断腸亭料理日記2014
2014年平成26年1月1日
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
皆様にはどんなお正月をお迎えでしょうか。
本年がよい年になること、お祈り申し上げます。
断腸亭
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて。
今年は十干十二支(じゅっかんじゅうにし)で、甲午、きのえうま。
今年がどんな年になるのか、毎年、書いているような気がするが、
今年も過去の甲午歳になにがあったのか、ちょっとだけ見てみよう。
ご存知の通り、十干十二支は還暦というくらいで、六十年で
一回りする。
一つ前の甲午は1954年昭和29年。
戦後10年ほど。
たいした出来事もないようだが、映画「ゴジラ」の初公開。
(ゴジラ還暦)第五福竜丸が米国の水爆実験の死の灰を浴びた、
といようなことが起こっている。
次、二つ前は、120年前。1894年明治27年。
この年から翌28年は、日清戦争の年。
朝鮮半島の覇権争いから、日清両国が宣戦布告。
旅順口の戦いなどあった。
我が国にとっては、初めての対外国の戦争。
幕末から明治になり30年弱、不平等条約撤廃に向け、
文明開化、殖産興業をすすめてきた。
列強帝国主義に対抗する、いや、真似をした
その結果の第一歩、と、いうことになるのか。
もう一つ、日清戦争に隠れてあまり出てこないが、
6月に明治東京地震が起こっていた。
マグニチュード7.0。
震源は東京湾北部でいわゆる東京直下の地震。
死者は31人でさほど大きくはないが、当時多かった煉瓦造りの
建物や土蔵が倒壊しているよう。また深川方面での液状化も
記録されている。(火事は少なかったのか。)
この36年前の安政2年に安政江戸地震が起きている。
これも江戸直下地震で、マグニチュード7クラスといわれているが
被害はずっと大きく、浅草浅草寺の五重塔が傾くなど多くの建物に
被害が出て、火事も発生、死者は1万人規模であった。
東京関連の地震ではこの明治東京地震の後、大正12年にご存知
関東大震災が起きている。関東大震災は相模湾が震源で
東京湾北部震源の首都直下ではなく別のメカニズムといわれている。
関東大震災で、東京湾北部の地震エネルギーが解消されていたのか
わからぬが、ここから数えても既に90年たっている。
(ちなみに関東大震災の相模湾系の地震はあと100年、200年後という。)
安政と明治と定期的に東京直下地震はそれも短周期に起きており、
やはり、報道されているM7クラスの首都直下地震は
いつ起きてもおかしくない状態、なのではなかろうか。
なにか準備というのもにわかには難しいが、
覚悟だけはしておかねばならないということか。
ともあれ、次。
甲午の三つ目、180年前。これは1834年天保5年。
もう江戸時代で、かつペリー来航の前。
天保といえば、老中水野忠邦の天保の改革で有名だが、
まだ水野は老中首座にはなっていない。
将軍は寛政以前から長く続いた、家斉の末期。
この年、大きな事件はなかったか。
ただ、実際には外国船が日本近海にちょいちょい現れ始めており、
表には出てこないが幕末の足音はもう聞こえていたと
いってよろしかろう。また、度重なる貨幣改鋳などをしても
家斉の放漫生活などもあって幕府の財政は破綻寸前であった。
歌舞伎は2年前にわずか10歳で8代目團十郎が襲名しているが
実質的には父の7代目團十郎が海老蔵の名でいる頃。
7代目は今に残る市川家のお家芸、歌舞伎十八番を
まとめたことで有名だがまさにこの頃。
作者では鶴屋南北は死んでおり、黙阿弥も19歳で名は出ていない。
落語の方は、圓生が二代目、正蔵も二代目で、落語が生まれてから
第二世代になっているといってよい頃か。
また、後の柳派の方も台頭を始め、初代柳橋、二代柳橋、初代柳枝
といった名前が聞かれる頃。
落語も天保の改革で寄席が大量に閉めさせられているが
そうした意味では、江戸中に寄席が開かれ、庶民達の大人気を博していた頃。
今に残る噺の多くはこの頃に原型はできていたのかもしれない。
絵師も国芳、広重、国貞、北斎など有名どころが活躍中で
文化文政期の流れをそのまま受け継いでいた、
江戸庶民文化華やかな頃、言い換えれば、江戸が我々が思い描く
江戸らしかった頃といってよいのかもしれない。
もう一つだけさかのぼろうか。
240年前。1774年安永2年。
将軍は吉宗の孫の家重。
田沼時代真っ只中といってよい頃。
この後、浅間山の大噴火、天明の大飢饉など起こるが、
その前で比較的平穏な頃か。
團十郎は5代目。
この人は風流人で有名で40代で隠居生活を送っている。
(6代目が若くしてこの世を去り孫の7代目指導のため舞台復帰を
してはいるが。)
私の好きな、狂歌師、大田直次郎、蜀山人南畝先生はこの年、25歳。
この人はデビューが早かったのでこの頃は既に、
5代目團十郎、烏亭焉馬(うていえんば)などと文化人サロンを形成し、
吉原あたりで、遊び歩いていた頃であろう。
烏亭焉馬は江戸で落語を始めた人、という言い方をされるが
狂歌の会などの発展形で落語の素という「噺の会」なるものを始めたのは
天明6年でこの年の12年後。そして職業としての噺家と現代に続いている
噺(落語)の発生は寛政まであと20〜30年待たねばならない。
まあ、しかし、田沼時代は好景気で、江戸の文化的な発展も
このあたりから始まっており、まあ、江戸が江戸らしさのようなものを
持ち始めたのがこの頃からということであろう。
また、田沼時代は、蘭学の奨励などもあり杉田玄白がかの「解體新書」を
出版したのもこの年であった。
さてさて。
甲午(きのえうま)歳、60年周期になにか科学的な意味があるとは
思えないが、平成の甲午歳がどんな年になるのか。
わからぬが、とにもかくにも、
よい年になってほしいものである。
そして、皆様方それぞれにもよいことが訪れることを
お祈り申し上げる。
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