドラマチックである。
美しい、と、いってもよい。
脚本としてとてもよくできている。
「仮名手本忠臣蔵」の中でも最も秀逸な段の一つであると思う。
通し狂言にあまり入らないのが不思議なくらい。
さて、さて。
これで「忠臣蔵」『九段目の切』『山科閑居』観劇記、
一巻の読み切り、で、ある。
[寿初春大歌舞伎]という表題で書いてきたので
残った二幕「乗合船惠方萬歳」「東慶寺花だより」
とある。
二幕目は踊りの幕。
三幕目は井上ひさし原作の新作歌舞伎。
で、なんらかコメントをするべきなのだが、この二幕、
『九段目』と比べるべくもない、といっても、まあ
間違ってはいなかろう。
それだけ『九段目』が素晴らしかったのである。
お正月、ということで、後は肩の力を抜いて観られた。
このくらいでよいのかもしれない。
そんなことで、一先ず14年お正月[寿初春大歌舞伎]は
お仕舞としよう。
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